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第2部 ユグリア王国の秘儀書 27.オスカー:想いのゆくえ
ザックが出て行ってからというもの、僕は落ちつきなく離宮の中を行ったり来たりして過ごした。
考えていたのだ。ディーレレインにいるときから、ザックが生まれ育ちのいい人間なのはわかっていた。単なる功名狙いの冒険者ではなく、わけありだというのも、そのあとわかった。
でも、死んだ先代王のご落胤だなんて思っていなかった。今の王はザックをどうするつもりだろう?
フェルザード=クリミリカからこの都に連行された時、ザックが僕を「スキルヤ」だといったのは、異国人の僕を守るためだ。その時のザックは自分が王の血を引くとは思っていなかった。僕はザックの言葉を疑わなかった。
考えてみると不思議なことだ。ディーレレインに来る前もそのあとも僕は用心深く生きてきたのに、今もザックの話を疑っていない。疑いたくないのかもしれない。なぜなら僕はザックが――
とにかくザックが先代王の息子なら、彼の「スキルヤ」であることは僕にとって不利に働くかもしれない。ユグリア王家が血統を重視するというのはディーレレインでも時々聞いた。王の血を引く男がほっておかれるわけがない。
ザックがどうやってこの状況を泳いでいくにせよ、僕は彼の「スキルヤ」として注目が集まるような真似は避けなければならない。万が一、ディーレレインに来る前の僕を知る人間に出くわすことがないように。
それとも僕はここから逃げ出すべきなんだろうか? ザックには心配するなとでも書き置きを残し、まずは王宮を抜け出し、五芒星、六芒星の壁を越え、市井の人々に紛れる。ディーレレインにたどりついた時のように、異国人の行商隊に紛れ、マラントハールの外へ向かう。こっそりディーレレインに戻って、何食わぬ顔でルッカの親父さんやリロイに挨拶する。ディーレレインには僕の生成魔法が必要な人々がいる。またザックがディーレレインに来ることがあれば、僕は喜んで彼を迎えてやるのだ。
うまくいくかどうかは別としてその考えは悪くないように思えた。僕はザックを友人としてディーレレインの僕の店に迎え入れるのを想像した。僕はザックが食べたことのないモンスター食をふるまう。また『モウルの腕』に食事に行ってもいい。ザックの知らないディーレレイン名物はいろいろある。僕は彼を案内してやって、そして……。
想像するだけなら楽しかった。僕は自分の寝室から食事の間、居室をぐるりとまわり、ザックの寝室の前で立ち止まった。
ザックに黙って王宮を抜け出すのは簡単ではない。僕が彼のスキルヤの相手だということはリ=エアルシェやマリガンに知られているから、王都の他の貴族にも広まっているにちがいない。僕がいなくなればザックは連中に不名誉な思いをさせられるかもしれない。
ザックは「スキルヤの誓い」はユグリア王国の古習で、神聖なものだと話していた気がする。だからこそ僕を守れるのだと。ということは、まだ正式な誓いをかわしていなくても、僕がいなくなるのはザックにとってプラスには働かないだろう。
そんなのは――嫌だ。ザックを置いていくなんて……僕はザックと離れたくない。
「オスカー?」
ふいに声をかけられて、僕は飛び上がりそうになった。ふりむくとザックが居室の真ん中に立っている。ひどく疲れているようだった。肩に力がなく、途方にくれているようだ。
「ザック、大丈夫か? 父上に何か?」
「いや、父は変わりない。眠っているだけだ。ダリウス王に会って……」
ザックはあいまいに言葉を切った。
「気分が悪そうだ。疲れているんだろう。夕食まで休んだらいい」
「ああ……そうだな」
ザックは僕の横を通りすぎ、寝室の扉に手をかけた。メイリンはどこにいるんだろう。呼んだ方がいいだろうか。
「オスカー」
「ん?」
「すこしのあいだ……そばにいてくれないか」
「あ? ああ……」
僕はザックのあとについて寝室に入った。窓のない部屋で、天蓋のある寝台は僕の部屋より大きかった。壁には赤と金を基調にした壁掛けがめぐらされていて、モザイクの床に敷かれた絨毯もおなじ色合いだ。
「眠ったほうがいい」僕は寝台を指さしていった。「ほら」
どこかぼうっとしているザックを寝台に座らせる。ザックはのろのろと靴を脱いだ。
「上着を脱ぐんだ。ついでに右腕をみせてくれ。問題ないな?」
ザックが大人しく上着を脱いだので、僕は彼の正面に立って右肩に手をかけ、左手で首に触れた。経脈を探しはじめたとたん、なぜか左胸がジンジンと疼きはじめた。僕はとまどいながらザックの右腕に手をすべらせる。軽く揉んでやると、ザックの口から気持ちよさそうな吐息がこぼれた。右腕にはなんの異常もみえない。
