74 / 98
第3部 レムリーの至宝 16.ザック:生まれる前に隠されたもの
*
ユーリ・マリガンはユグリア王国の平原北方に位置する小さな村の出身者である。大河の支流をさかのぼったあたりが彼の故郷だ。鉱山資源も特産品もない、素朴といえば聞こえはいいが、貧しい地域だった。
ユーリが生まれるすこし前、平原は大規模な旱魃にみまわれた。昔から製材や織物といった産業で豊かだった南方の領主たちは早くから災害に備えて領民を守ったが、北方の弱小領主はろくな手当もできなかった。マラントハールにおわす王は民の窮状を助けるために動いたが、それでもユーリの村は以前より貧しくなった。荒れた畑を蘇らせようと働いても、飢えた獣に襲われて元の木阿弥、ということが何度も起きた。
まだ幼かったユーリが「冒険者」を知ったきっかけは、マラントハールの冒険者ギルドが害獣退治のために部隊を送ったからである。保守的な村人は王都から来た冒険者隊をいちおう歓迎してみせたが、内心では仕事がおわったらさっさと帰ってほしいと思っていた。
しかし少年のユーリには、村の外の世界から訪れた冒険者は太陽も同然に輝いて見えた。ずっとあとになって思い出すと、この時の冒険者たちはみなぱっとしない者たちで、フェルザード=クリミリカではうっかりボムで吹っ飛んでしまうような連中だったが、当時のユーリの目には素晴らしく思えたのだ。
少年は両親の制止もきかず、こっそり彼らのあとをついてまわり、ハイラーエの迷宮について、そこで得られる富や名誉について、彼らが話す言葉に夢中で耳を傾けた。仕事を終えた冒険者たちはやがて王都へ帰ったが、ユーリは彼らの背中をみつめながら心に決めた。いつか冒険者になり、王都で他の誰よりもすごい存在になる、と。
あれから二十年がすぎ、たしかにユーリは王都で尊敬されるような冒険者になった。特にダリウス王が即位してからというもの、マリガン隊の評価はうなぎのぼりだ。フェルザード=クリミリカの中低層でマリガン隊が発見した秘宝を王はいたく気に入った。ことあるごとにユーリを呼びつけたから、貧しい村から王都へ出てきた少年は、貴族の位もないのに王の側近となった。
しかしユグリアのように歴史が長く古代から伝わる伝承を重要視する国では、このくらいなにほどのものでもない。たまたま王に気に入られたといっても、それがいつまでも続く保証などないのだ。
ユーリはそのことをもとより承知だった。だから栄誉あるマリガン隊の長として、マラントハールで王のそばにいるあいだは人脈を広げ、保身のために幅広く情報を集めた。訓練所では優秀な冒険者をスカウトし、憑りつかれたように迷宮の秘宝を欲しがる王の望みをかなえ、その一方で自分のために財産を蓄え、近寄る者は利用しまたは享楽した。王都から指示をだすばかりで、みずから迷宮に入る機会はめっきり減った――そして、そんな生活にすっかり倦むようになった。
こうしてふたたびフェルザード=クリミリカにやってくるまでは。
「グレスダ王の道ならぬ恋については、やはりきみは知らないのか」
挑発的な口調でささやいたユーリに、相手は硬いまなざしをむける。
ザック・ロイランド。先のグレスダ王にことのほか重視されていた古い血筋につらなる男。先王が崩御しなければ冒険者になる気などなかったくせに、ラニー・シグカントの探索隊ではたちまち頭角をあらわした。
徒手空拳で成り上がったユーリにはその生まれだけでも癪に障る相手だったし、ダリウス王がある時からロイランドに奇妙なほど興味を持つようになったことや、いつのまにか美貌の魔法技師とスキルヤを誓う間柄になっているのも、面白いことではなかった。
きっとそのせいでからかってみたくなったのだ。今のユーリにとってはちょっとした思いつきにすぎなかった。フェルザード=クリミリカでは、マラントハールの宮殿のように他人の耳目を警戒する必要がなかったからでもある。
*
ユーリ・マリガンがグレスダ王の名を出した瞬間、ザックは自分の頬がこわばるのを自覚したが、そのあとに続いた言葉はまったくの予想外だった。
道ならぬ恋。
「白の妹君のことだよ。宮廷では口に出すのも禁忌になっているそうだが」
禁忌といいつつ、マリガンの口調はどうでもいい世間話のようである。明日からの迷宮攻略について、直前まで話していたときの真剣な目つきも一転し、マラントハールの宮殿で相対するときのような、どこか信用のおけない表情になっている。当然ながらザックは途惑った。
「いったいどこでそんな話を?」
「ダリウス王陛下は禁忌など気にされない方だからな。それに俺は一とニを足して答えを出すのが好きなんだ。きみは自分が誰の腹に生まれたのか、知りたいと思ったことはないのか?」
「マリガン」
自分でも思いがけないほど低い、威嚇するような声が出た。
「俺はロイランド家の人間だ。ユグリア王家の内情のことなど知らないし、興味もない」
マリガンはふっと微笑み、頭を揺らした。
「そうなのか? 先王の落胤だと噂されているくせに薄情なものだな。万が一にもそんなことがありえない人間にとって、きみの高潔さは信じられないくらいだ」
