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第3部 レムリーの至宝 18.ザック:イオスボの涙

 ニーイリアの岩壁に開いた扉のむこうは金色に輝く線と文字で彩られていた。黒い壁を背景に描かれたしるしと文字はすべて意味をもち、ザックにこの空間が何なのか、何ができるのかを教えている。まるで心の中に刷りこまれているかのように、この場所を俺は知っている、という強い確信があった。しかし他の者にこの光は見えていない。管理者たる自分が許可を与えるまで、ここは暗い空っぽの部屋にすぎないのだ。  ザックは右手をさしのべて金色の線をたどり、まず明かりをつけようとした。その瞬間、モンスターが出現した。 「全員下がれ!」  ためらいもなく声が出て、同時に周囲がパッと明るくなる。ザックは言葉とは裏腹に前へ飛び出し、向かってくる巨体に右手を突き出す。イオスボは蜂の巣のような形をした広場の中央に立ち尽くしていた。ひし形の鱗に覆われた太い足は体高のわりに短く、みえない壁につまずいたようによろめいている。ザックの魔力で作られた防御の盾がモンスターを押し返したのだ。  二本足のモンスターは竜類・獣類に関係なく、四つ足のモンスターより厄介だといわれるが、イオスボの実態はほとんどわかっていない。フェルザード=クリミリカの中層以上にしかあらわれない上、冒険者隊が壊滅したときに命からがら逃亡した隊員の報告でしか知られていないのだ。冒険者ギルドは数少ない遭遇記録をもとにイオスボの特徴を教本に列挙している。二本足の巨体、黒いひし形の鱗、二本の角と赤い目。目の前にいるのはまさしくそれだった。  ザックはまた一歩前に出た。モンスターは当惑したように上体をかたむけ、じりり、とうしろに下がった。 「遠隔攻撃ができる者、俺の左右から盾を超えて打て! サニーとオスカーは外へ!」  声をあげると共に空気がうなり、ザックの左側からしゅるり、とロープがモンスターめがけて飛ぶ。先端につけられた鋭い鉤がイオスボのひし形の鱗に跳ねかえって落ちたが、ロープはすばやく引き戻されてまたひらりと宙を舞った。  トバイアス。自分の左手に駆けてきた黒髪の友をちらりとみて、ザックの心は緊張とこの場に似つかわしくない喜びで一瞬揺れる。右側からも投擲が飛び、長い楔がイオスボの体にピシリと命中する。続けて別の方向から飛んだのは白い刃だった。イオスボの腕が前にのびた。刃をはじきとばそうとしているのだ。ザックは息を吐き、瞬時に魔力の盾を上に伸ばしてモンスターの腕を押し返す。  冒険者の魔法はボムの探知と防御に使われるが、攻撃に転用できないわけではない。岩壁を登るための楔や鉤、ナイフやハンマーに探知魔法を合わせることで、襲ってくるモンスターの深部を破壊できるのだ。もっとも自在に使える者は少なく、ボムを探知するより消耗も早い。剣や棍棒で直接戦う方が楽だと考える者も多いが、この利点は遠隔攻撃ができることだ。  いまや冒険者たちはザックの左右で包囲戦の態勢に入っている。立て続けに降りかかる攻撃にイオスボの動きが止まった瞬間、トバイアスのロープが胸にまきつく。銀色に光る鉤が体躯の中央にぐさりと食いこんだ瞬間、イオスボはギイイイイイイ、と奇声をあげ、体をねじるように震わせた。鉤が刺さったところから赤黒い液体が流れ出した。  モンスターはいまや空間の中央でひざまずくように足を折っていた。四つん這いの姿勢で剣のような角をこちらに突き出そうとするが、別の方向から投げられたロープで動きはさらにままならなくなる。トバイアスが真っ赤な顔でロープをぎりりと引き絞る。ザックは誰にともなく怒鳴った。 「今だ、首のつけねを狙え!」  視界のすみで金属が閃き、ブーツの足が床を蹴った。ザックは魔力の防御盾を一呼吸消し、跳躍する金髪に道をあける。