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第2部 ユグリア王国の秘儀書 33.オスカー:生成の道すじ
アスラン・リ=エアルシェの態度は大いなる謎だったが、この夜会はそんなことをどうでもいいと思わせてくれるほど凄かった。
もっとも僕が知っている宴会といえばせいぜいが故郷の島の祭りだから、何をみたって圧倒されてしまったかもしれない。ファーカルが死んだあと、軍のお偉方に呼ばれてすこし豪勢な宴席に出たこともあるが、あれは思い出したくもない経験で、まわりまわって僕が軍を脱走するきっかけになった。
つまり僕が夜会なんてものに出席するのは今夜が初めてだ。メイリンによれば、アスラン・リ=エアルシェはマラントハールの貴族の中でもっとも豪華な催しをするという。屋敷は外見こそ他の建物とあまり変わらなかったが、一歩中に入ると宮殿よりもきらびやかだった。
僕はザックの隣に立って、まわりに群がってくる人々に挨拶をくりかえした。メイリンが相手に応じた何種類もの「挨拶作法」を叩きこんでくれたことには心の底から感謝しながら。そういえば、彼女がさまざまな情報に通じているのは、きっと他の貴族の使用人を通じてなのだろう。軍隊でもそうだった。情報に通じた将校にはメイリンのような従僕がいたものだ。
それはそうと、ここに来る前は僕のために用意されたきらびやかなローブにすこし呆れていたのだが、今は目の前の人の衣装に目を奪われたり、口をぽかんとあけないように気をつけなければならなかった。ずっと意識して顔をひきしめていたので、無情というか冷たい感じに見えてしまったかもしれないが、相手の反応をみるかぎり問題はなさそうだ。答えに窮する質問がくると黙って相手をみつめかえし、ちょっとだけ微笑む。するとなぜか向こうが困った顔になって、けっこうですといってくれる。
なんだかよくわからないが、とりあえずどうにかなるとわかったので僕は気分が大きくなった。そのとたん腹の虫が鳴きそうになったので、僕はザックの袖をひっぱった。離宮を出る前の軽食だけではこの夜はもたない。それにアスラン・リ=エアルシェは料理も自慢していたのだ。
実際、自慢するだけのことはあった。銀皿に載せられた料理は見た目も匂いも食欲をそそる。離宮で出されたメニューもあったが、これまでみたことのない前菜もあった。皿に取り分けてもらったところで、親しそうに話しかける女性に気がついた。
「ザック兄さま、いつマラントハールにお戻りになりましたの? この数日、とてもイライラしましたわ。お父様は何も教えてくれないの。だから自分で確かめに来ました」
目元のぱっちりした可愛い娘だった。足元へ滝のように流れる水色のドレスがよく似合っている。二十歳くらいだろうか。飾り立てなくても、溌剌とした雰囲気が他の連中からきわだっていた。ノラ・バセット嬢、とザックが紹介した。小動物が相手を見定めるようにじっとみつめてきたので、僕は微笑ましい気分になった。まったく似ていないのに、彼女はなぜかルッカを思い出させた。ザックにお兄さまと呼びかけているから妹なのかとたずねると、中途半端な答えが返ってくる。ザックのやつ、何をあわてているのか。
と、そこへマリガンが割りこんできたので、僕は皿を持ったままあさっての方向へ目をそらした。
食べ物が目の前にあるのにお預けをくらうのは好きじゃない。ザックに断って、庭園につながるテラスへ向かう。ユグリア式の庭園は幾何学模様に刈りこんだ植物のあいだを小石をしきつめた小路が回遊する様式のようだ。
座ったとたん近くにいたご婦人数名が会釈してきたが、会釈を返して皿にむかうと礼儀正しく顔をそらした。メイリンに教わったユグリア上流の作法――同席者でなければ、食事中の人に話しかけてはいけない――に僕はまたも感謝した。
リ=エアルシェが自慢するだけあって、食べ物はどれも最高だった。パイの皮は口にいれたとたん溶けるように消えてなくなり、ロースト肉を噛めば甘味のある肉汁が舌の上にあふれだす。紙のように薄くスライスした燻製肉には青菜と豆のペーストが包まれていて、青菜のかすかな苦みと豆の甘味が燻製肉の香気とまざりあう。
