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第2部 ユグリア王国の秘儀書 28.ザック:赤い絨毯の上で
「こちらは栗をつめてローストしたひな鳥でございます」
給仕がオスカーの前に皿を並べた。いつもなら調理法や味付けについてあれこれたずねるのに、今夜のオスカーはうなずいただけで、頬に垂れかかる髪の房をあわてたように払う。ザックはオスカーをみつめすぎないように目をそらす。髪が乱れているのはさきほど寝台で起きた出来事のせいだ。
給仕とメイリンの冷静なまなざしにさらされて、昂った心と体は抑えられてはいる――が、皿の上に視線を落としたザックの脳裏には頬を染めたオスカーの顔と告白が浮かび、もはや何を食べているのかもさだかではない。
メイリンは黙々と食べている自分たちにただならぬ気配を感じているにちがいない。だが優秀な侍女は何も表情に出さなかった。オスカーがデザートの前に席を立つという異常事態を前にしても、である。
「ありがとう。今日はもういいよ」
オスカーが食事の間を出て行くと、ザックは驚いた表情の給仕に「デザートはあとでいただこう」といった。目だけでたずねているメイリンに「心配いらない」といって、自分も席を立つ。
オスカーの寝室は半開きになっていた。壁で輝くジェムの光が床にザックの影を落とす。浴室から物音が響いていた。ザックはしばし迷ったが、浴室の扉を叩いた。
扉は向こうから音もなく開いた。ザックの心臓が小さくはねた。オスカーがザックをみつめている。裾の長い寝間着を羽織っただけの姿で、隙間から裸体がみえた。
言葉は必要なかった。みつめあうだけでお互いの望みがわかった。
ザックはオスカーのおとがいにそっと指をのばし、唇を重ねた。口づけはさっきのように性急なものではなく、静かで甘く、長かった。そっと優しく唇をおしつけあいながらおたがいの体に腕を回す。ついばむように何度もたがいを味わい、舌をつつく。かきたてられた欲望に股間がきつくなる。
ザックはオスカーを壁におしつけながらベルトをゆるめた。顎から耳へ唇を這わせ、黒い痣にかこまれた左胸を指でなぞる。堅くなった胸の尖りをさするとオスカーの膝がかくかく震え、背中にまわった手がぎゅっとザックの服を引く。
「ザック、」
名前を呼ばれるだけで胸の奥が締めつけられるような気がする。もつれるような足取りで寝台まで行くのももどかしい。オスカーの寝間着をはぎとると、鳶色の髪が敷布に流れ落ちた。ザックは服を脱ぎ捨てる。おたがいの中心はとっくに上を向いていて、重なりあって深い口づけをくりかえすあいだ、おたがいの濡れた陰茎が擦れあった。
「あっ――」
左胸の尖りに吸いつくと、オスカーは腰をくねらせて甘い声をあげる。ザックは舌で愛撫を続けながら下肢に手をのばした。吸いつくような肌を口で味わいながら手のひらで陰茎を愛撫し、唇を下肢へずらしていく。
「あ、あ、あ――」
舌の刺激をくりかえすたびにオスカーは小さな声をあげた。いやいやをするように首を左右にふったと思うと、足をひらいたまま膝にひきよせる。秘められた蕾があらわになり、敷布の上で長い髪が揺れた。
誘惑する官能的な肢体をみつめ、ザックの呼吸が速くなる。すぐにもおのれを突き立てたい衝動をおさえ、枕元をみまわす。誰が用意したのか、求める瓶はすぐにみつかった。ザックは甘い香りの油で指を濡らし、ゆるゆると蕾の中をさぐる。