次の瞬間、マリガンが剣をふりかぶる。  どうっとイオスボの頭部が前に落ちた。  一瞬の静寂のあと、うおおおお、という歓声があがった。マリガンが得意げな顔で剣を鞘におさめるのをみながら、ザックはゆっくり魔力の盾を閉じる。 「これが噂のイオスボか。案外楽じゃなかったか?」  マリガンがいった。軽い口調のなかに用心深い響きがある。ザックはうなずいた。 「油断するな。完全に仕留めたか調べなくては」  マリガンは長く伸びた角の先を手袋をはめた手でそっと握った。慎重に引き起こす。イオスボの目は見開いたままで、石のような輝きを保っている。 「すごい頭だ。この角、このままで十分な武器になる――ん? これは何だ? 涙?」  ころりとふたつの赤い目から丸いものが転がり落ちた。表面も赤いがコブのようなぶつぶつに覆われている。ひとつ、ふたつ、みっつ、もっと――動かないモンスターの目から涙のようにこぼれおち、ころころと周囲を取り囲んだその正体に気づいたとたん、ザックはふたたび叫んだ。 「全員退避! 防御魔法を展開! ボムだ!」  爆発は瞬間的に、連鎖して起きた。  爆弾が炸裂すると同時に傘がひらくように周囲で防御魔法が展開した。ザックは白煙の中を走り、防御魔法が使えないハンターのリラントを自分の防御膜の影に入れようとしたが、トバイアスの方がほんの少し早かった。礼のかわりに指で合図を送ると、トバイアスはうなずいてリラントとともに岩壁の外へ向かった。ザックは床の上でうめいている冒険者に肩を貸して立ち上がらせ、他の隊員に手当てを頼んだ。 「ザック! 早く外に出ろ!」  トバイアスの黒髪のむこうで細い声が叫ぶ。悲鳴のような響きにふりむくと、岩盤に開いた入口のすぐ外にオスカーが立って美しい顔をしかめている。ザックは安心させるように微笑んだ。 「大丈夫だ。すぐに起動する」 「起動って、何を――」  ザックは蜂の巣型の広場をふりむいた。中央にイオスボが横たわっている。ボムの爆発でイオスボの頭部は粉々になり、角だけが残されていた。巨大な体躯もずたずたになっているが、その真上では金色の線と文字が輝いている。  ザックは宙に浮かぶ文字をみつめ、つららのように垂れさがった光の線へ手をのばした。指先で軽くなぞるだけで光の線はつながり、スーッと空気が抜けるような音が周囲で響いた。床のあたりにたまっていた白煙がみるみるうちに天井に吸いこまれていく。  本能につき動かされるようにザックは広場をぐるりとまわり、光の線をつないで歩いた。広場のあちこちでカチカチと歯車の鳴るような音が響きはじめた。天井の一部が手前にせり出し、床の一部がもちあがって、テーブルやベンチのようなものがあらわれる。  ザック以外の全員が呆然とその様子をみつめていた。目の前で起きているのは誰もみたことのない魔法、でなければ誰も考えつかないような――いったいどんな力で動いているのかもわからない機械仕掛けだ。しかしそんな考えはちっともザックの頭にはかけらも浮かばなかった。何もかも、とても自然なこと、当たり前のことに思えたからだ。ザックは作業を続け、宙に浮かぶ光の線をすべてひとつにつなぎおえた。  とたんにカチリと頭蓋の奥で鍵が回ったような感覚があった。めまいをこらえて足元をみると、イオスボの周囲で床が波うつように揺らいでいる。 「アガンテ」  ふりむいて呼ぶと、冒険者のうしろにいた解体屋はぎょっとしたような目つきでザックをみた。 「イオスボを外に出すぞ」 「バラすのか?」 「迷宮に持っていかれるまえに必要なものを取るんだ」  ザックは答えながら不思議に思った。俺は何かおかしなことでもやったのか? なぜ皆はあんな風に俺を見るのだろう?

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