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第3部 レムリーの至宝 3.オスカー:ユーリ・マリガンの秘密

「オスカー様、みて。ザックお兄さまもここで試験を受けたのよ」  トスキエラ訓練所の広い中庭を歩きながらノラ嬢が誇らしげな口調でいった。 「ノラも受けたんじゃないのか?」 「はーい! 見事合格しました」  ノラは嬉しくてたまらないという顔で、左右に並んだ大岩のあいだをずんずん歩く。白線の内側に規則正しくならぶ四角い岩は迷宮の岩壁を模したものだ。ユグリア王国の冒険者ギルドで迷宮探索の許可を得たい者は、みんなここで探知魔法と防御魔法の試験を受けなくてはならないのだ。  そういえばザックと北迷宮を行くとき、そっくりな色の岩をみたような気がする。岩のあいだを抜けていくと物見台のような塔があって、てっぺんではユグレア王国の旗が風になびいていた。  トスキエラ訓練所の隣には冒険者ギルドの本部がある。ユグリア王国では、本物の(つまりギルドに正しく所属した)冒険者を名乗る者は、どんな辺境育ちだろうと最初はここに来なくてはならない。  僕はディーレレインの冒険者ギルドをずいぶん立派だと思っていたが、迷宮のそばにあっても単なる支部にすぎないのだ。王都マラントハールの六芒星にどかんと鎮座する本部はディーレレインに輪をかけて立派だったし、ディーレレインの広場が空いていると感じるくらい、人でこみあっていた。  ノラに聞かされてはじめて知ったのだが、ギルドは単に冒険者に免状を出すだけでなく、定期的に呼びもどして魔法の訓練をさせていた。みるからに育ちのよさそうな新人の若者から、ディーレレインをうろついていそうな海千山千の風貌をした古参まで本部にいるのはそのせいか。だからここではギルドが提供する最新情報だけでなく、さまざまな噂話も集まる。  もちろん王様の迷宮探索隊の話はとっくに広まっていたし、王命で隊長になったザック・ロイランドと僕がスキルヤを誓ったことも、すれちがう人みんなが知っているようだった。なにしろ僕の顔をみたとたん「あっ」という表情になるのだから、そう考えるしかない。  マラントハールではみんな行儀よくふるまうんだな、と僕は思った。ディーレレインなら住民たちにもみくちゃにされ、あれこれ質問されているはずだ。やはり大都会はちがう。  ところがノラにそういったら「それって、アスラン様のせいかもしれません」と返された。僕はぽかんとした。 「アスラン・リ=エアルシェの? なんで?」 「アスラン様、オスカー様にほんとに参ってますから。お屋敷に祭壇まで作ったって噂ですよ」 「はぁ? 何それ、何のため」 「オスカー様の無事を祈る祭壇ですって。それにリ=エアルシェ商会で装備を仕入れる冒険者にも、オスカー様に迷惑をかけたら今後の取引はなしといってるとか。だからみんなそっとしておこうって思ってるんです」 「あ、そう……」 「アスラン様ほどでなくても、夜会でトバイアスさんの指を再生したところをみた人たちはみんな、オスカー様に感動しています。ザックお兄様の隊に志願者が押しかけているのもきっとそのせいよ。私だってやっかまれているくらいです」 「……どうして?」  僕はまたぽかんとしたが、ノラはケラケラと笑い声をあげる。 「もちろん、このノラ・バセットがオスカー様の登攀訓練のお相手を仰せつかったからです。冒険者になりたいなんて馬鹿みたいって私の陰口叩いていたご令嬢がたが羨ましそうにみてるのって、気持ちいいですね!」  あ――そうなのか。しかしノラには陰にこもった雰囲気はなく、逆にこの状況を楽しんでいるようだった。それなら助かったと僕は思った。何しろ今日は朝食後ずっと、ノラと一緒にトスキエラ訓練所にいて、ロープの結び方にはじまる壁登りの基礎や、モンスターと遭遇した時の心得や戦い方などを教授してもらったのである。  最初はザックが直接教えたがったのだ。準備で忙しいのにやめてくれ、と僕はいった。すると例によって気の回るメイリンの助言が入り、ノラ嬢に付き添ってもらうことになった。  正直いって、ザックではなくノラに教えてもらって正解だったと思う。ザックに手とり足とり教えられるのは、今の僕の心臓にはあまりよろしくない。