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第3部 レムリーの至宝 9.オスカー:再会の屋台飯

「オスカー!」  名前を呼びながら背中へぶつかってきた相手を僕はふりむき、向こうと同じくらいの勢いで「ルッカ!」と叫んだ。その拍子に手からホカホカの紙包みが地面に転がり落ちる。おっと! あわてて目で追ったが、ルッカの方がすばしこかった。十六歳の迷宮案内人はさっとかがんで饅頭を拾った。 「びっくりさせるなよ」  思わずそういったら、ルッカはさっと頬を赤らめ、口をとがらせた。 「それはこっちのいうことだろ! どこに消えたか心配してたら、屋台で饅頭買い食いしてんだから」 「ちがう」僕は心底真面目にいった。「饅頭は買っただけだ。食べるのはこれから」 「そういう話してんじゃないってば!」 「ごめんごめん。さっきディーレレインに着いたばかりなんだ。三日ぐらいで戻るつもりだったのが、いろいろあって……今は店の様子を見に行くところだ」  ルッカは呆れたように首をふったが、僕に饅頭の包みをさしだした。 「はい」  僕はまだあたたかい饅頭をひとつとり、残りをルッカにおしつけた。 「ひとつあげるよ。ルッカ、ちょっとつきあわないか」 「歩きながら食べようって誘い?」 「そう。留守のあいだ町がどうだったか聞きたいんだ」 「こっちこそオスカーが何してたのか聞きたいよ」  ルッカはぶつぶついったが、結局ついてきた。僕は片手で乗り物を引きながら饅頭をほおばった。もちもちふかふかの生地の奥にあふれる肉汁、パズーのとろける肋肉、ぴりっとした癖のある香り――ディーレレインの屋台饅頭はやっぱり最高だ。 「さっき着いたばかりって、ソリード広場は通ってないよね?」  ルッカが指を舐めながら訊ねた。 「ああ、飛行艇で来たんだ」 「飛行艇?」ルッカの声が裏返る。「まさか谷に降りた王様の冒険者隊の?」 「うん。王の探索隊に加わることになってる」 「え、じゃあ店はどうするんだよ? だいたいオスカーは冒険者じゃないのに」 「魔法技師として加わるんだ。店はしばらく閉める」 「なんでそんなことに?」  もっともな問いだったが、僕は答えを迷った。リロイに説明するのも大変だったが、ディーレレインの路地を歩きながらルッカに話していると、さらにとりとめなくなりそうだ。 「話すと長い。客のアフターケアで迷宮に行くだけのつもりが、いろいろあって。マラントハールにしばらくいたんだ」 「王都なんて行ったことないよ!」ルッカは目を輝かせて僕をみる。 「どんなところだった?」 「大きくて――豪華だった。王様の宮殿がある区域には大きな庭園がいくつもあって、自由に出入りできる。王都の冒険者ギルドは隣に訓練所がある。フェルザード=クリミリカにそっくりな岩壁で訓練したりする。王都の魔法技師にも会った」  とそのとき、ルッカの歩調が一瞬おそくなった。 「オスカー、まさかと思うけど、ディーレレインの店を閉めてどこかに行くの? 王都で開業するとか?」  僕は吹き出した。 「それこそまさかだ。早く帰れなかったのは……王様の探索隊に入ることになったからで、準備に手間がかかったんだ」 「そうか。じゃ、オスカーの店に異国人が来たのも、ディーレレインから引っ越すからじゃないんだ」  ほっとしたようにルッカはいったが、僕の背筋はびくっとした。 「異国人?」 「うん。レイリンに聞いているところにたまたまいたんだ。フードをかぶった旅人で、オスカーにはちっとも似てないんだけどさ、とにかくユグリア人じゃない」  隣人のレイリンは雑貨屋をしている。またも背筋が嫌な感じでぞくっとした。僕はそっとたずねた。 「そいつ、何を聞いたって?」 「ここは何の店だとか、主人はどこへ行ったんだとか、そういう話らしい。強盗が入ったあとだったし、レイリンは怪しんでろくに答えなかった。ああ、オスカーの店は大丈夫だよ。親父にいわれて三日に一度は見に行ったし、レイリンも気をつけてるって」 「そう」  僕もほっと息をつく。 「ルッカ、その見回り、まだ続けてもらわなくちゃいけない。今日も店の様子をみたらすぐ冒険者ギルドに戻るんだ。またこっちに戻るまでは手間賃を払うよ。親父さんにも話しておいてくれ」 「え、今日も冒険者ギルドに泊まるの?」ルッカは意外そうに目をみひらく。 