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第3部 レムリーの至宝 19.オスカー:フェルザード=クリミリカの古代浴場

 なんだかちょっと、ザックが怖い。  アガンテや他の冒険者と一緒に倒したモンスターを運び出しているザックをみながら、僕は一瞬、ほんの一瞬そんなことを思ってしまい、あわてて打ち消した。  ザックが岩壁に扉をひらいたり、迷宮に残された古代の仕掛けを恐れることもなく扱えるのは、彼がユグリアの先王から受け継いだ力と知識のためだ。でもそんなことでザックがザックでなくなるわけじゃない。  彼の力で開かれた岩壁の内側には六つの壁に囲まれた大広間のような空間がひらけている。ひとつの壁には僕らが入ってきた扉がひらき、他の五つはのっぺらぼうだ。壁の上の方は白い六角形のタイルの組み合わせになって、ドーム型の天井に続いている。  モンスターを倒したときには、ここは何もないがらんとした場所だった。でも今はあちこちに白い台座やテーブル、ベンチがあらわれているし、六角形のタイルで覆われた天井からは白い柱がつららのように何本もぶら下がっている。落ちてくるのではないかと心配になって僕は手をのばしてみたが、柱は僕らの頭上のずっと上にあるようだった。  白い台座も天井の柱も、何もかも今できあがったばかりのようにつるつるピカピカに輝いている。フェルザード=クリミリカの内部とは空気もなんだかちがっていて、古代魔法の昇降機に乗った時のような感じがする。  そこまで考えて僕はハッと気づいた。ここも同じだ。この空間全体が、あの月色の球体と同じ、古代魔法の装置になっているのだ。  みんな、どこかぼんやりした目で周囲をみつめていた。はっきりいえば気圧されていたのだ。マリガンですら毒気を抜かれたような顏できょろきょろ辺りを見回している。 「大丈夫だ」ザックが集まったみんなを元気づけるようにいった。 「もうモンスターは入れないし、ボムもない。ここは高層部につながる転移制御室だ。ああ、サニー、そこの壁を押してみてくれ。軽くでいい」 「押す?」  とまどった顔をしながらサニー・リンゼイが手をのばし、とたんに僕らはどよめいた。彼が手をおいたとたん、壁は音もなく左右に割れるように開いたからだ。でもザックは何が起きるか予想していたように歩きだしていて、開いた壁の中へ入ったから、僕もあわててあとについていく。  新たにあらわれた空間も六つの壁にかこまれていたが、広さは大広間の半分以下、いや、もっと狭いだろうか。ぱっとみたとたん、ディーレレインの公衆浴場みたいだと僕は思った。浅い浴槽が中央にあり、縁にくっついているのは湯の注ぎ口を兼ねた水盤にそっくりだ。  水盤の真上には六角柱がつららのように下がっていた。ザックは落ちついた様子で柱に手を触れた。白い光が柱でまたたいた――と、水盤から水があふれだした。 「泉?」 「湯気が出てるぞ」 「この面に触れると湯が、こっちに触れると水が出る」  声をあげた冒険者たちにザックがこともなげに答えた。 「まわりの壁もひらくはずだ。どうなっているか見てくれ」  近くにいた冒険者たちがのこり五つの壁を手で押した。向こう側は左右にからっぽの棚がならぶ小部屋だった。冒険者ギルドの宿舎か、さもなければ兵舎のようだ。 「ここは……」ザックは焦点の合わない目で空をみつめた。 「制御室の管理官が寝泊まりしていた場所だ。この水と湯は清浄だ」  僕らは一気にざわついた――そりゃそうだろう、迷宮に風呂があるなんて! だがザックは平然ときびすをかえし、元の大広間に戻ると、隣りあったのっぺらぼうの壁に手を触れる。今度も壁は音もなく左右に開いて、あらわれたのはここに来るまでにたどってきたのと同じ、白い光に照らされた迷宮の通路だ。 「待て」  ザックはおおっ、と声をあげて足を踏み出そうとした冒険者の腕をつかんだ。 「ここには入るな。ボムがある。あとでゆっくり調べよう」  不思議なことに今度の壁は隣とはちがって、ザックが手を離したとたんすうっと中央によせて閉まり、扉があったことすらわからなくなった。あいかわらずザックは少しも驚いていない。長いあいだ使われていなかった屋敷を確かめているような雰囲気で隣の壁の前に立ち、確信にみちた様子で右手を押し当てる。  同じように扉が開くのかと思ったらちがっていて、今度は隣りあった三つの壁がそろって白く輝きはじめた。不透明だった壁の中央の色が変わって、どうやら半透明に透けているようだ。同時に三つの壁それぞれに金色の模様が浮かび上がり、半透明になった壁を囲んだ。ザックが金色の模様の上あたりを指でなぞった。  半透明の扉が音もなくひらき、月色に輝く小部屋があらわれる。あの古代の昇降機そっくりの色をしている。ザックが指を離すと扉はゆっくり閉じていく。 「ここに転移セルが三つある。制御盤は――」  ザックはそばの台座に右手をかざした。ブン、と空気が震える音がして、台座の上に水晶のような透明な立方体があらわれる。 「これはフェルザード=クリミリカの立面図だ。ここが我々の現在地で、三つの壁の転移セルはこの――」  ザックの手が立方体の前で忙しく動いて、いくつかの光る点を指さした。 「ここへ通じている。行先は制御盤で操作するんだ。転移した先にもここと同じ設備がある」  わけのわからない魔法の連続で僕の頭はぼうっとしてきた。ここにあるのは生成魔法とは根本的にちがうものだ。