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第3部 レムリーの至宝 10.ザック:ギルド食堂の日替わり定食

 どん、と鈍い音を立て、ザックの目の前に壺が置かれる。 「お待たせしました、本日の日替わり定食、こちらのテーブル人数分です! 壺スープと麦団子はおかわり自由です!」 「早いな」ザックの隣でオスカーがいった。 「座ったばかりだぞ」 「あらかじめ人数を伝えていましたから」  ザックの向かいでサニー・リンゼイが答えた。フリモラレスト号で到着した一行は冒険者ギルドの食堂で夕食にありついたところだった。カイン・リンゼイの姿だけがみえない。  はじめてディーレレインの冒険者ギルドに来た者は受付で食堂がどこにあるかを案内される。ここには資格のある冒険者以外に観光客や冒険者志望も見学に訪れるからだ。朝昼晩の三回、決まった時間にのみ開き、開くときも閉まる時も、入口に吊るされた銅鑼が鳴らされる。  日替わり定食といってもここで出される食事はいつも同じだ。陶器の壺入りスープの隣に並ぶのは湯気のたつ根菜と麦団子の深皿と、薄切りの燻製が載った鉄板、それにパンの籠と水のピッチャー。同じテーブルにつくのはザック、ノラ、オスカー、サニーの四人だが、両隣のふたつのテーブルも隊員で埋まっている。  ここだけみると賑わっているようだが、ギルドの食堂は広く、他のテーブルは空きが目立つ。しかしザックにとってはいつものことだった。シグカント隊の頃も探索の最初と最後にいつもギルドで食事をとるが、混んでいなくてありがたい、くらいに思っている。  ラニー・シグカントは迷宮探索のあいだ、ディーレレインの町に立ち寄るなと命じていた。だからシグカント隊は王都から飛行艇で直接往復するあいだ、補給も食事もすべて冒険者ギルドですませていたが、いつも文句をいっていたトバイアスとちがい、ザックは不満に思ったことがない。  ディーレレイン初来訪のノラはもちろんこの食堂も初めてだから、並んだ料理を物珍しそうに眺めていた。ザックの隣に座るオスカーは深皿の方に身を乗り出している。彼はルッカ・エルダーがザックと別れた直後、食堂の銅鑼が鳴る直前に戻ってきた。 「あ、僕がやりますよ」  サニー・リンゼイがノラを制して、慣れた手つきで他の三人に取り皿を配った。続けて壺のスープを取り分けはじめる。 「ここは定食をこんな風に出すのね」  ノラがそうつぶやくと、オスカーが「マラントハールのギルドはちがうのか?」とたずねた。 「王都では一人前ずつ持ってきてくれるもの。他のお料理屋さんと同じよ」 「バセットさん、ここは雑なんです」  サニーがそういいながら取り分けたスープの皿を回す。「あとは勝手に取ってください」と宣言し、さっさと自分のパンと肉をとった。ノラとオスカーが手をのばしたので、ザックも残りを皿に分けた。  ノラがスープをひとくち啜る。隣に座ったサニーが「どうです?」とたずねた。 「うん、まあ――おいしいです」 「無理しなくていいですよ、バセットさん。ここは味も雑なんで量で勝負してるんです。でも滋養はありますし、値段は王都の五分の一です」 「そんなにちがうの?」 「もっと高いメニューもありますが、冒険者向けじゃないので」  ノラは怪訝な表情になった。 「どういうこと?」 「他のメニューは観光客向けなんだ」オスカーが麦団子をつつきながらさらりといった。 「秘宝箱と爆弾丼だろ」 「え? それって――」ノラはさらにとまどった声になる。 「いったいなんですか?」 「南迷宮体験ツアー客向けの冒険者ギルド謹製弁当があるんだ。秘宝箱は早朝出発一日ツアー用のランチボックスで、爆弾丼は半日コース客向け、冒険者は食べない」  このふたつのメニューについては、ザックは話に聞いたことしかなかった。シグカント隊が食堂を使う時間には提供されないからだ。サニーがちらっとオスカーをみた。 