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第3部 レムリーの至宝 20.ザック:解き放たれた知識
「眠らないのか、ザック?」
ささやき声にザックは顔をあげた。夜闇にひらいた扉口にオスカーが立っている。昼間は頭布に隠されている鳶色の髪が頬の横で揺れている。どこか不穏な気配を感じてザックは立ち上がり、すると書きかけの帳面が腿に当たってパタンと閉じた。
「オスカー、大丈夫か?」
「え? 僕は……」
オスカーは途惑ったようにまばたきした。
「こっちが聞いたんだぞ。眠らないのかって。みんなもう休んでる、見張りも立てずに」
「キャンプを防御魔法で囲み、罠も仕掛けたからな。モンスターが超えれば警報が鳴る。今日は不寝番はなしだ。全員ゆっくり眠れる」
「おまえはまだここにいるじゃないか」
オスカーの声に力が戻った。並んだ台座やテーブル、ベンチのあいだを縫ってザックの方にやってくる。ザックの腕は自然に伴侶の肩にまわっていた。絹のような手触りの髪が心地よい。オスカーはザックに肩を抱かれたまま、閉じた帳面を開いている。
「何を書いているんだ?」
「明日からの隊員の割り振りと、制御室の使い方だ。どこを触ると何が起きるか」
ザックは顎をまわし、壁や台座で輝いている文字を指さした。オスカーは不思議そうにみつめかえした。
「この魔法はおまえがいなくても動くのか?」
「一度起動すればあとは正しい命令を与えるだけでいい。この部屋にあるのはそんな仕組みだ。だがこの先、高層にはまた、陛下から受け継いだ〈紋章〉が必要な場面が出てくるだろう。〈紋章〉はハイラーエの中枢を再起動するのに必要なものだ」
「うーん、わかるようなわからないような」
オスカーは小さくため息をついた。ザックはオスカーの腰をひきよせ、膝に抱えるようにしてベンチに座った。オスカーはザックの胸におとなしく体を預けている。腕の中の体の存在感とぬくもりに、ザック自身の緊張も緩んでいく。
今日は夜明けとともに〈秘儀書〉のみちびきにしたがって岩壁に扉をひらき、イオスボを倒し、古代魔法の装置を起動させるという激動の一日だった。日があるあいだ、ザックはサニーとマリガンを相手に今後のルートや探索の手順を相談し、日が暮れる前に転移室が作動するのをたしかめた。この空間に並ぶ白い台座はすべて、古代の装置を動かすための制御盤なのだ。
どうやらマラントハールの宮殿で触れた〈秘儀書〉とユグリア王家の〈紋章〉は、ザックに忘れられた古代の言語を理解する力を与えたらしい。おかげでザックはネプラハインの裂け目を通る昇降機もここから操縦できると知った。
ハイラーエの中枢はザックがこの場所を起動すると同時に目覚め、指示を待っているのだ。興奮のせいか、夜になってもザックは疲れを感じていなかった。昨夜、マリガンがザックの産みの母についてほのめかしたことすら忘れていたほどだ。
しかしオスカーはザックのようにこの場所に惹きつけられてはいないようだ。気のない様子で周囲をみて、ぼそりという。
「魔法もいろいろだ。サニーとちがって僕は文字や地図が苦手だし、おまえの役に立てそうもないな。この場所はいったい何なんだ?」
オスカーの途惑いももっともだ。ザックはどう答えたものかと考え、オスカーの左胸にそっと手のひらを置いた。
「ここはハイラーエの……そうだな、人の体でいえば心臓のような位置にあるものだ。ニーイリアは心臓を守る胸壁だ。ネプラハインの裂け目を通る昇降機がこのすぐ近くまで通じている。俺たちが探している〈レムリーの至宝〉は頭の部分だと思ってくれ。心臓から血の道が伸びるように、この場所から迷宮のあちこちへ道が伸びている」
ささやきながら、ザックは伴侶のうなじに鼻をそっと押しつける。探索に出発してからというもの、他の人間の気配がない場所でふたりきりになったのはこれが初めてだった。オスカーの胸に触れる手をそっと下へずらしていく。
