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第3部 レムリーの至宝 11.オスカー:谷を照らす最初の光

 ザックの唇が僕の首筋から肩の骨をたどり、左胸の尖りをついばむ。それだけでじんじんと全身に響くような感覚があって、僕はシーツに投げ出した爪先をよじる。敏感な突起を愛撫する舌に耐えていると、こんどは油をまとわりつかせた指が僕の中をやさしく暴きはじめる。快楽がくるところをおさえられたとたんに腰が跳ね、頭の中で星が飛ぶ。僕は足をひらき、腰をゆすって、ザックが来るのを待ちかまえる。肉棒の先端でじらすようにつつかれると、知らず恨めしい目つきになってしまう。 「ザック、はやく――」 「オスカー……」  ザックはため息のような声で僕を呼び、ぐっと腰を押しつけた。指ではとどかない奥をえぐられたとたん、足先から脳天までしびれるような快感につらぬかれる。  こんな風に求めあう相手ができるなんて、ほんの少し前までは思ってもみなかった。  ザック、おまえは死なない。  いや、そんなことはありえない。僕らはいつか必ず死ぬ。でもザックはファーカルのように僕の前から突然いなくなったりしない。なぜなら僕がさせないから。  眠るときは自分の部屋に戻るつもりだったのに、僕は裸のまま夜を明かしてしまったらしい。がたがたと揺さぶられたような気がして目をあけると、あたりは真っ暗だった。ぬくもりに触れ、ザックの腕が僕の肩を抱くのを感じた。 「何があった?」  ささやくと音もなく小さな灯火があたりを照らした。ザックが黙ったまま谷の方角を指でさしている。耳を澄ましているようなので僕もそのまま聞き耳を立てた。だが何もわからない。 「ザック?」 「さっきのは飛行艇の振動だ。フリモラレスト号が動いている」 「飛行艇が? だが……僕らはシルラヤの岩壁まであれで行くんじゃなかったか?」  たしかにそう聞いたはずだ。ふつうなら、ザックがひとりで北迷宮に戻ろうとしたときのように、ディーレレイン経由の冒険者はリスのトロッコ線で終点まで行き、シルラヤの岩壁まで行軍する。だがシルラヤの岩壁近くには飛行艇が一旦停止するのにちょうどいい岩場があるのだという。王都から飛行艇でやってくる探索隊はそこからシルラヤの岩壁下へ直行するのだそうだ。 「ああ――俺の勘違いならいいが。とにかく見てこよう」  ザックは寝台からおりるとすぐそばの椅子から衣類をとって着替えはじめた。僕はそのときになって、昨夜脱ぎ散らかしたはずの僕の服一式がまとめられていることや、体を清められていることに気づいた。 「ザック、僕もいく」  ザックは時計の方へ目をやった。 「やっと夜が明けたところだ。休んでいろ」 「いや、ノラに朝日がさす瞬間の谷と空中庭園を見せるって約束してる。もう起きてもいい時間さ」  僕は急いで服を着てローブを羽織り、ターバンを首にかけた。そっと通路に出ると、どこからかかすかな音が響いている。人の声も聞こえたが内容までは聞き取れなかった。宿舎を抜けてもう少し広い通路に出たとき、あわただしくこっちへやってくるサニー・リンゼイに出くわした。 「隊長、フリモラレスト号が――」 「誰が出したんだ? カインか?」  サニーの表情が目に見えて暗くなった。 「操縦士と兄の部下の騎士は全員いません。兄が一刻も早く王都に戻りたがっているのは知っていました。僕の落ち度です」 「そういうな。ディーレレインまでは飛んだのだから陛下の命令に背いたわけでもない。リスのトロッコ線を使おう」 「わかりました。トロッコ線が動きしだい、車両を手配します」 「サニー、ザック、待てよ」  すばやく進行する会話に僕はどうにか割り込んだ。 「その前にヴォイテクのところへ行こう。でも僕とノラが戻るまで待ってくれ」  リヴーレズの谷に光が射しこむ時刻は季節によって変わる。夜が明けて最初に谷を照らす光は峰にさえぎられてすぐに消えるが、その後も太陽がちょうどよく峰を避ける時間だけ、断続的に谷を照らす。谷に光が射す正確な時間は毎年ディーレレインで発行されるぶあつい年報に載っていて、冒険者ギルドにも置いてあった。  谷を照らす最初の光を見に行く観光客はあまりいないと話したら、ノラはむしろ最初の光をみたいといった。さすが冒険者になるだけはある。とはいえそろそろ出発しないと間に合わないのだが、ノラは大丈夫だろうか。  まさにそう思った時、あくびまじりの声が僕の背中でいった。 「おはようございます……みなさん、早いですね……」  ディーレレインに来て五年経っても、リヴーレズの谷を照らす最初の光は僕も一度しかみたことがない。その光は峰と峰のあいだから奇跡のように谷に射しこむ強い緑色の輝きで、ジェムの採掘跡を細長く照らす。  トロッコ線が動いていないから、谷は静まり返っている。最初の一瞬は宝石のように鮮やかで濃い緑色だ。光は深呼吸するほどの時間のあいだに若葉のような黄緑色になり、もっと柔らかく澄んだ色になる。谷の他の場所に光は当たらないから、まるでカバーで覆ったランプでそこだけ照らしたかのようだ。しかし何度かまばたきするあいだに、最後はうっすらと淡い緑になり、ふっと消える。そして谷はまた影に覆われる。  どうしてこんな色になるのか。僕はリロイに訊ねたことがあるが、色や絵具にうるさい画家の彼にも答えられなかった。