「詳しいですね、オスカーさん。この食堂に来たことがあるとは思いませんでした」 「来たのは今日がはじめてだよ。ルッカや親父さんに聞いたのさ。いい稼ぎになるらしいじゃないか」 「それ、美味しいんですか?」  ノラの問いにオスカーとサニーが同時に首をふる。 「記念ですからね、味じゃないんです味じゃ――って、オスカーさん食べたことないでしょう」 「だから、見た目はがんばってるってルッカに聞いたぞ」 「だから記念なんですって。秘宝箱も丼も専用で、迷宮探索記念に持ち帰ってもらえる仕様です。これも昔はなかったんですよ。ギルドの食事といえばこの日替わり飯だけで、観光客が来るようになってもギルドに売りがないってルッカ・エルダーにいわれて、僕が考えたんです」 「え?」  オスカーがスプーンを宙でとめたが、これはザックも初耳だった。 「きみが考えたのか?」 「じゃあどうしてモンスター食を入れなかったんだ?」  ザックとオスカーに続けざまにたずねられ、サニーは真面目な顔で答えた。 「モンスター肉については企画書には書いたんですが、王都の本部に却下されました」 「なんで? うまいし栄養あるぞ」 「ディーレレインの人にはそうかもしれませんが、王都からきた冒険者は苦手な人も多いですからね。モンスター食めあての観光客はソリード広場に行くし。それにモンスター肉は価格変動も大きいので……ぜんぜん迷宮にあらわれないことがあるでしょう」 「たしかに、市場に肉が出ない時はあるな。出てもハンターと冒険者次第だし――あ、ハンターといえば」  オスカーがハッとしたようにザックをみつめる。 「ルッカに聞いたんだが、ロアセア家の雇い人が地底湖でハンターを雇いまくってるらしい。知っていたか?」  サニーが苦いものでも食べたような顏をした。 「その話、僕はついさっき聞いたばかりです。ロアセアの連中ときたら、いつもこうなんだ。|ギルド《うち》を通さずに勝手に人員を集めるんだから……」 「ロアセア家って、王都にレストランを出したところね? オスカー様と行ったお店」 「ノラ、そのサマっていうのやめよう。なんか恥ずかしいから」 「ではどうお呼びすればいいんですか? ザック兄さまのお相手なのに」 「呼び捨てでいいんだよ。僕はただの魔法技師なんだから」  しかしサニーはロアセア一族に思うところがあるのか、オスカーとノラのあいだのやりとりがまったく耳に入っていない様子である。 「僕がギルドに入ったころは今後ロアセアは大人しくなるだろうといわれていたんです。ダリウス王陛下が秘宝探索に熱心でしたから。でも結局噂どまり――というか、噂そのものがリ=エアルシェ商会から出たみたいですから、単にロアセアを牽制しようとしただけなんでしょう。リ=エアルシェはディーレレインではなかなか商機をつかめなかったので――あ、申し訳ありません、隊長」  サニーが急に口をつぐんだので、ザックはうなずいた。 「どうした? 続けてほしい。興味深い話だと思う」 「兄から聞いた話なので、僕はたいして知らないんです。とりあえず問題はハンターですが……」 「サニー」  オスカーが突然横から口を出した。 「このメニュー、日替わり定食なんだろう? 明日はどこが変わるんだ? 肉の種類とか?」 「スープの具が日替わりです」 「具? それだけ?」 「それだけです。それよりオスカーさん、ハンターですが……」 「うん、その話なんだが」  いつのまにかオスカーは皿の上にあったものをきれいに平らげている。格別美味しそうに食べていたわけでもなかったが、食欲は健在らしい。 「明日の朝ヴォイテクに会いに行こうと思う」 「ヴォイテク?」サニーが顔をしかめた。 「あの気難し屋ですか? でもヒイシアのトロッコはハンター専用で、ギルド(うち)とはあまり関係が……」 「僕が会った時はぜんぜん気難しくなかったぞ。ヒイシアのトロッコ線に乗せてくれた」 「ええ?」  驚くサニーを尻目に、オスカーはこともなげにいった。 