幸福な気分で皿から目をあげたとき、その男が目に入った。僕をじろじろと眺めている。見つめ返すとハッとしたように目をそらしたが、またすぐに僕をみる。小太りで背は低く、細い目をしている。黒いガウンを着ていたのでぴんときた。彼はきっとマラントハールの魔法技師にちがいない。
せっかくいい気持で食べていたのに、一方的に見られているのは気分が悪い。もう一度男がこっちをみたときをみはからって、僕は話しかけた。
「何か?」
「きみ、その首にかけているものは……ビスカス結晶ではないのか」
そうか。さっきから男がじろじろ見ていたのは僕の魔法珠だったのだ。僕は聞き返した。
「その通りだが」
男はぐっと腰をのばした。
「異国の者らしいが、生成魔法の神聖な道具を首飾りにするとはどういうことだね? どこでそれを手に入れたのだ」
僕はあっけにとられた。
「何をいってる。これは僕の魔法珠だよ。僕は魔法技師だ」
男の目がみひらき、一瞬パッと顔が赤くなったが、すぐに元に戻った。黒いガウンの前で腕をくみ、妙に偉そうな口調でいった。
「魔法技師だと? お若いの、そうやってすぐにわかる嘘をつくものではない。他の者にはわからなくても私にはわかるぞ」
「嘘? 何の話をしているんだ。これは僕の商売道具さ。ビスカス結晶を何年もかけて染めたんだ。師匠から独立して以来、ずっとこれで食ってる」
「馬鹿な。そんな小さなもので生成魔法が使えるというのか? おぬしはわれわれ、本物の魔法技師をたばかろうというのではないな?」
なんなんだこのおっさんは。みるといつのまにか周囲に人が集まっている。僕は腹が立ってきた。同業者なのに僕の魔法珠に難癖をつけるとは、どういうことだ?
「どうしてあんたを騙す必要があるんだ? 僕はディーレレインの魔法技師だ。あの町では五年商売してきた。疑うならみせてやるよ」
すると男はなぜか顔を真っ赤にした。
「何をいう! 生成魔法は神聖な技だ。商売などと、不届きな……こんなところでやれるはずがないだろう」
「は?」
僕は呆れていいかえした。
「生成魔法を使うのに場所もなにもない。経脈をつなげられればどこでも施術できる。それともマラントハールの魔法技師は特別な場所じゃなければ仕事ができないのか?」
もちろん、施術のときは邪魔されない場所があるにこしたことはない。でも僕は泥だらけの戦場でも生成魔法を使ってきたのだ。もっとも――
「まあ、もちろん腕や足をまるごと復活させるのはここじゃ無理だ。いますぐできるのは――たとえば耳とか、指一本とか。指は細胞賦活を誘発しやすいからな。そうだろう?」
「指?」
男は目をぱちぱち瞬いたが、そうしたからといってノラ・バセット嬢のように可愛らしくはみえなかった。
「そうだよ。今すぐここでやってやる」
「それならここにひとりいるぞ」
周囲のざわめきをはじきとばすように朗々と響く声がいった。僕は顔をしかめた。ユーリ・マリガンだ。まあでも僕が「指」といったのはもちろん、あいつの隣にいた人物が念頭にあったせいだ。
「このトバイアスはフェルザード=クリミリカで名誉の傷を負った。オスカー殿、再生できるか?」
トバイアスの黒髪とユーリの金髪、それにザックの白い髪がみえる。
「おい、ユーリ」トバイアスがあわてた顔をした。「やめてくれ」
「トバイアス、マリガン隊の長としておまえの指はそのままにしておけない。だがおまえはマラントハールの魔法院には行きたくないといった。オスカー・アドリントン殿はザック殿の右腕を再生したという話だ。マクロック殿に証明するためにもいいと思わないか?」
「おお、これはマリガン卿!」
黒いガウンの男がユーリ・マリガンの前に進み出る。
「そのようなことをおっしゃらず、私の魔法院に来ていただければいいものを」
「あなたは六芒星の内側で一番の魔法院にいらっしゃるからな、マクロック師。だがトバイアスは嫌だというんだ。怒らないでくれ、トバイアスは以前シグカント隊にいた。あの隊は頭が固い」
「なんだと」
ザックが気色ばんだ声をあげたが、マリガンは無視した。
「まあ、トバイアスの気持ちは私にもわかるんだ。マクロック師の魔法院に通って迷宮探索の機会をのがすのは惜しい。何年もかかるからな」
「何年も?」僕は思わず口をはさんだ。「体幹ならともかく、腕や足にどうしてそんなに時間がかかるんだ? それじゃ間に合わない」
とたんにマクロックが僕をにらみつけたが、マリガンは大げさな身振りで両手を叩いた。