「そう聞くとわかったような気になるが」オスカーはためらいがちにいった。
「僕はこういう……古代の魔法は苦手だ。おまえたち冒険者の魔法も生成魔法とはぜんぜんちがう」
思わずザックは回した腕に力をこめた。
「オスカー、おまえの魔法は唯一無二だ」
「魔法技師は僕だけじゃないぞ、ザック」
「マラントハールで魔法技師を名乗る連中は偽物だが、おまえはちがう。そういえば今日、マリガン隊の負傷者を診ただろう」
ザックは何気なくいったのだが、オスカーはぴくっと体を震わせた。
「それは……」
「ん? どうした?」
なぜかオスカーは黙りこんでしまった。ザックは訝しく思ったが、何もいわずに髪を撫で続けた。と、オスカーが口をひらいた。
「ザック、マリガン隊はずっと僕らの隊に同行するのか?」
唐突に感じる質問だった。だがこれこそは昼間、ザックがマリガンとさんざん議論した内容だった。
「全部ではないな」
「というと?」
「マリガン隊はこの先、いくつかに隊を分ける」
ザックは答えながら壁のひとつを指さした。
「最初にここを調べたとき、あの向こうにもうひとつ通路があるのを見ただろう? あれはこの階層の奥へつながっている。立面図によれば今後も先々で同じような分岐がでてくるとわかった。マリガンは全部くまなく調べたいといったが、ダリウス隊は寄り道はできない。そこでマリガン隊だけ分隊で動くことになった」
「そうか。……ザック」
オスカーは首をまげてザックの方を向く。
「マリガン隊にヘラートという男がいる。彼をその……同行しないようにできないか?」
「ヘラート? なぜだ?」
「そいつは今日僕が施術した男だが、その――」
ハッとしてザックはオスカーの眸をみつめた。
「何かされそうになったのか?」
「いや……」
オスカーは口ごもった。
「これといって何があったわけじゃない」
「オスカー!」
「……トバイアスが連れてきたんだ。生爪を剥がしたといって。施術はとっくにすんでる。ただ……僕はそいつに近寄りたくない」
「わかった。マリガンに話す」
ザックはきっぱりといったが、内心怒りに震えていた。興奮にかまけてオスカーの様子を見ていなかったのが悔やまれる。明日からは彼を自分のそばから離さないようにしなければ。
オスカーはザックのそんな思いを知ってか知らずか、ぼんやりした目つきで彼をみつめた。
「なあ、ザック……」
「ん?」
「僕が探索隊にいてよかったと思うか?」
「いきなり何をいうんだ」
「なんだか古代人の魔法は、僕が想像したのとぜんぜんちがうみたいだ。おまえたち冒険者の魔法ならまだ理解できる。でもここにある魔法はどうも……僕のような魔法技師の仕事なんか、ここでは必要ないんじゃないかって気がして……」
「馬鹿をいうな」ザックはぎゅっとオスカーを抱きしめた。
「俺はおまえがいないと困る」
「それならいいが……」
「オスカー」
ザックはうつむきそうになった伴侶の顔を両手でつかみ、そっと唇を重ねた。優しくついばむような口づけをくりかえすうち、しだいに体の奥に熱がこもって、いつのまにか奪うように激しくオスカーの舌を吸っていた。ふたりの吐息が混ざって、オスカーの腕がザックの背中に回る。ザックはベンチにオスカーを倒すと、何度も激しい口づけをくりかえした。
「ザック……」
「おまえを抱きたい」
「でも……」
「こっちだ」
ザックは立ち上がり、オスカーの腕を引いた。古代の浴場の水盤は、昼間冒険者たちがさんざん湯水を浪費したというのに涸れる気配も見せていない。剥ぎとらんばかりの勢いでオスカーの服を脱がせ、立ったまま浴槽の壁にその背中を押しつける。胸元で誓印のペンダントが揺れた。水盤から跳ねる雫がオスカーの肌で丸い珠になり、転がって流れていく。
「ザック、待って――」
オスカーの左胸には黒い痣が浮かんでいた。それをみたとたん、ザックの脳裏に以前ふたりだけで迷宮にいたときの記憶が蘇った。
