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第3部 レムリーの至宝 2.ザック:王の迷宮探索隊

 指先に鳶色の髪をからませたまま、ザックはとろとろと眠りの闇におちようとしていた。快楽を放ったばかりの体は心地よい疲労にくるまれ、満足した心は夢ともうつつともつかないはざまの領域をさまよっている。  ふと、どこからか声が聞こえたように思った。遠くの岸辺から吹き寄せる風のような響きだった。 (継承者よ、この人間といつまでも共にいたいか?)  とたんにザックは自らの腕のなかにいるオスカーを意識した。もちろんだ、と答えようとしたが、喉や口、いや、ザックの体そのものが消え失せたように、言葉を発することができない。それでもザックが念じた内容は奇妙な文字の形をとって宙にうかんだ。  当然だ。そのために俺は誓印を赤く染めた。  声の主に奇妙な文字はすぐ伝わったらしい。 (ではこの者にも鍵をあたえてほしいか?)  鍵? 何の鍵だ。 (継承者のくせにわからぬのか? 門の暗号鍵にきまっている。この者を都の外へひとり置いておきたくないなら、われに命じろ。鍵を与えてやろう)  声のはらむ傲岸不遜な響きがザックは気に入らなかった。内容の意味もわからない。暗号鍵? 何の話だ。  だが、ひとり外へ置いていくという言葉は聞き捨てならなかった。声の意味することがなんだろうと、そんな事態はごめんだ。  わかった。おまえに命じる。オスカーに鍵を渡せ。  念じたとたん、赤い光点がふたつ宙でまたたいた。金色に輝く蛇がザックの前で頭をもたげ、巨大な口をひらく。白銀に輝く牙のあいだに光る道がまっすぐのびている。    *  ザックが目を覚ましたときオスカーはまだ眠っていた。ザックの肩にもたれるように頭をよせて、穏やかな寝息を立てている。  ほとんど無意識の動作でザックはその髪に触れ、指をからませた。眠りのまぎわに奇妙な夢を見たような気もするが、内容はまったく思い出せない。何者かと重要な会話をしたような気がする。むろんただの夢だ。何が起きたとしても現実とは関係ないが、妙に気にかかる――  寝台のとばりの外に人の気配を感じて、ザックはそっとオスカーから体をひき、布をひきあけた。窓のない部屋は暗かったが、右手を扉の方へ突き出したとたん、部屋の外でメイリンが中を窺っているとわかった。主人を起こすべきか迷っているのだろう。  待て。なぜそんなことがわかる?  この数日、ザックは自分の感覚が以前より鋭敏になったのをぼんやり感じていた。冒険者に必要な魔法の素質がある者はもとより気配に敏感だ。しかし探知魔法を使うつもりがないときですら、意識を軽く向けるだけで壁の向こうの様子を悟ってしまうとなると、話はかなりちがってくる。  立ち上がろうとしたとたんオスカーが寝返りをうった。閉じたまぶたの長い睫毛をみつめながらザックはふと思い出した。オスカーの生成魔法で右腕を再生した直後、それに北迷宮で再会したあと。今と同じように、自在に魔法を使えるような感覚が突然生まれなかったか?  つまりこの変化にはオスカーの魔法が関係している? それとも……?  とばりの中にオスカーを残し、ザックはそっと寝台をはなれた。探知や防御といった魔法は走ることや跳ぶことに似ている。訓練し鍛えて伸ばすことはできても、なぜそれができるのかはわかっていない。オスカーが目覚めたら話してみたいものだ。  一度はそう思ったものの、寝室を出て身支度をはじめるとその考えは頭の隅に追いやられてしまった。今のザックは王の迷宮探索隊を組織するのに忙しかったのである。 「準備はどうだ、ザック? ディーレレインのギルドから返事は来たか?」  ダリウス王がせかせかとザックに訊ねる。小宮殿には今もあの巨大な顔、サタラスが鎮座しているが、何度かここへ通ううちにザックはすっかりこの不気味な像に慣れてしまった。