「ああ。ハンターを決めたら出発するんだ。解体屋も同行してほしいって話になってる」 「そうなの?」十六歳の迷宮案内人は眉をよせた。「それちょっと――間が悪いかもしれない」 「何かあったのか?」  ルッカはガイドとしては新米だが、狩人の動向には耳が早い。赤ん坊のころからおかみさんに抱っこされてモンスターの素材市場に出入りしていたせいか、有力ハンターはみんなルッカを知っている。 「うん。三日ほど前から大型モンスターが続けてオリュリバードの地底層にあらわれるんだ。ユミノタラスも出たし、ユソフヘザルも、牙獣が群れで出ることもあったって」  なんだって、ユミノタラスが? 北迷宮で一度だけみた大型モンスターの姿が僕の脳裏によみがえった。 「本当に? だったらオリュリバードは観光ツアーどころじゃないな」 「おかげで南迷宮はガイドもあがったりさ。それに最深部の地底湖ではロアセア家の雇い人がファブーを囲いこんでるだろう? 荒らされちゃたまらないって、ハンターのチームを交代で雇ってる。ユミノタラスが何頭も来たらひとりふたりじゃ足りないし、一頭でも狩れたら分け前もいいし、腕のいいのはたいていそっちに行ってると思う。ロアセア家ってほら、金払いは悪くないし」  ファブーはハイラーエでは珍しい魚類モンスターだ。ふつうは湖の底のあたりに棲んでいるのだが、何かの拍子に水面近くまできたファブーを浅瀬に追い込んで囲っている者がいるのである。  そういえば王都のモンスター料理店はロアセアがやっているのだったと、僕は思い出した。メニューにファブーはみかけなかった気がするが。 「たしかに間が悪いな」僕はぼやいた。 「ボムがいっぱいの北迷宮へわざわざ行きたいやつはいないって?」 「うーん、まあね。昨日も一頭仕留めたって、肉市場が賑わってた。大型モンスターを狩ると解体屋も忙しくなるだろう? だからガイドはいま、観光客に市場めぐりと解体ショーを案内してる」  なるほど、さすが迷宮案内人。みんなちゃっかりしている。 「お客さんの反応は?」 「一生に一度の経験ですよっていったら喜んでた。すごい匂いだけどね」  たしかに観光客にとってはそうにちがいない。ユミノタラスはずっと幻のモンスターだった。僕だって誘われればついていくだろう。 「――ってことは、地底湖をめざしてるハンターをその手前でスカウトすればいいってことか。まあ、雇うのは冒険者ギルドだし、報酬はいいから、誰かいるさ。ルッカの親父さんにも聞いてみる」 「あ、親父ならいまギルドに行ってるよ」  ルッカが思い出したようにいった。 「親父さんが?」 「うん。隊長に呼ばれたって」  そういえばザックを僕に紹介したのはルッカの親父さんなのだ。なんだか遠い昔のことのような気がした。  観光客の予約が入っているというルッカと別れて、まもなく僕は店がある横丁にたどりついた。一見さんお断りの通りは人影もなく、出発した時からちっとも変わっていなかった。  十旬日かそこら留守にしたくらいで何も変わるはずないのだから当然かもしれないが、それでも心の底からほっとした。レイリンの雑貨屋はちょうど閉まるところで、僕はすべりこみで挨拶に成功し、ついでに竜骨スティックをたくさん仕入れた。  店の中はルッカのいったとおり、何一つ変わっていなかった。土間に靴を脱ぎ捨てて奥へ行けば、大釜も施術台も出た時のままだ。時間が止まったような静けさに包まれて、ふといちばん最初にザックと肌をあわせたときのことを思い出した。  あれはこの施術台の上だった。僕は自分でも知らないうちに、ザックと……。  ザックの腕が腰にまきついてくるような気がして、頬がかっと熱くなる。僕はあわててその場を離れ、小さなねぐらへ上った。寝台の下からルキアガの鱗と紙幣を取り出し、ローブの隠しにしまう。下に戻って貯蔵庫を物色し、香料入りの塩とウナイの出汁粉、、もったいなくて秘蔵していたカダスミーダのフレークを竜骨スティックの包みに押しこむ。  次にここに戻った時も今と同じようでありますように。扉をあけるまえにもう一度ふりむいて、僕は心の中で祈った。僕はディーレレインの魔法技師だ。この先フェルザード=クリミリカで何が起きたとしても、戻ってくるつもりだった。

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