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第2部 ユグリア王国の秘儀書 35.オスカー:約束の重み

   *  独房の扉があくと連中がやってくる。 「おいよ、きれいな魔法技師さん」 「ほらほら、今日もいくぜ。尻をあげな」  僕は反応しない。連中の顔すらみない。だが彼らは頓着せず、引きずるようにして僕を立たせる。よたよたと歩かせて窓のない一室に押しこむ。 「さてさて、今日のお務めだ」 「おい、おまえ昨日も一番手だったじゃねえか」 「たりめえよ、最初がいちばん締まりがいい」 「そうかぁ? 毎日こんだけやられてりゃ、そうもいかねえだろ」 「んなこたねえって、こいつが誰のもんだったか知らないのか? なんと英雄ファーカル少佐だ」  でかい手がズボンをひきずりおろし、背中を蹴る。僕は尻をむき出しにして四つん這いになる。もう何日も、何人もの衛兵に犯されているので、いきなり陰茎をつっこまれても今は痛みも感じない。ただ揺さぶられるのが不快なだけだ。 「うぉっ、いいぜ……くーっ……」  僕の中で男が果てたと思ったら、あごを持ち上げられ、口につっこまれる。喉の奥をつかれてえずきそうになるが、僕を使っている連中は気にしない。 「こいつも馬鹿だよな。イグニン大佐のいうこと聞いてりゃ、俺らみたいなのに可愛がられなくてすんだのに」 「――私はここにいるが、おまえらは何をしている」  鋭い声と共に僕を支える手がなくなる。やっと息ができるようになるが、僕は放り出され、床に転がっている。と思うと堅い踵に蹴り飛ばされて、しこたまどこかに頭をぶつけ、ターバンを奪われて髪をつかまれる。僕は目をあける。 「オスカー・ハクスター、わかったか。営倉送りになるとどうなるか」  冷酷な目がみているが、僕は何も感じない。別の手が僕を立ち上がらせ、僕はまた別の場所へ連れていかれる。体を洗うことを許され、さんざん汚された軍服の代わりに清潔な衣類をもらうが、さっきよりましなのはそこまでだ。  大佐は自分の士官室で、僕の背嚢――商売道具の魔法珠や故郷から持ちだした品物一式――を返してくれたが、同時に鎖と猿ぐつわを持ち出す。今の彼は僕を舐めるようにみている。僕は髪を垂らしたまま立っている。  髪はずいぶん短くなっていた。もう肩のあたりまでしかない。だからどうというわけでもない。生成魔法は戦いに使えず、ファーカルの部隊で教えられた戦闘技術も今は無意味だ。 「ハクスター、直属の上官が戦死したからといって命令違反は許されない。そんなに俺の下につくのが嫌だとはな。まあ、ファーカルには何度もおまえを貸せといったが、いつものらりくらりと逃げられたんだ。あの野郎……」  僕が軍の出頭命令に従わなかったのは、イグニンが戦場に出ないからだ。魔法技師の仕事は大佐の元にいなくともたくさんある。だがイグニンが欲していたのは魔法技師ではなく、快楽を与える道具だった。  死んだファーカルは彼にとって目の上のたんこぶだった。終わらない戦争に明け暮れているハリフナードルの軍隊は、ある部分は清廉高潔で知られているが、ある部分は腐りきっている。  僕を鎖につないで嬲るのに飽きたある日、大佐はいう。 「今夜は俺と来い」  ファーカルが死んでから、僕は何も感じないようになっている。僕の心は半透明の膜で覆われていて、何をされても他人事だ。それでも軍服の下にひらひらした薄物を着るよう強いられると困惑する。連れ出された宴席にはニヤニヤ笑う男たちがいて、僕の口をこじあけ、酒と一緒に得体のしれない液体を流しこむ。イグニンが命令する。 「脱ぐんだ、ハクスター。おまえのいやらしい体をみせてみろ」  もちろんそれだけでは終わらなかった。  彼らは薄物の下に手を入れて、濡れた指で僕を撫でまわし、尻に淫猥な器具をつっこんだ。酒と一緒に飲まされた液体のせいだろう。あっというまに体が火照り、疼きはじめる。望んでもいない欲情でたちまち頭がいっぱいになり、その夜の僕は快楽のタガを外されてしまった。  イグニンは僕がファーカルを誘惑し、営倉でも他の兵士を誘ったと男たちに話した。嘘だと訴えることもできなかった。卑猥な器具を尻の奥に飲みこまされ、かきまわされながら、僕は彼らの陰茎を咥えて悦びでむせび泣いた。