「まあまあ、マクロック師は異国の魔法技師に興味を持っただけで、侮辱しようとしたわけではあるまい? オスカー殿、私もあなたの技を見てみたかったんだ。どうだろう」
「いいとも」僕は空いた椅子を指さした。「トバイアス、ここに座ってくれ」
期待に満ちた沈黙がおちた。いつのまにか見物人の数はさっきの数倍になっている。トバイアスは顔をしかめ、僕は実のところ、彼に悪いことをしたと思っていた。物見高い連中に負傷のあとを見られるなんて、嫌に決まってる。僕もこんな大勢の前でなんて思ってはいなかった。
トバイアスの指がずっと気がかりだったのは本当だ。いつだって人は失くしたものの代わりを見つけ出すことができるが、本当におのれのものを取り戻せるのなら、その方がいいにきまってる。それにトバイアスはザックの仲間だ。腕を失くしたザックが北迷宮に戻ろうとしたのはトバイアスを助けるためだった。だからザックは僕の店に来たのだ。
トバイアスはみるからにしぶしぶといった様子で腰をおろした。僕は首から魔法珠の鎖を外し、手首にひっかける。
「右手を出してくれ」
トバイアスは顔をしかめ、手を突き出した。欠けた親指と人差し指の跡が切り株のようになっている。
「触る。ゆっくり息を吐いて、吸ってくれ」
トバイアスに合うのはどの魔法珠だろうか? 触っただけでは何も起きなかったので、闇珠ではなかった。僕は魔法珠の鎖を指にひっかけ、水 、碧 、と順に試した。炎 の魔法珠が触れたとたん、はっきりした感触があった。ああ、これはわかりやすい。
トバイアスの目がとろんとして、まぶたがおちる。僕もなかば目を閉じて、自然に慣れた手順に入っていった。トバイアスの経脈はとても読みやすかった。ザックで苦労したから楽に感じるのかもしれない。それにマクロックにいったとおり、体の尖端部である指は細胞賦活が簡単なのだ。
僕はトバイアスの右手を握ったまま、それが炎のような橙色に包まれるのをみつめる。僕の力の刺激を受けて活性化したトバイアスの体に経脈から読み取った情報が流れこむ。この力は、あるべき姿に戻れと命じる。失くしたものは戻ってくる。おまえはおまえ自身を取り戻す。
おおっ、というどよめきにハッと我に返った。
僕はまだトバイアスの右手を握っていた。五本の指が僕の指に絡みあい、ぐっと握りしめる。僕は目をあげ、絡まった指を一本一本外した。
生成魔法がうまくいった瞬間は、自分が万能になったような気持ちになる。もちろんほんの一瞬だけだ。この魔法がほんとうにすべてを取り戻せるものだったら――僕は今ごろここにいないだろう。
「大丈夫か?」僕はトバイアスにささやいた。「取り戻したことに慣れるまで無茶はするな」
トバイアスはまっすぐ僕をみていた。ひどく昏い目つきで、指を取り戻したことを彼が喜んでいるのか、僕にはわからなかった。ほとんどの人間は、生成が終わった瞬間にやたらとハイになるものだが。
「マクロック師、ごらんになったか?」マリガンがいった。「オスカー殿の魔法技師の看板には偽りないようだ。いやはや、これはすごい」
なんだか周囲が騒がしくなった。僕を囲んでいた人々がいっせいに話しはじめたのだ。でも僕はそれどころではなかった。急に襲ってきた空腹のためか、頭がくらくらしていたからだ。軽く首を振ったとき、顔の両側に垂らした髪の房が首筋を撫でた。しまった、ずいぶん短くなっている。誰も気づいていなければいいがと思いながら目をあげたときだ。
誰かが僕をみていた。
いや、周囲の人はみんな僕かトバイアスをみていたが、その視線はちがった。僕はそろりとあたりをみまわし――背筋がぞくっと寒くなるのを感じた。
まっすぐに僕をみつめる灰色の眸。
(ハクスター。逃げられると思うのですか?)
死神。そんな言葉がまっさきに頭をよぎり、頭の中をくるくる回った。僕は自分でも意識しないうちに立ち上がろうとしていたが、目がくるくるまわってうまくいかない。膝がかくんと崩れそうになったとき、何かが僕の背中を支えた。
「オスカー」
「ああ、ザック……」
白い髪の下の傷跡をみたとたん途方もない安心感を覚えた。
「悪い。お腹が空いて……」
考えてみればもっと別のいいわけをしても良さそうなものだ。ザックの腕は暖かくて強かった。僕はほっとして体を預けた。
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