父はあいかわらず目覚める気配もないが、その原因となった王や謎の機械への怒りは忙しさに紛れている。 「はい。サニー・リンゼイが到着しだい打ち合わせをすることになっています」 「サニー・リンゼイ――騎士団のカインの弟か」  王の機嫌はすこぶるよかった。幾日も眠っていないかのような顔色も平常に戻っている。自分の名前を冠した探索隊の隊長にザックを任命すると同時にロイランド家の謹慎を解いたため、ザックはようやく父の身柄をロイランドの屋敷に移すことができた。 「隊員は結局どうするのだ? ザック、あの薄情なマリガンをどう思う。私の隊に加わりたくないといったのだぞ!」 「私が陛下に隊長を拝命したからでしょう」  ザックは冷静に答えた。 「マリガン卿は指揮官の器です。ひとつの隊に指揮官はふたりも必要ありませんから、妥当な判断と思われます。マリガン隊は陛下の部隊と同時期に小編成の隊を出すそうです。中層で大型モンスターに遭遇した時は側面支援を依頼できるでしょう」 「そうか……そうだな」  王はまばたきし、子供のようにうなずいた。秘宝狂いと呼ばれていても探索隊の実務にはうといのだ。ザックはむしろマリガンの判断に安堵していた。マリガンは配下の冒険者たちに、王の探索隊に加わりたければ脱隊してもよいとも告げている。自分の耳目となる者をザックの指揮下に加えたいのだろうが、メイリンからその情報を聞いた時、真っ先にザックの頭に浮かんだのはトバイアスの顔だ。マリガンに何を吹きこまれていてもかまわないから、かつての副官が加わらないかと一度は思った。  今回の探索隊で、ザックはいまだ達した者のいない高層階へ向かうつもりだった。お互いの呼吸を知り尽くしたトバイアスがいれば心強いにちがいない。しかし今のところ、マリガン隊の者は誰も志願していない。 「陛下、今日も秘儀書を拝見してよろしいでしょうか」  ザックが告げると王は渋い表情になる。 「いまさら許可を求めなくてもよい。どうせ私にはわからんのだ」 「まさか。陛下がお許しにならなければ意味はありません」 「そうか? そう思うか?」  追従をいっているつもりはなかったが、秘儀書や秘宝の話題に関しては、ダリウス王からは冷静さがかき消えてしまう。そのせいかザックはときおり、子供の機嫌をとるように王に話してしまうことがあった。ダリウス王はけっして愚鈍ではない。わずかな文献を元にサタラスのような機械を作り上げる頭脳をもっているのである。しかしこれこそが迷宮狂いと陰口を叩かれるゆえんでもあった。  秘儀書と呼ばれる王家の宝物の前にザックが進み出ると、王は顔をしかめて目をそらす。球体が輝きとともにその中に秘められたものをザックに示しはじめると、我慢できないようにちらちらとザックをみるのだった。  ザックが秘儀書――古代よりユグリア王家に伝えられてきた魔法機械――に接するのは今日で三度目である。今のザックにはこれがフェルザード=クリミリカの頂点に達するためのガイド、見取り図だということがわかっていた。この前に立つたび、まるで心に刻みこむかのように、まだ訪れたことのない迷宮の構造が自分の中へ入ってくるのだ。  そうだ――これさえあればダリウス王の望みどおり、迷宮の至宝へ到達できるだろう。  ザックは秘儀書から退き、王を目で探した。ダリウス王はサタラスのそばに立ち、顎に手をやって考えこんでいる様子だった。 「陛下」  呼びかけたザックへ驚いたように目をあげる。 「終わりか?」 「はい」 「ザック、明日の晩餐は私ととるのだ」  今度はザックが驚く番だった。とまどいを察したのか、ダリウス王は鷹揚に手を振った。 「堅苦しく考えずともよい。おまえのオスカーの顔をみておきたいと思っただけだ。連れてきなさい」 「……かしこまりました」  ザックは深々と頭をさげ、王のもとを辞した。

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