「だ、大丈夫だ。問題……ないな……」
いつのまにか僕はザックの手を握っていた。左胸の疼きは下腹部に伝わって、僕の息は熱くなる。きっと僕の中にある闇珠のしわざにちがいない。ザックから離れたほうがいい。そう思うのに僕はザックの手を離すことができない。
「オスカー……」
ザックがささやく。声が僕の両足を震わせる。そして――あっと思った時はもう、僕はザックの腕に抱きすくめられていた。
腰にまわった腕に引かれて寝台に倒れこむ。一度ひたいがぶつかったあと、おたがいに探し出すように唇が重なりあった。強く、激しく。おしつけられる唇にこたえて開いた口にザックの舌が入ってくる。
むさぼるような口づけに、左胸の疼きがもっと激しくなった。僕はザックの首に腕を回し、無意識に、もっと深くとねだった。ザックの舌に吸われるたびに体じゅうが狂おしく反応してしまう。
やっと唇が離れ、僕は目をあける。すぐ近くにザックの顔がある。上にのしかかる重みを感じる。どちらの体も熱かった。
「オスカー……すまない」
ザックがささやいた。何の話をしているのかわからず、僕はあわてた。
「ま、待て。なぜ謝るんだ」
「おまえに……本当に思う相手がいるのはわかっている。フェルザード=クリミリカでおまえを抱いた時……」
なんだって? 僕はわけがわからず目を見開いた。
「北迷宮で?」
「おまえが今のように俺の腕に触れたあと、蛇が俺をそそのかして――おまえを」ザックは一瞬言葉をとめた。
「おまえは俺をファーカルだと思っていた」
ファーカル。ザックの唇からこぼれた名前が僕を刺す。
きっとザックが話しているのは、あの時だ。僕が闇珠を取り戻した、野営のあいだの施術。
つまりあの時も、僕はザックと――したのか?
おぼえていない、という羞恥で頬がほてった。僕はぼそぼそと呟くようにいった。
「ザック、実は……実は、ディーレレインの施術でもおなじことが起きた」
ザックの眉があがった。
「なんだって?」
「た、たぶんこれは闇珠の副作用なんだ。相性がいいというか、反応があまりにも強いときの……。ディーレレインで施術したときは、おまえはそのあいだのことを覚えてなくて、だから……」
「オスカー」
ザックの眸が僕をつらぬくようにみる。
「俺はおまえが好きだ。ディーレレインで最初に会った時から惹かれていた」
僕は息を飲む。ザックはじっと僕をみている。彼の視線に縫いとめられて、目をそらすことができない。
「今はただ惹かれているだけじゃない。愛している。迷宮でおまえを抱いたとき、最初はおまえが応えてくれたのだと思った。すぐに勘違いだとわかったが、おまえに想う相手がいても、俺は……」
「ザック――」
「ファーカルはどこにいる?」
そういえばディーレレインの施術の時、ザックはファーカルの名前だけ覚えていなかったか。
僕が何度も呼んだせいだ。北迷宮でも同じことがあったにちがいない。
でも、ファーカルは――
「ファーカルはもういない」
僕は淡々と話そうとした。ザックの目がかすかに細くなる。
「彼はずっと前に死んだ。いわなかったか?」
「それでもまだおまえは彼を想っている。そうだろう?」
「ああ、そうだとも!」僕は息を吐きだした。
「僕はまだファーカルを愛している。でも……」
「オスカー?」
「おまえのことも……嫌いじゃない、し……もしかしたら、す、好きなのかも……だから…」
僕の体がこんなに熱くなっているのは闇珠のせいなのか、それともザックの熱のせいなのか。
「だからザック、おまえは謝らなくていいんだ」
そのとたん目の前が暗くなった。また唇を覆われていたのだ。ザックの舌が愛撫するように僕の歯をなぞってくる。指が僕の顎をたどり、耳に触れる。
いつのまにか唇は自由になっていたが、こんどはあたたかい舌に耳を弄られた。僕は小さく声をあげてしまう。甘い刺激をうけて、体のあちこちがザックを求めて疼きはじめる。もっと欲しい。もっと――
上に乗ったザックの体に腰をおしつけると、布越しに堅くなったお互いの中心を感じた。ザックは僕の髪やひたいに唇で軽く触れ、僕は彼の下で上着の釦を外しはじめた。下着の内側に入ってきたザックの手が胸の尖りに触れると、また声が出そうになって――
そのときふいに扉が叩かれた。
ザックと僕は寝台で重なったまま、動きを止めた。
「ザック様、夕食が参りました。オスカー様もそちらでしょうか?」
メイリンだ。
僕らはみつめあった。ザックは呻きともため息ともつかない声をもらし、体を起こした。
「ああ――すこし待ってくれ」
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