「ん……」
オスカーの息が荒くなり、腰があやしくうごめいた。
「あっ、ああ、そこっ――だめ、あ――」
そっと指を抜くとうらめしそうな眸がザックをにらむ。
「ザック……」
「ん?」
「もっと――」
オスカーは目元を赤く染め、ふいに顔をそらした。その様子にザックはついにこらえきれなくなった。
香油を猛るおのれに塗りつけ、広げられた蕾に押し当てる。最初の狭い輪から奥へ――そして、吸いついてくる襞がもたらす快感にたちまち自制を失った。
「あ……ああっ、んっ、ああっ、だめ、あん、ああっ――」
オスカーの声を聞きながら何度も腰を打ちつける。快感の頂点に昇りつめた瞬間、ザック、と呼ぶ声が耳をかすめた。ほんとうに求められているという甘い思いに体だけでなく心が満たされていく。
目覚めるとオスカーの長い髪がザックの頬に触れていた。
ザックは腕を伸ばして愛しい者を抱きよせ、おだやかな寝息をきいた。そのまま鳶色の髪を撫で、指のあいだにすべらせて感触を楽しむ。やがてそれだけで飽き足らなくなり、無意識のうちにオスカーのしなやかな腰に朝の昂ぶりを押しつけ、ひたいにそっと口づけした。
「ん……」
オスカーが吐息をもらし、まぶたがゆっくりあがる。
「おはよう」
ザックはささやいた。なぜかオスカーの目元が赤く染まった。
「あ、うん……」
ザックは目尻に唇をおしあて、耳へとずらしていく。他愛ない愛撫にもオスカーの体は震え、腕がザックの背中に回ると、なしくずしに朝の交わりがはじまってしまう。
ようやく支度をすませたふたりが食事の間へと出て行ったのは午前もなかばを過ぎたころだった。
メイリンはとっくに何があったか察していたにちがいない。テーブルには朝食とともに昨夜のデザートも並んでいた。
オスカーは豪奢な鳶色の髪を背中に流したまま、食事より先に菓子をつまむ。ザックがみつめているのに気づくと照れくさそうに頬をそめ、顔をそらす。そんなささいな仕草にもザックの心は浮き立ち、昨日の小宮殿の出来事も忘れてしまいそうになる。
しかしそんな甘やかなひとときは長くは続かなかった。食事をおえるのを見計らったように王の召使が離宮を訪れたのだ。オスカーを伴って主宮殿へ参上するようにとの伝言をたずさえて。
透ける黒いガウンのむこうで宝石のような青が揺れる。
メイリンが整えたオスカーの装いは完璧だった。ザックと並んで廊下を進む途中、行きかう人々は例外なくオスカーを見た。
王がふたりを呼び出したのは、ザックが日参していた謁見室ではなく、公式行事でしか使わない大広間だった。巨大な扉の前には黒に身を固めた騎士団の精鋭がずらりと並んでいる。いちばんむこうにカイン・リンゼイがみえた。突然オスカーが歩調をおとしてザックの耳元に唇を寄せた。
「ザック、ナイフを覚えているか?」
「ナイフ?」
「ディーレレインで僕の店を襲った連中が持っていたナイフだ。リ=エアルシェのしるしがあるとおまえが話した――」
オスカーは急に口を閉じた。ユーリ・マリガンが満面の笑みを浮かべ、ふたりをさえぎるように立っていたのだ。
「ザック・ロイランド。遅いな」
王のお気に入りの冒険者は気軽な口調でいった。
「時間通りのはずだが」
「そうか。陛下はおまえに会うのが待ちきれないらしい。陛下だけではない、皆もそうだ」
皆?