ガイドによってはこれをディーレレインあるいはハイラーエの七不思議に数える者もいる(ちなみにこの町で「七不思議」と呼ばれるのはいくつもある。ガイドが自分の得意な範囲で選んで観光客に話すせいだ。  朝の澄んだ空気のなかでノラはほうっと息をつき「すごいものをみた気がします……」と呟いた。 「ザック兄さまは見たことあるんでしょうか?」 「さあ……」僕はちょっと考えた。「ディーレレインの町もろくに知らないから、ないんじゃないか?」 「どうして一緒に来ないの? あ、私がいると邪魔でしたね!」 「ノラ、あっちへ行こう。空中庭園はそろそろ明るくなる」  僕はオリュリバードの方向にノラを促した。早朝ツアーが中止になっているせいか、観光客はほとんどいない。空中庭園の奇岩がしらじらとした朝の光に浮かび上がっている。ノラの目が輝いたが、僕のめあては他にあった。 「あった! ノラ、リドルホの目覚ましを買おう」 「目覚まし?」  ノラがたずねたが、僕はもう、ロクロのように回転する焼き型を積んだ屋台の前に立っていた。焼き型の向こうに立っているのは年配の女で、ちらっと僕をみて「いくつ?」とたずねる。 「ふたつ――いや、八つ。袋はふたつにわけてくれ」  店主はうなずき、両手に持った長い棒をくるくる回る焼き型に突き刺した。肩と腕が踊るように動いたと思うと、さっと手を返して棒をもちあげる。棒の先にはこぶし大の白い繭のような固まりがくっついている。店主が皿の上で棒をふると、繭は棒の先からころりと落ちた。 「もう固まってるけど、壊れやすいよ」 「知ってる、ありがとう」  僕は硬貨を支払い、紙袋をふたつ受け取った。ノラにひとつ渡すと「軽いですね?」と驚いたようにいう。 「ひとつ食べてみて」 「ええ……」  ノラは不思議そうな顔で白い繭を齧った。大きくみえても口にいれるとたちまち溶けるから、あっというまになくなってしまう。 「甘い――あっ」ノラは口元を押さえた。目が驚きでみひらく。僕は笑い出した。 「口の中ではじけるだろう?」 「え、ええ――いったいどうなってるんですか?」  僕もひとつとって齧った。舌に触れた瞬間はただの砂糖菓子だと思う。甘くておいしい――と思ったとき、パチッと冷たいものがはじけ、清凉が鼻を通り抜けて目までしみる。 「発明好きはロアセアだけじゃない。あの店主は元鉱夫のおかみさんで、回ってる焼き型は夫の考案らしいけど、秘密を聞き出せた人はまだいない。この屋台でしか売ってないんだ」 「リドルホって、これを考えた人ですか?」 「いや、昔の冒険者だ。壁を登ってるときに居眠りをしてボムで死んだ伝説がある」 「……なるほど」 「一袋ヴォイテクに持っていこう」  僕はノラを案内して奇岩のひとつに登ったが、リロイが住む岩にはまだ明かりがついていなかった。遅くまで絵を描いていることも多いと聞くから、まだ寝ているのだろう。空は刻一刻と明るさを増していく。  景色を堪能したノラと一緒にギルドへ戻ると、食堂の前に冒険者が列をなしていた。  リドルホの目覚ましは腹にたまるようなものではない。僕はそのまま列に並ぼうとして、列の外にどこかで見かけた男がいるのに気がついた。これといった特徴はない。でもあの、尖り気味の耳には覚えがある。 「どうしました?」 「ちょっと用事がある」  僕はノラをおいて列を離れた。  あの耳、あいつだ。観光客みたいな顔をして僕の店を探していた男。たしか二度目にみたときは観光客みたいな辛子色のマフラーだかスカーフだかをつけていた。冒険者ギルドにいるってことは、やっぱりただの観光客じゃなかったのだ。  僕は朝飯をめざす冒険者に逆行してその男に追いつこうとしたが、サニーと立ち話をしているのをみてあっけにとられた。 「あ、オスカーさん。戻ったんですか」  サニーが僕に気づいて手をあげる。追いかけていた男はふりむき、僕をみると昔馴染みのような顔で会釈した。 「ちょうどよかった。ティレワンを紹介します」 「ティレワン?」 「僕の同僚です」  なんだって? ギルド職員?  僕はうろんな目つきで男をみた。 「おまえ、僕の店のまわりを嗅ぎまわっていただろう? 観光客のふりして。覚えているぞ」 「ああ、すみませんね」  ティレワンは何のうしろめたさもない声でいった。 「あんときはいろいろと調べものをしていたんですよ。書類が紛失するとか、腕を失くした冒険者が出たとか、いろいろあったもので。にしても魔法技師さんはよく覚えてますねぇ。俺って目立たないのが特技なのに」 「オスカーさん、ティレワンは怪しげにみえない怪しげな人なんですが、本当は怪しくはないです」  サニーが平然といった。相手はあきらかに年上なのにずいぶんないいかたで、僕は吹き出しそうになった。 「僕もフェルザード=クリミリカに行くので、留守のあいだの僕の仕事はティレワンがやります。こうみえてもトラブルの時は頼りになりますから」  ティレワンがあっけにとられた顔をした。 「待て、サニー、何だって? おまえも北迷宮に行くのか?」 「はい。昨日あなたがさぼっていたので伝えそこねました。ああ、ザック・ロイランド隊長が来ましたよ。あちらにもご挨拶お願いします」  通路のはしにザックの白い髪がみえた。サニーはティレワンの背中を押し、僕はなんとなく微笑ましい気分でそれを見守った。冒険者ギルドにもいろいろな人間がいるらしい。

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