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第3部 レムリーの至宝 8.ザック:迷宮案内人の真髄

 ユグリア王国の冒険者ギルドの起源は、アララド王の時代よりもっと前までさかのぼる。  当時のユグリア王国にはハイラーエ以外にも、気候の厳しさや害獣のために未踏で残された山地や沼沢地帯があった。冒険者ギルドはこういった地域の探索を進めるため、ユグリア王家が当時の大商家を通じて作らせたものだ。  各地に置かれたギルドは王都の本部の出先機関で、冒険者に物資の調達や貸付、争いの仲裁も含めたさまざまな便宜をはかる。やがて一帯の探索が進むとギルドの周辺には冒険者以外の住民がやってきて、開拓をはじめる。新しい住民と入れかわりに冒険者は去り、その地のギルドの役目は終わる。  しかしディーレレインの冒険者ギルドの状況は、他の地方とはまったくちがった。  ハイラーエの探索は他の地方とちがって、冒険者が束になってかかれば終わるようなものではなかった。南北の迷宮ではボムとモンスターによって多くの冒険者が命を落としたが、発見された古代の秘宝は王都で珍重され、みつけた者には名誉がもたらされた。さらにリヴーレズの谷で採掘されるジェムとその利用法があきらかになると、ハイラーエの探索はより重要な意味を帯びた。  冒険者と鉱夫とハンターが集まるディーレレインは、終わらない迷宮探索とユグリアに富をもたらすジェムによって拡張を続けた。そのおかげでディーレレインの冒険者ギルドは各地のギルドよりかなり規模が大きく、仕事量に比例してギルドの職員も多かった。王都から派遣される幹部以外はみな現地雇用だ。その中には元冒険者や元ハンターもいた。  シグカント隊の隊長だったザックにとって、ディーレレインの冒険者ギルドは迷宮のつぎに馴染み深かった。といっても、それほど長くいたことはない。ラニー・シグカントは隊員に報酬をはずむかわり、町に滞在することを禁じていたからだ。 「ディーレレインは迷宮やジェムをめぐる要素の集積点だ。町に入るなというのは、トラブルに巻き込まれないためだ」と、ラニーはザックに語ったことがある。ザックが納得していないのをみてとってか、さらに付け加えた。 「王都から離れているために見過ごされがちだが、あの町のギルドには王や貴族の耳目が入りこんでいる。今は王位が継承されたばかりだからなおさらだ。言動にはくれぐれも気をつけるように」  冒険者になるといったとき父もそんな話をしていたと、あのときザックは思い出したものだ。フェルザード=クリミリカで襲撃されたあと、ヤオ医師のもとで傷を癒していたときにも、ザックはラニーと父の言葉を何度も考えた。  フェルザード=クリミリカでトバイアスを囮にしてザックを拿捕しにあらわれたのはカイン・リンゼイだ。  実をいえば、謀反の疑いで自分を捕えよという命令がほんとうにダリウス王の意思から出たものか、ザックはずっと疑っていた。王は古代の魔術機械に夢中で誘導にひっかかりやすく、それはこの探索隊の準備中にザックですら不安になるほどだった。  秘宝を献上して王の意を買っているユーリ・マリガンも迷宮の襲撃に関わっている可能性はまだ捨てられなかった。しかし迷宮で直接ザックを襲ったのはリ=エアルシェの手の者で、これについてはラニーがはっきり名前をいっていた。  さきほど聞こえてきた兄弟の険悪な会話から察するに、やはりカイン・リンゼイはリ=エアルシェ商会と何らかの利害関係がある。今のアスラン・リ=エアルシェはオスカーに心酔しているから、ザックを陥れようとしたことは忘れたようにふるまっているが、王都の権力の思惑はこのギルドの中でも誰かの手によって働いていたはずだ。  シグカント隊が襲撃されたとき、冒険者ギルドには奇妙なことがいくつかあった。もっともおかしなことは、シグカント隊の探索記録が抹消されていたことだった。だからザックはあのとき、ギルドではなくヤオ医師と迷宮案内人(ガイド)を頼ることにしたのだ。  岩壁に囲まれた小さな部屋で、ザックは今そのことを思い出している。 「ザック・ロイランド!」 「ルッカ=エルダー。また会えて嬉しい」  ディーレレインの迷宮案内人元締めで、町のまとめ役のひとりでもあるルッカ=エルダー。ヤオ医師のもとで養生していたときに出会い、北迷宮へ戻るというザックにオスカーを紹介した人物だ。オスカーは彼を「ルッカの親父さん」と呼んでいた。ガイドとして町を駆けまわっている息子もおなじ名前である。  ディーレレインに到着したら彼に会えないかと、王都を発つ前にサニー・リンゼイに頼んでいたのだ。