不審に思ったザックの前で大広間の扉がひらいた。
オスカーが小さく息をのんだ。広間の左右の壁はジェムの明かりできらめいている。赤い絨毯が奥までまっすぐに伸びて、玉座が置かれた段の上までつづいている。そして段の下の絨毯の左右には贅沢な服装の人々がずらりとひしめいていた。
五芒星、いや六芒星も含めた、マラントハールじゅうの貴族が顔をそろえているようだ。王から重大な発表でもあるかのように。
「冒険者ザック・ロイランドとオスカー・アドリントン」
大広間づきの侍従が大声で呼ばわった。ざわついていた人々が黙ったが、きついほどの視線がザックとオスカーに注がれる。
ザックはオスカーの腕をとり、前だけをみて絨毯の上を歩きはじめた。騎士団の靴の音が背後で響き、扉が重い音を立てて閉じる。
ただの謁見にしては大げさすぎた。いったいこれから何がはじまるのか、ザックには見当もつかなかった。マラントハールに戻ってからのダリウス王のちぐはぐなふるまい――自分にさしたる関心をみせない主宮殿の様子から、昨日のように、感情をむきだしにした小宮殿の出来事まで――はこれまでもザックを混乱させてきた。しかし今日は自分だけではない。オスカーも共にいるのだ。
絨毯の左右に広がる人々の圧のせいか、玉座まで永遠の長さに思えた。ザックは王の前で片膝をついた。オスカーがすぐそれにならう。
「陛下、参上いたしました」
「ふたりとも顔をあげよ。立つがいい」
ダリウス王の声は穏やかだった。昨日小宮殿で会話した王はほとんど狂っているかのようだったが、今日は実に落ちついて、口元には笑みすら浮かんでいる。ザックは途惑いながら王の命じるままに立ち上がった。オスカーもすぐザックに続く。
王は並んだ二人を前に歯をみせて笑った。ザックはますます途惑い、安心するのではなく警戒を強めた。昨日のダリウス王――いや、マラントハールに戻って以来のダリウス王とは別人のようだ。
「そこの者が、ザックがスキルヤを誓いたいという相手だな。名は」
「オスカー・アドリントンと申します」
王は玉座から乗り出すようにしてオスカーをみつめた。
「オスカーか。生まれはどこだ」
「海陸民でございます。生まれた島は何年も前に海中に沈み、放浪の末にこの地へたどりつきました」
「生成魔法を使うと聞いたぞ。ザックの腕はそなたが再生したと」
「はい。ディーレレインでは魔法技師として生計をたてておりました」
王がうなずく。口元はかすかにほころんで、いかにも上機嫌にみえる。
「ディーレレインはユグリアが誇る迷宮の町だ。迷宮の冒険者たるザックはそこで伴侶となるべき者を見出したのだな」
それは問いかけではなかったが、ザックは王をまっすぐにみつめて応えた。
「いかにもその通りです。陛下。父が昏睡状態ゆえ正式な誓いを立てるのは先になるかと思いますが、私の気持ちが変わることはございません」
王はザックと視線をあわせた。心の底をのぞきこもうとするような目だった。一見ほがらかな表情とは裏腹に、ザックには計り知れない何かをたたえている。いやおうなく小宮殿の出来事が思い出され、腹の中がざわざわと落ちつかなくなる。
時間にすればほんの数呼吸ほどだったにちがいない。
「なるほどわかった」重々しい声で王が告げた。
「ひとまずは私が、そなたのオスカーを仮のスキルヤとして認めよう。ふたりとも私の隣に立ち、皆のものに顔をみせよ」
玉座のそばへと手招きされて、ザックは王の意図を理解しないまま、オスカーの腕をとって段をあがった。王に一礼し、扉の方向を――赤い絨毯の左右にならぶ人々の方をふりむく。
大広間のいたるところでひそひそ声が広がっていた。
王が玉座の横にザック・ロイランドを立たせた意味をささやきあっているのだ。貴族たちのあいだにユーリ・マリガンの金髪がみえた。緑の眸には何の表情もみえないが、彼の寄せられた眉もまた王の意図をいぶかしんでいるようだ。
王は人々のざわめきも気にせず、玉座から立ち上がると高らかに宣言した。
「私は冒険者ザック・ロイランドと仮のスキルヤ、オスカーを祝福する。この場にいる皆も知っておくように」
どよめきがあがり、まばらな拍手が起きた。ロイランド家に最近起きた出来事を知る貴族たちのうち、ある者は途惑いを隠していなかったが、別の者はあきらかに喜んでいる。ユーリ・マリガンを意味深に振り返る者もいる。リ=エアルシェはなぜか満面の笑みをたたえてザックをみつめていた。
王は手をふって人々をしずめ、祝福のしるしにザックの肩に触れた。彼がまた玉座に腰をおろす前、低い声でささやかれた言葉はザックにしか届かなかったにちがいない。
「ザック、私はそなたを逃がさぬぞ」
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