男たちの欲望に何度犯されても、腰を振ってもっとくれと懇願した。真っ白い快感の波に流されて、しまいにわけがわからなくなった。  淫靡な宴が最高潮に達した時、覚えているのは灰色の眸が僕をじっとみていたことだけだ。  宴の翌々日、その眸の持ち主はイグニン大佐の元にあらわれた。 「イグニン大佐、あなたの下にいるハクスターは神殿に仕えるべき者です」 「レリアンハウカー殿、冗談はやめてください。彼は懲戒を受けているとはいえ、軍人で――」 「出向という形にすればよろしいでしょう。イグニン大佐、神殿は軍の風紀に口出しはしません。特にあなたのような上級将校には。しかし――貴重な生成魔法の使い手をあのように浪費するのは見過ごせませんね」  上級神官のレリアンハウカーが将軍と通じているのは周知の事実だ。  イグニンは押し黙る。そして僕は死神のもとに送られる。今度は神殿で奉仕するために。  神殿はさらに悪い場所だと、その時の僕にはわかっていなかった。    *  悪夢は記憶を、忘れたつもりになっていた出来事を呼び覚ます。  僕はザックに何もかも話したりはしなかった。説明したのは、上官のファーカルが死んだあと、後任の命令に従わず、負傷した兵士に無断で施術をしていたこと。命令違反で捕まったあと神殿へ出向したこと、そこで受けた命令――生成魔法を使った奉仕が耐えがたかったので、どうにかして逃げ出したこと。ひそかにユグリアに、そしてディーレレインにたどりついたこと。だいたいそのくらいだ。 「ザック、僕は単にハリフナードル軍から逃げただけじゃない。僕は軍の上層部や神官の裏の顔――連中にとって都合の悪いことを知っている。国交がないユグリア、その辺境まで行けばみつからないと思った。でも――」  ザックは穏やかに僕の言葉を先取りした。 「マラントハールはちがったんだな」 「……ハリフナードル人すべてが僕を追っているわけじゃない。だがもし、僕を探している連中に出くわしたら、彼らは僕を脱走兵として捕まえる。ユグリア王や騎士団には僕を罪人だと訴えて、連れていくだろう」  僕はおまえが思っているようなきれいな人間じゃない、という言葉を僕は飲みこむ。話さなかったこと――ディーレレインにたどりつく前に僕がされたこと、したことを知ったら、ザックはどう思うだろう。失望するだろうか。  僕は生きなければならなかった。師匠は僕にエー=ケゴールのターバンを託した。僕は消えてしまった島の記憶そのものだ。  ハリフナードルの人間がこの国に――アスラン・リ=エアルシェの夜会のような場所にいるとわかった今、すこし前までの呑気な考えは改める必要がある。僕はできるだけ早くこの都を離れるべきだ。ザックを巻きこまないように、ひとりで。  僕はまたディーレレインに隠れられるだろうか? あそこで過ごした五年間は最悪の記憶を上書きしてくれた。僕の施術を喜ぶ鉱夫たち、ルッカやリロイのような新しい友達、僕を暖かく隠してくれる迷宮の壁……。 「オスカー」  ザックの声が僕の物思いをやぶった。 「おまえは罪を犯すような人間じゃない」  僕は小さく首をふる。 「そう思うか?」 「大丈夫だ」  ザックの声はあいかわらず穏やかだ。 「正式にスキルヤを誓おう。そうなればユグリア人と同じように王の庇護のもとにおかれる。ハリフナードルがおまえを追って来たとしても、王はおまえを渡すことはない。何があっても俺がおまえを守る。おまえはディーレレインに帰り、平穏に暮らせる」  正式に誓う? まさか。  僕らは寝台の上で向きあって座っていた。ここまで届くジェムの光はわずかで、ザックの表情は半分影のなかにある。僕は柔らかな羽根布団の上に座りなおし、背筋をのばした。 「ザック、スキルヤの誓いについてはメイリンに色々教えてもらった。これは一代限り、一度だけの婚姻契約で、どちらかが死んでも取り消せない。一度誓えば解消できない契約で、他の人間と結婚もできない。同性だから子孫もなく、財産はお互いだけのものとなる。血統を重視するユグリアでは異例の契約だ。だからこそ神聖とされ、正式な誓いを立てるまでの留保も許されている」  ザックはまばたきもせずに僕をみている。 「マラントハールに連れてこられた時、おまえは僕を守る方便としてスキルヤを持ち出した。そうだろう? 王様が仮に認めるなんてことをしたからややこしくなったが、仮の約束を本当にする必要はない。