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第3部 レムリーの至宝 14.ザック:大いなる視野
マリガン隊の冒険者が白煙の中から飛び出した。その背後に悠然と姿をあらわした巨大なモンスターは、青い鱗に覆われた足で迷宮の床を踏みしめ、のしのしとこちらへ近づいてくる。長い首の先には尖った頭があり、首の付け根には青い襞が折り畳まれるようにして積み重なっている。
ユミノタラスだ。
追われている冒険者たちは、ザック隊が張った補助ロープをたよりに大階段をすばやく登ってくる。ザックはすぐ下の段にいたリラントに一段降りるよう指示を出し、自分も同じ位置に向かった。
白煙の方向をみるに、マリガン隊では少なくとも二人はボムに触れたらしい。おのれの周囲にはりめぐらした防御魔法で衝撃を回避したかにみえる。爆発で飛び散った岩のかけらや白煙が触れるたびに、冒険者を囲む防御膜が輝きを帯びる。
「全員、防御膜を展開したまま段上へあがれ!」
回廊に凛と響いたのはマリガンの声だ。十七段ある大階段の一段目から、まだ大廊下にいる隊員へ呼びかけている。王都のいでたちとはうって変わった地味な冒険者の身なりだが、よく通る声は統率者の響きを帯びている。
「ユミノタラスはこの高さは登れない。突っこむか飛び上がるかだ。絶対に翼を広げさせるな!」
翼というのはユミノタラスの首の付け根から背中にかけて畳まれている襞で、このモンスターはあれを使って宙に浮くのだ。後肢の付け根や胴体のあちこちで輝いている青い円盤は知覚板と呼ばれているもので、背後にいるものを認識する。
ユミノタラスは壁や床を突き破るようにして突然あらわれる。ザックがシグカント隊に入った時の隊長ハンノはユミノタラスが南北の迷宮によく出現していたころ冒険者になったというベテランだった。
めったに遭遇しないレアモンスターの習性や対処法をザックは彼に教わったのだが、マリガンも同じような冒険者の師がいたにちがいない。指示は的確で、マリガン隊の隊員は聞いていたより能力が高そうだ。いや、マリガン隊は大所帯で有名だから、今回は選りすぐったということかもしれない。それにマリガン隊にはトバイアスが加わっている。
まもなく全員が段の上へあがったようにみえたが、マリガンは他の隊員を進ませただけで、自分は同じ場所に留まっている。
「ゼンダー、どうした!」
彼が叫んだとき、ずっと上の段にいたザックにも白煙のあいだにうずくまる冒険者がみえた。
それ以外のものも。
あれはなんだ?
ザックはまばたきした。ユミノタラスの巨躯で輝く青い円盤から、無数の光の筋が体の内部に向けて伸び、火花のようにもつれている。もっとよく見ようとして目をこらすと消えたが、焦点をぼかすとあらわれる。あの光はなんだ?