「まえに彼の足を生成したんだ。そんなことよりサニー、大問題があるぞ」 「もしハンターがみつからなかったらどうするかって話ですか?」 「ちがうちがう。この日替わり定食だよ! スープの具だけで日替わりなんて、それはあんまりってものだろう」  サニーは呆れたように目をみひらき、ついでわざとらしく肩をすくめた。 「今回の探索が終わったら、ギルド職員として改善提案をしますよ。どうです?」  オスカーはおごそかにうなずいた。 「きっと冒険者も気に入るさ」  ザックに割り当てられたギルドの宿舎は他の部屋より広かったが、窓はなかった。どこからともなく音や声が響く通路とは対照的に、いったん扉を閉めてしまえば静寂に包まれる。  シグカント隊の頃のザックなら、食事を終えた後は翌日に備えて早めに休むところだ。しかし今夜のザックは迷っていた。寝台に腰をおろしてしばし思いをめぐらし、一度は閉じた扉をまたひらく。 「オスカー」  隣の部屋の扉を叩くと、隙間から鳶色の髪がのぞいた。 「ザック。どうした?」 「いや……その、顔をみたくて。俺の部屋に来ないか」  オスカーは微笑んだ。「行くよ」  ザックのスキルヤは髪を巻く布を解いていた。通路でこそ我慢していたが、扉が閉まるとザックの手は勝手に伸びて、オスカーの頭に触れている。絹糸のような髪をさぐってもオスカーは拒まず、逆にザックの胸に頭を押しつけてきた。  そのまま体をひきよせて、そっとひたいに口づける。オスカーの背中がわずかにふるえた。 「これから迷宮に入ったら……」  オスカーがそっとつぶやく声をきいて、同じことを考えていたのがわかった。迷宮の野営でふたりきりになる時間は当分作れないだろう。  腕にオスカーを抱きしめると、ザックの胸の奥は安堵でいっぱいになる。実をいえば、ディーレレインに戻ってもオスカーがまだ自分の隣にいることがザックにはいまだに少しだけ信じられないのだった。最初はオスカーを無事にこの町へ帰すため、それだけのつもりだった。だがオスカーはまた、自分と共に迷宮へ入ろうとしている。 「なあ、ザック、おまえの正体はもうこの町でも知られているぞ」  腕の中でじっとしたまま、オスカーがいった。 「俺の正体?」 「ああ。おまえはグレスダ王の血を引くことを証明するために迷宮へ行くと思われているようだ。ユグレア王国は僕が思っていたよりずっと――陰謀だの、噂話が多いんだな」 「――好きにいわせておけばいい」  それはザックの本音だった。秘宝に対するダリウス王の執念はたしかに度を越しており、貴族たちの支持を失う原因にもなっている。だからこそ王の代わりに――秘儀書の継承者として――迷宮へ向かうことにしたのだ。王位のためでも、国を覆すためでもなかった。 「俺が誰の子だろうがダリウス王陛下に背く気はない。それより俺が気がかりなのは……オスカー、おまえのことだ」 「僕の? なぜだ?」 「フェルザード=クリミリカでは必ずおまえを守る」  ザックがそういったのはオスカーの追手らしき者がこの町にもいると知ったせいだが、腕の中でオスカーはくすっと笑っただけだった。 「何をいいだすかと思ったら……おまえはユグリアの秘密、迷宮の道を知っているんだ。王様の願いをさっさと叶えて戻るさ。僕が心配なのはおまえがまたうっかり手足を落とすことだ。まあ、そんなことがあっても、僕が元に戻す」 「……ああ」  ザックはそっと唇を重ね、オスカーの吐息をのみこんだ。おたがいの舌を愛撫するうちに欲望がますますつのり、ふたり同時に寝台に倒れこんだ。乱れた鳶色の髪に指をからめると、オスカーは甘い吐息をもらし、ザックに腕をなげかける。 「ザック、おまえは死なない」  魔法技師のささやきは歌か、祈りのようにザックの耳にくりかえし響いた。 「おまえは、死なないとも……」

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