制御盤とか転移といった耳慣れない言葉もあいまって、頭がいっぱいいっぱいになってくる。だがみんながみんな、僕のようになっているわけではない。 「待って、見せてください」  サニーの鋭い声に僕は一歩さがって、彼に場所を譲った。いつのまにかマリガンもザックの真後ろにいて、食い入るように立方体をみつめている。 「なるほど、これは案内図なんだ。ここがあの、古代の昇降機ですね」 「縦長の刻み目がネプラハインの裂け目か」  マリガンが口を出す。僕には光る線と点のもつれにしかみえなかったが、ふたりは地図を読むように立方体を見ているらしい。 「位置関係が正しいならこの横線がシルラヤの岩壁でしょう。この溝は大廊下にちがいない。じゃあ、こからフェルザード=クリミリカの頂点に行くには……」  サニーはザックを押しのけるように立方体の前に立ち、表面を指でなぞった。 「こう……ですか? こんなに簡単に上に行けるんだったら、すぐに北迷宮を制覇できるじゃないですか!」 「サニー、落ちつくんだ。そう一足飛びにはいかない」  ザックが苦笑しながらいった。 「たしかにここが作られた当時はそうなのだろうが、すべての制御室が無事に起動するとは限らない。転移先がモンスターでいっぱいだ、ということもありうる」 「……たしかに」  サニーはがっかりした声になったが、ザックは僕らみんなを見まわし、威厳のある声で命じた。 「ここから我々はハイラーエの中枢へ向かう。テントをこの扉近くに移動して、さっきの爆発で怪我した者は手当てを。アガンテは空いた場所でイオスボを処理してくれ。そこの湯は自由に使っていい。手の空いている者は解体を手伝え。サニーとマリガン卿はこっちへ。今後の探索計画を検討する」  その日の昼、僕はイオスボの蒸し焼きを初体験した。  アガンテは岩の上でイオスボの残骸を切り分け、二本の角と体表に残った堅い鱗を剥がしとった。ものすごい早業だった。アガンテは主に北迷宮で仕事をしていて、迷宮の自浄作用に飲みこまれる前に捌く技術ではディーレレインでも一番らしい。南のオリュリバードで獲れたモンスターは何日か吊るして体液を抜いたりするが、フェルザード=クリミリカで求められるのはちがう技術なのだという。  襲いかかってきたときはあんなに巨大にみえたイオスボだが、爆発の衝撃でぐちゃぐちゃになった部分も多かった。アガンテは傷のつかない鱗の下の肉だけを切り取り、塩と香草をどっさりまぶした。角と剥がした鱗は防水袋に入れて熱湯をかけ、堅いブラシでこすってきれいにする。不要な部分はキャンプから離れたところへまとめておけば、いずれ迷宮に飲みこまれて消えてしまう。  蒸し焼きにした肉は堅めだったが、かすかな甘味も感じて悪くなかった。モンスター肉の特徴であるミネラル分のせいか、食後の僕はやけに元気になった。  イオスボのボムで誰かの指がふっとんでいないか心配していたのだが、幸いそこまでの負傷者はいなかった。昼食を食べ、モンスターの残骸を片づけおわると、ザックとサニー、マリガン以外の隊員はみんな、例の湯と水が湧く部屋で体を洗った。女の子のノラだけは先にひとりで体を洗ったが、そのあとはマリガン隊も僕らの隊もみんなてんでに出たり入ったりして、古代の迷宮風呂でさっぱりした。  不思議な大広間の扉の向こうにある古代の浴場にも、やはり魔法の仕掛けがあった。水盤からは無限に湯水が出てくるし、むさくるしい冒険者が入れ代わり立ち代わり入ってもあふれることもなく、といって濁ることもない。  古代の風呂魔法に驚いているあいだも、サニー、マリガンと会議をしているザックのことはずっと気にかかっていた。でも僕はサニーとちがって、あの光る立方体に浮かぶ図はちんぷんかんぷんなのだ。生成魔法でタリヴェレの経路をさぐるのは簡単なのに、ああいうものをみると気おくれしてしまう。  サニーがザックのそばであれこれ喋っているのはすこし羨ましかったし、マリガンがその横で偉そうに腕を組んでいるのも気に入らなかったが、あそこに僕がいても邪魔なだけだ。そんなことを思いながら風呂を出て髪を拭いていると、トバイアスと目があった。ものいいたげな目つきだ。 「どうしたんだ?」  僕の方から声をかけると、ためらいがちに口をひらいた。 「生爪を剥がした隊員がいるんだ」 「爪? ボムで?」 「いや、モンスターの角を面白半分に触ったらしい」  冒険者にしてはそそっかしいと思ったが、こういうときのために僕はついてきたようなものだ。 「爪くらいならすぐ再生してやるよ」 「すまない」  僕はトバイアスについてマリガン隊のテントへ行った。怪我をした男はヘラートといって、ユグリア人には珍しく浅黒い肌の持ち主だった。 「手を見せてくれ。これは痛そうだ」 「ええ、馬鹿なことをしました」  僕は男の前に座り、手首に軽く触れてから、魔法珠の首飾りを外した。男は僕をしげしげと眺めたが、そんな風に見られるのは珍しくもないことだと、僕は気にしなかった。だが〈(スイ)〉の魔法珠を使い、魔力を男の指に流したとき、ふとひっかかるものを覚えた。  ――この男の経脈に、僕は前も触れたことがある。  ぎょっとして集中が途切れる前に爪は生えた。僕は急いで手をひっこめようとしたが、ヘラートは逆に僕の手首をつかんだ。薄い茶色の眸はまばたきもしない。生えたばかりの爪が皮膚にめりこむ。 「何年探したと思う、オスカー。レリアンハウカー師がおまえを待っている」

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