ノラは喜んで引き受けてくれたし、大胆な物言いは面白く、しかも外見に似つかわしくない剛腕の持ち主だった。  彼女も王様の迷宮探索隊に加えてもらえないだろうかと僕は内心思ったが、口には出さなかった。ノラも行きたがっているようにみえたが、何もいわなかった。僕の相手をするだけでやっかまれているのなら、その方が賢明だろう。夜会にいたような令嬢たちに加え、冒険者にまであれこれいわれることになったら大変だ。 「それにしても、冒険者ってたくさんいるんだな。ディーレレインで僕がみかけた十倍はいるような気がするよ」 「でもギルドがこんなに賑わうようになったのはダリウス王陛下からなんです。ユーリ様がマリガン隊を作った頃は、こんなことはなかったって。前は見向きもしなかった人たちがトスキエラに来るようになったのは自分のおかげだって、自慢してたの」  ノラはあっけらかんとした口調でいったが、僕はユーリ・マリガンの名前にひっかかった。 「ノラはマリガンと親しいの?」 「親しいっていうほどでも――ユーリ様は女の人と仲がいいけど、私はそうじゃないから」  ノラはあっさりいった。自分が女の子じゃないかのような口調だ。 「でもユーリ様は親切なんです。私、最初にトスキエラに入所しようとしたとき、門前払いされそうになったの。たまたまユーリ様がそこにいて、そんなのはだめだっていってくれたから、追い返されずにすんだのよ。そのあともコツを教えてくれたり、よく話をしました」 「へえ。意外だな」  僕は心の底からそういったのだが、ノラは急にひそひそ声になって「実は私、ユーリ様にすごく小さなころに会っているの」といった。 「父がリ=エアルシェ商会に用事があって、理由は忘れたけど私も一緒にいたのよ。私は商会の前で、知らない冒険者の荷物につまづいてしまった。怒鳴られたところで店から出てきたユーリ様がかばってくれたの。田舎からトスキエラに来て、冒険者になったばかりだっていってた。とても若かった。つぎだらけの服を着ていたけど、背中の袋には立派な鞘に入った剣が入ってた。ユーリ様が私の前でしゃがんだからみえたの。かばってくれたのに、私は泣いてしまった」 「よく覚えているね」僕は感心してたずねた。 「マリガンはそれがノラだってわかってるの?」 「さあ、どうかしら。訓練所で前に会ったことがあるって話したけど、わからないっていわれたわ。それに今のユーリ様は駆け出し冒険者時代なんて思い出したくないのかもしれない。陛下にも信頼されて、すっかり宮殿の偉いひとになってるし、社交界では洒落者で通ってるものね。お古の服を着ていたなんて、覚えていてほしくないのよ」  ユーリ・マリガンに悪い印象しか持っていなかった僕だったが、ノラの話を聞くといいやつのようだ。もちろん人間にはいろいろな側面があるものだ。それにしても王のすぐ側で偉そうに立っている今のマリガンからは、貧しい時代があったなんて想像もつかない。ひと振りの剣だけで王都に来たのだろうか。覚えていてほしくない、というノラの言葉は当たっているのかもしれない。  中庭の出口についたとき、ちょうど正午を知らせる鐘が鳴った。 「オスカー様、お昼はどうします? ギルドに食堂もあるけど……」  ノラがたずねた。みるとはかりごとでもあるような、いたずらっぽい目つきをしている。 「他にあてがあるのかい?」僕は聞き返した。 「六芒星でちょっと前に開店したレストランがあって。父に行きたいっていったらとんでもないと怒られたお店だけど、オスカー様はお好みかもしれないと思うの」 「どんな店?」  ノラの声はさらに小さくなった。 「ハイラーエ料理を出すレストランなんです。ディーレレインからモンスター肉を直送してるって……」  とたんに僕の心は舞い上がった。モンスター食を出す店が王都にあるのか。いや、そういえばまえに誰かがこの話をしていたような……誰に聞いたのだったか。 「モンスター食なら僕も大歓迎だよ」  ノラは輝くような笑みをうかべた。 「ありがとうございます! 嬉しい、一度食べてみたかったの!」  というわけで、僕らはいそいそとトスキエラ訓練所を出た。

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