ザックは独占欲にかられるまま、ぽつりと愛らしく立ち上がった胸の尖りを唇に含み、舌先で転がすように愛撫する。ザックの舌が動くにつれてオスカーの腰がぶるぶると揺れた。両手で愛しい伴侶の体をつかんだまま、ザックは湯がたまりつつある浴槽にひざをついた。臍から股間の茂みへ、その先へと舌を這わせた。
「あっ、んっ、だめ、そんな……」
小さな抵抗の声などものともせず、先端を唇に含んで舐めしゃぶる。そうしながら指で奥を弄り、繊細な場所を唾液で濡らした。寸前まで責めたてておいて唇を離すと、オスカーの手がザックの髪を恨めしそうにつかんだ。ザックは立ち上がってオスカーの腰を抱き寄せると、今度は石の壁に手をつかせ、前を手のひらで支えてやわやわと愛撫しながら、股のあいだを自身の雄でこする。
「ん、ザック、あん、あっ……」
耳の裏に舌を這わせるとオスカーの背中がびくっと震える。感じやすい体の奥をそっと指で押し広げ、ザックはゆっくりおのれを中へ侵入させた。
「は、あっ、あ―――んっ、あんっ、ああんっ」
オスカーの内側でうねるように締めつけられ、ザックも思わず息をもらす。腰を打ちつけるたびに、湯気のなかでオスカーの声がかすかなこだまをともなって響いた。
「ザック、ザック――あああっ」
ついに高みに達して、ふらりと傾ぎそうになった伴侶の体を抱きしめたまま、ザックはそろそろと浴槽に体をしずめた。腰のあたりまで溜まった湯はほどよくぬるかった。オスカーは荒い息をつきながらザックにしがみついていた手を離した。鳶色の髪が湯の中で広がって揺れている。ふとみるとザックの二の腕はオスカーの指の形に赤く色づいている。
「もう……おまえが悪いんだぞ」
ザックの視線を追ってオスカーがつぶやいた。ザックは微笑んだ。
「何が?」
「こんな痕……」
「すぐ消えるとも」
「ザック、おまえのこの……傷痕」
オスカーが腕をうごかすと、誓印のペンダントが湯の中を泳ぐように動いた。ザックの首にもおなじものが下がっている。オスカーの指がザックの顔を撫で、白い傷痕に触れた。
「これはいつの傷だ?」
ザックはまた微笑んだ。
「わからない」
「わからない?」
「ああ。父の話では物心つかないころの怪我だという話だが」
オスカーのまなざしは真剣だった。
「ザック、僕はおまえの右腕を生成しただろう? 右腕すべてを再生するような施術のときは体じゅうの細胞が賦活される。そうなったら、右腕以外の場所にあった傷痕もふつうは消える。僕はディーレレインに来るまで兵士を何人も施術した。体じゅう傷痕だらけでも、生成魔法を使えばきれいになるんだ。それなのになぜ、おまえのその傷は消えない?」
思いがけない話だった。ザックは何と答えたらいいかわからなかった。
「そんなことは――初めて知った。俺にはわからない。この傷がとても古いから――ではないのか?」
「そうか。もしかしたら……おまえの生みの親に関係しているのかもしれないと思ったんだ」
生みの親。そう聞いたとたん胸のうちに刺すような感覚をおぼえた。いったい自分はどんな表情をしていたのだろう。オスカーが慌てたようにいった。
「変なことを聞いて悪かった。忘れてくれ」
浴槽を出ると心地よい疲労が全身を覆っていた。ザックは左手でオスカーを引き寄せたまま外に出て、右手を岩壁にかざした。金の線と文字で描かれた古代魔法の扉は音もなく閉じていく。ふいに頭蓋の中で何者かの声が響いた。
〈よく帰ってきた、ハイラーエの管理者。我らは喜んでいる。今夜はよく眠れ〉
「ああ。おやすみ」
ザックは何気なく答え、オスカーが怪訝な目つきでみているのに気づいた。
「誰かいたのか?」
「え? いや」
ザックはあわてて周囲を見回した。
「空耳のようだ」
二人はそっとテントの中にすべりこんだ。ノラの小さな寝息が聞こえてくる。ザックはオスカーの体に腕を回し、目を閉じたと思うまもなく深い眠りに落ちた。
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