ザックは右手を差し出し、壮年の男と手をにぎりあった。太い眉の下で聡明そうな眸がきらめく。 「右腕があるな、ザック。王の探索隊で戻ってくるとは、まさかあんたがそうなのか?」 「何の話だ?」 「グレスダ王の血筋だ」  ザックはハッとして目をみひらき、反射的に隣に立つサニー・リンゼイをみやった。しかし金髪の青年に驚いた様子はなかった。かわりに呆れた声を出しただけである。 「親父さん、出会いがしらにおかしな冗談はやめてください。僕が留守にしていたあいだにいったいどんな噂が流れてるんです?」  サニー・リンゼイも彼を「親父さん」と呼ぶのか。王都の貴族の出身のわりに、ずいぶんこの町に馴染んでいるらしいと、ザックは何となく心にとめる。迷宮案内人は快活な笑みを浮かべた。 「ハハハハ、こりゃ悪かった、サニー」  眸にひらめいた真剣な色は一瞬で消えていた。 「グレスダ王の真の後継者があらわれて、ダリウス王がそいつを本物か試すために探索隊を結成した、フェルザード=クリミリカの頂点に行けるのはユグリアの正しい後継者だけだから――こんな噂だよ」  サニーは肩をすくめた。 「あいかわらずこの町の人は想像力が豊かですね」 「そういうな」ルッカ=エルダーは金髪の青年の肩にぽんと片手を置く。 「しばらく前からギルドのまわりで珍しいことがいろいろ起きていただろう? グレスダ王の印を持った冒険者が腕をなくしたり――」男はザックに意味ありげな視線を向けた――「あるはずの書類がなかったり、王の黒騎士がやってきたり、かと思ったら今度は王の探索隊だ。ま、事実はなんにせよ悪い噂じゃない。この町はもともとグレスダ王ひいきだ。おまえさんもそうだろう?」  冗談のように発せられた言葉だったが、サニーの表情は硬くなった。 「僕の話はいいですよ。じゃあ、まだ忙しいので」  さっと身を引き、不満そうな声と共に出口へ向かう。ルッカ=エルダーはどこか愉快そうな目つきで青年を見送ったが、扉がしまるとあらたまった様子でザックをふりかえった。 「さて、ザック――まだこんな態度で大丈夫かね?」  ザックは眉をあげた。 「というと?」 「さっきの話だ。俺はグレスダ王の御子の前にいるんじゃないのか」  自分の前でいきなり膝をついたヘイス・ラバルバが思い出され、ザックはため息をつきそうになった。俺がグレスダ王の血をひくことはいつから宮廷の「公然の秘密」だったのだろうか? 俺自身すら知らなかったのに? 仮に自分がグレスダ王陛下の子だとして、母が誰かもわからないのに? 「やめてくれ。冗談じゃない」 「ほう」  ディーレレインの顔役はにやっと笑った。 「困らせるつもりはない。おまえさんは現王陛下じきじきの命令でここにいるのだし……ただ、前に会った時におまえさんがこうむった災難の理由を確認しておきたくてね」  ザックはうなずいて椅子を指さし、自分も腰をおろした。 「ルッカ=エルダー。あのときは本当に世話になった。町を離れた時はまともに礼をいうこともできなかったから、話したかったんだ」 「いやいや、ジェシカを通じて礼はもらったよ。しかし気前が良すぎないかね」  冒険者ギルドに置いていた私物を預かってもらったのは、これもルッカ=エルダーの紹介で知った雑貨屋の女主人だった。ソリード広場ぞいの店の奥には冒険者のための貸金庫がずらりと並んでいる。 「オスカーにも同じことをいわれたが、そうなのか? 足りないよりはましかと思ったが」  ザックの言葉に迷宮案内人は両腕をひらき、あきれた仕草をした。 「おまえさんはディーレレインの相場をもっと知った方がいい。それはそうと、オスカーはどうした? あんたを追って北迷宮に行ったきりだと聞いてる」 「もちろん、その話もしようと思っていた。オスカーは大丈夫だ。フェルザード=クリミリカで俺と会って、共に王都に行った。実は――」  ザックはオスカーとスキルヤを誓ったと告げようとしたのだ。ところがルッカ=エルダーはザックの声を制するように片手をあげた。 「じゃあ、オスカーはおまえさんと一緒なのか?」 「そうだ」 「それならいい。というのも、オスカーを詮索している連中がこの町にいてな」 「――なんだと?」 「それがどうも――様子がおかしい奴らでな。ユグリアの人間ではないし、いなくなる前にオスカーの店が襲われたのもあって心配していた」  ――ユグリアの人間ではない。そう聞いたとたん、ザックの脳裏にオスカーの怯えた表情と声が蘇った。 (僕は脱走兵なんだ。ハリフナードルの軍と神殿はまだ僕を追っている)

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