「俺たちは今、フェルザード=クリミリカにいる。誰が誰の子だとかいう話はどうでもいいだろう」
「マラントハールでもこんな話はしないさ。俺は用心深いのでね。なあ、ザック・ロイランド。フェルザード=クリミリカの頂点へ行く道がわかるというだけで、ユグリア王家の濃い血を疑うのは当然だと思わないか。ハイラーエの伝説は王家とともにあり、迷宮がこうしてひらかれてきたのだって、歴代王にときたま、アララドのような迷宮狂いがあらわれたからだ。ダリウス王の小宮殿でいったい何があった?」
ザックは静かにユーリ・マリガンを見返した。
「それなら戻って陛下に訊ねるといい。引き返してかまわないぞ」
「ロイランド隊長の道案内が看板倒れだったらそうするかな」
マリガンはけろりとした表情でいった。
「ああ、さっきの妹姫のことだが、俺が陛下に聞いた話では、白の妹君という通称は彼女の白い髪から来ていたそうだ。ユグリア王家やヘザラーン一族には時々あらわれる髪色らしいね」
今度こそザックは何も答えなかった。黙ってマリガンに背を向け、歩き去った。
先王グレスダと現王ダリウスの父はヘレイド王といい、子は三人いた。グレスダ王子、ネイン姫、ダリウス王子である。
系図には間違いなく記されているネイン姫だが、ユグリア王国の民に彼女の誕生は大々的に知らされなかった。というのも、ネイン姫はグレスダ王子の双子だったが、最初は死産だと思われたからだ。王子誕生の一報に臣民が喜ぶなか、その影に不幸があることを宮殿は公表しなかった。ところが死んだと思われていた赤子はその後、奇跡的に息を吹き返した。
そしてあまり長くは生きなかった。
ネイン姫はユグリアの古い血統に稀に生まれる白い髪の持ち主だった。系図に残っているように、彼女の存在は秘匿こそされなかったが、病弱だったのもあってか、公の場には一度も出されなかった。同時に生まれた王子やそのあと生まれた弟王子と共にすごした記録もない。系図には途切れた線が残るだけである。
――とんでもない話だ。
マリガンに背を向けたザックの中に湧き上がったのはまず、ふつふつとたぎるような怒りだった。マリガンの愚かな推測に多少根拠があったとしても――いや、それならなおさら、今のようにうかつに口に出せる話ではないはず。禁忌とはつまりそういうことだ。
しかし――
(ネイン様は白の姫君と呼ばれていた。グレスダ王陛下の妹君だ)
父がその名を口にしたのをザックは覚えていた。一度だけネイン姫にお目通りが叶ったことがあるというものだ。父にとっては深い意味のある出来事だったようだが、当時のザックにはぴんとこなかった。
あれはいつのことだっただろう?
(グレスダ王陛下には顔立ちも他のところも似ておられなかった。髪がおまえによく似た色あいだったのだ。今では珍しくなったが、白い髪は古代ユグリアでは一般的なものだったという)
マラントハールの広い宮殿で、ほとんど会うこともなく育ったきょうだいが、何かのきっかけで出会って――ザックの脳裏にグレスダ王の顔が浮かぶ。まさか。そもそも、ネイン姫は大人になる前に亡くなったのではないのか。王家の系図からはそう読みとれる。
誰かが系図をあとで書き換えていたらどうか。
さまざまな考えが頭を横切り、ザックは混乱しながら自分のテントにすべりこんだ。ノラは布を垂らした奥の方で、オスカーはすぐそばで眠っていた。ザックも音を立てないように横たわったが、頭の中は静まらないままだった。
マリガンはダリウス王から何かを聞きだしたような口ぶりだった。たしかに、ダリウス王には子供のように無頓着というか、常識はずれなところがある。ザックの母親が誰であろうと――禁忌とされる相手だろうと、ダリウス王は気にしないかもしれない。ダリウス王にとっては〈紋章〉をグレスダ王から引き継いだザックがレムリーの至宝を手に入れてこられるかだけが問題で、他は些末な事柄にすぎないのだ。
ザックがおのれの本当の出自を知ったのはほんのすこし前のことにすぎないのに、いまや王都の情報通はたいていそれを知っているらしい。そのくせザックを産んだ女人の正体が問題にならないのは、誰もが彼女を後ろ盾のない平民にちがいないと――たとえば宮殿に勤める侍女や下働きだったのだと――思いこんでいるからだ。
仮にザックの産みの母が有力貴族の娘であったなら、その貴族が庶子の存在を隠していたはずがない。宮廷で力をもつ格好の口実になるからだ。ダリウス王が即位する前にあきらかにしていただろう。そしてマリガンのほのめかしが正しいとすれば、ザックの父母が絶対に秘密を明かさなかったのもうなずける。グレスダ王への信頼と忠誠にかけて、そんなことはしないはずだ。
「う……ん……」
唸るような声とともにオスカーが寝返りを打った。ザックはそっと魔法技師の肩に腕をまわし、温かい体に寄り添った。オスカーの首には自分がかけているのと同じ鎖が下がっていた。胸の方へ手を回すとスキルヤの誓印が指に触れる。
自分の本当の両親が誰であるにせよ、誓いを交わした相手が腕の中にいるのは心強かった。ザックは目を閉じ、やがて眠りにおちた。
ともだちにシェアしよう!