もう一度光に意識を向けた時、ザックの頭蓋のなかでカチリ、と鍵がまわったような感覚が生まれた。考えるまもなく言葉が飛び出した。
「リラント、ユミノタラスが前肢をあげたら、まうしろに向けて投擲をはなて!」
「なんだって? まうしろ?」
「飛び越すように投げろ、いまだ!」
リラントが投石具を構えると同時にザックは右手を前に突き出し、防御魔法を放った。ザックの放った魔法がユミノタラスの正面でみえない巨大な盾を形づくるのと、リラントが飛ばした石がユミノタラスの頭を超えたのはほぼ同時だった。
ザックの目にはモンスターの内部で輝く青い光が稲妻のように、投擲された石へ伸びるのがみえた。だが、魔法の盾が宙にあがった前肢を押さえつけたとたんにすべての動きが止まった。
ゴゴゴ、と地鳴りのような音が響いた。
ザックの盾を境目にして迷宮の床が沈み、ユミノタラスの巨躯を飲みこんでいく。視界の隅で、うずくまっていた冒険者をマリガンが大階段へひっぱりあげているのがみえた。ザックは右手をおろしたが、ユミノタラスは砂に飲みこまれるように床へ沈みつづけた。やがて音が止み、大廊下と大階段に静寂が満ちる。
「登って来るマリガン隊をサポートしろ。ネプラハインの裂け目まで、できるだけ早く登攀するぞ!」
ザックの声を合図にしたように全員が動きはじめた。ザックはリラントを先に行かせ、その場に留まって他の隊員の様子を見守った。上方で何度かハンマーの音が響く。ダリウス隊の先頭はもうすぐ大階段を登りきるはずだ。
そう思った時、マリガン隊の最初のひとりがすぐ下の段まで登ってきた。最下段にいたはずのマリガンその人である。まもなくザックと同じ位置まで達して、呑気な口調でいう。
「さすがだな、ロイランド。たいした威力じゃないか。助かった」
「迷宮では持ちつ持たれつだ」
ザックは短く答え、ふたたび登りはじめる。今のハプニングで予定が遅れたのは確実だ。急がなくては。マリガンはそんなザックに気づいているのかいないか、また声を張り上げた。
「どうなるかわかってやったのか? あんなやり方初めてみたぞ」
当たり前だと答えようとして、ふいにザックは途惑った。マリガンが訊ねるのもあたりまえだ。あれはハンノに教えられた対処法ではない。
ああすればユミノタラスを止められると、なぜ俺はわかったのだろう?
「そっちの被害はどうだ」
答えるかわりにザックは問い返した。マリガンは話をそらされたのに気づいたかもしれないが、特に反応はみせなかった。
「負傷者はいるが、魔法技師を煩わせる必要はない」
「それはよかった」
そっけなく答えてザックはロープを握り直した。
マリガン隊も含めた全員が大階段を登り切る前に日が沈んだ。フェルザード=クリミリカでは、迷宮を形づくる石が発光するのが日没のしるしである。
いまや冒険者たちの前には巨大な壁がそそり立っている。これもまた白く輝いている――塗りつぶされたような闇色の裂け目をのぞいて。
ネプラハインの裂け目だ。シグカント隊で何度も来たことがある場所だ。
しかし今のザックの目にはこれまでとはちがうものもみえていた。迷宮の壁が白く輝いたとたん、裂け目に沿うように、壁に緑色の光が――点と線のつらなりが浮かび上がっていたのだ。
壁の前に立つ冒険者たちはダリウス隊とマリガン隊で左右に分かれていた。ここにはじめて来たにちがいない冒険者はみな、途惑いや好奇の目であたりをみまわしている。サニーやリラント、アガンテも同様である。
だが、自分以外の者には壁に浮かび上がるこの光は見えないはずだ。
どういうわけか、ザックはそう確信していた。
それでいいのだ。
案内標識は都の管理者以外には見えないものだから。
これがみえる者は、昇降機を呼びだせるのだから。
俺は読み上げればいいだけだ。
「みな、一歩さがれ」
ザックは両手を広げ、他の者たちを裂け目の縁からすこしだけ遠ざけた。
全員が素直に従ったのは、さきほどザックの魔法をまのあたりにしたせいもあるのかもしれなかった。マリガン隊の冒険者の視線に畏怖がこもっているのにザックは気づかなかった。すぐ隣でオスカーが不思議そうに自分をみつめているのにも。
それよりもザックは、自分の中にいつのまにか備わっていた迷宮の知識と、その知識をもってやれることで、気持ちがはやっていたのだ。
ザックは裂け目に向きなおった。自身も聞いたことのない音の組み合わせが――しかしたしかに知っている言葉が唇から紡ぎ出される。
ザックの頭の中でだけ、その音は意味を持っている。
『月よ昇れ』
闇に塗りつぶされた裂け目の下から、満月のように白く輝く球体が上昇し、ザックの前で止まった。
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