僕はたまたま、おまえの右腕を取り戻しただけの魔法技師で、おまえが思ってるみたいなきれいな聖人じゃないんだ。スキルヤは仮のままで――そのうち取り消したことにすればいい。今なら僕ひとりでこっそり王都を出ても……」  喉の奥に熱いものがせりあがって、僕はそれ以上話せなくなった。 「オスカー」ザックが静かに僕の名を呼んだ。 「俺とスキルヤを誓うのは嫌か?」  ゆっくり右手があがり、僕の頬に触れる。 「仮だろうが、方便だろうが、最初から俺がいいだしたことだ。この誓いがどんなものか俺はよくわかっている。俺はそれでいいと思った。おまえが欲しかったからだ。これまで誰にもこんな気持ちを持ったことはないし、おまえの過去になにがあってもかまわない。だから俺にとっては最初からただの方便ではなかった」 「ザック、でも――」 「ただひとつだけ……おまえがもういない人間に心を捧げていて、すでにスキルヤを誓っているのも同然だというのなら、無理強いはできない」 「ファーカルは関係ない!」  そんなつもりはなかったのに叫ぶような声が出た。思わず僕はザックの右手を握りしめていた。声にならない気持ちで胸の奥がきゅっと縮まる。 「ちがう、そうじゃないんだ。僕は……僕だって……でも、おまえはこの国の王になるかもしれないだろう? おまえは先王の子で、ユグリアの秘密――あの蛇を受け継いでいる。だから王はおまえを追放したり殺したりできないんだ。それに秘宝狂いの今の王ではなく、おまえを王にしたい者もいる。ハイラーエでおまえを狙っていたアスラン・リ=エアルシェはあんなに態度を変えたじゃないか。それなのにこんな時に異国のお尋ね者と切れない絆を結んだりしたら……僕と知りあってから半年も経っていないのに」  僕は言葉を飲みこんだ。ザックが最初に僕の店に現れたときのことはまだ記憶に鮮やかだった。こんなことになるなんて誰が思う? 僕がこんなにもザックを好きになるなんて、誰に予想できる?  僕は嘘つきだ。本当はひとりでこの都を離れたいなんて思っていない。ザックと離れていたくない。 「それが何だというんだ」  鼻がくっつきそうなくらいすぐ近くでザックがささやいた。 「いつ出会ったかなんて関係ない。おまえを愛している。俺はユグリア王国の臣民で、王家に忠誠を誓うのも、スキルヤの誓いでおまえに縛られたいと願うのも、俺の意思だ。オスカー、俺はおまえの答えがほしい。おまえが望むなら、明日にでも王の前で正式な誓いを立てる」  ジェムのかすかな光を受けてザックの白い髪が光った。喉がつまって声が出てこない。 「オスカー?」  僕はゆっくりうなずいた。 「わかった。わかった……」  その先は言葉にならなかった。おたがいの唇に飲みこまれてしまったからだ。きつく舌を吸われて、僕の体から力が抜けた。そのまま寝台に押し倒されたあとも、僕はザックの背中に腕を回し、夢中で口づけを続けていた。  舌が絡みあう音のあいまに、指で耳を探られ、うなじをなぞられる。僕に重なったザックの体は熱く、おたがいの欲望が布ごしに触れあった。それだけで僕の奥が甘く疼きはじめて、たまらない気持ちになる。唇が僕の体をていねいに侵略し、敏感な部分をみつけだしては、熾火であぶるように責め立てていく。胸をなぞり、尖りをつまみ、僕自身を含んで、ちろちろと舐めあげる。 「うんっ、あっ、ああっ……」  ザックの唇であっさり達してしまっても、長い指に体の奥をひらかれると僕の中はぐずぐずに溶けた。かするような愛撫がもどかしく、もっと熱いものが欲しくて、僕は大きく足をひらく。上にいる男をみつめ、眸に浮かんだ欲望の影をたしかめる。怒張が僕を押し開き、ゆっくり中に入ってくる。  ザックが奥へ進むたびに快感がつきあげてきて、たまらず漏れた声はまた唇に塞がれる。内側をつらぬく雄は強く僕を揺さぶりつづけ、高いところへ連れていくのに、口を撫でる舌と手は優しい。  最初からそうだった。ザックは僕を好き放題にした連中とも、ファーカルともちがった。求める相手に求められているのが嬉しくて胸の奥がせつなく疼く。苦しいくらいだ。そして僕は、ザックをほんとうに愛してしまったのだと気づく。

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