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第3部 レムリーの至宝 21.オスカー:迷宮モンスターの饗宴

 するすると左右へ音もなく迷宮の扉がひらいていく。僕らの周囲は月色の光に照らされているが、ひらいた扉の先はにじんだような暗闇で、まったく見通しがきかない。  ザックが落ちついた声で告げる。 「この先は最高部につながる制御室のはずだ。モンスターに気をつけろ」  僕のまえで冒険者たちがうなずく。ノラも頬をひきしめて真剣に前をみている。僕はザックの斜めうしろに立っている。彼の防御魔法で守られる位置だ。 「行くぞ」  ザックが前に出た。その右手がどこかにある古代魔法のしるし――ザックだけにみえるしるしに触れる。  暗闇が月色の光で満たされたとたん、耳をつんざくような高音があたりに響いた。  ピュー! チュルル! チュルルルルル! 「ケレドァだ! たくさんいる! ハクニルダーも!」  叫んだのはトバイアスだ。そのとたん、僕らのまえで翡翠と瑠璃に輝く小さな翼がひらき、狂ったように押し寄せてくる。羽毛翼竜だ。一匹一匹は手のひらほどの大きさだが、とんでもない数だ。宝石のような色のあいだでハクニルダーの黒褐色の翼がはためく。 「転移陣を閉じる! 防御膜を張って展開しろ!」  ザックの声と同時に僕以外の全員が防御魔法の盾をひらき、広い空間に飛び出した。僕もザックのあとに続く。僕らをここに運んできた小部屋の扉は僕が外に出たとたん閉じてしまい、やみくもに突進してきたケレドァが僕の顔のすぐそばで壁にぶつかって転がり落ちた。  小さなモンスターの群れはあたりに展開した魔法の盾に当たってはバタバタと床に落ち、冒険者は盾をふりまわして飛び回るモンスターを追い落とす。矢のように飛んでくるモンスターを避けながら、僕はザックの行方を目で追う。中央にそびえたつ白い柱に駆け寄る人影がみえた。ザックが右手で柱に触れたとたん、ずっと上の方でパタパタと布か旗がはためくような音が鳴り響いた。  そのとたん、狂ったように体当たりしていたモンスターがいっせいに上に向かって羽ばたきはじめた。中央の白い柱を渦を巻くように囲みながら上っていくのだ。みあげると丸天井の中央に丸い窓がひらいていた。モンスターの群れはそこへ飛びこんで――または吸いこまれていき、やがて彼らが発していた、耳をつんざく騒音が消えた。  僕らの足元は瑠璃と翡翠色でいっぱいだ。小鳥のようなサイズだから防御魔法だけで撃退されるのだ。冒険者の魔法は攻撃に特化したものではないのに、けっこう応用がきくのだと僕はこの数日のあいだに悟っていた。 「全部出て行ったか?」  ザックの声に冒険者のひとりがこたえた。 「あれをみろ、天井にハクニルダーの巣があるぞ。壁を覆っている蔓は……アギウメか」 「壁を登って取るしかないな」  ザックがそういいながら六角形の柱を囲んで並んだ台座に触れ、古代の魔法を再起動する。すると、いちばん大きな台座の上に透明な立方体が立ち上がった。  僕らはいっせいに声をあげていた。この透明な立方体はニーイリアの制御室にあるのとそっくり同じだ。金色に輝く点と線はフェルザード=クリミリカの見取り図を描いている。  金色の線と点がからみあい、いくつもの結び目を作っている。僕らがいまいる場所がひときわ鮮やかな金色に輝き、青い霞に覆われている。すこしまえにザックが説明してくれたように、人間の体に例えれば首のつけねのあたりだろうか。それより下にある結び目のいくつかは青色に輝いている。これが僕らがこれまで転移しながらたどってきたところで、点滅する青の結び目にはここにいない探索隊の仲間がいる。  サニーがいるのは立方体の真ん中あたり、人間の体なら心臓にあたる、ニーイリアの岩壁の中だ。左右に伸びた支道を探索しているのはマリガン隊の冒険者たちで、彼らはこれまでなかったタイプの秘宝を通路でみつけているという。  マリガンは秘宝を発見した隊員に追加の報奨金を出していた。おかげでマリガン隊のほとんどはザックの指揮下でフェルザード=クリミリカの頂点を目指すより、通路を探索する方を好んだ。そのせいか僕らダリウス隊と行動しているのはマリガン、トバイアス、それにザンダーという冒険者だけだ。 「ここはニーイリアとおなじくらい重要な中継点だ。まずは掃除が必要だな。終わったらサニーを呼び寄せてダリウス隊を一度集めよう」  ザックの声にノラがため息をついて「ここのお掃除、大変そうですね……」と返した。僕らは床に落ちたモンスターの死骸を一カ所に集めはじめていた。冒険者のひとりは蔓草に似た植物モンスター、アギウメをひっぺがし、壁をよじ登ろうとしている。 「ハクニルダーの巣を取る時は卵も見逃すなよ。孵ると面倒だ」  ザックが何気なくいった言葉に僕はハッとした。ハクニルダーの卵だって!  古代魔法の月色の光に照らされていると時間の感覚がわからなくなる。ニーイリアからハイラーエの中枢を移動しはじめて今日で何日経っただろう。一旬日、つまり十日が過ぎるまではちゃんと数えていた。ザックならすぐに答えられるだろう。毎日帳面に書き物をしているから。  僕らはニーイリアの〈転移陣〉からハイラーエの高所へと移動しつづけている。転移陣は転移制御室に隣り合った小部屋の床に金色の線で描かれた模様だ。線と線が交差するところに立ち、あるいは荷物を置くと、頭上にぶら下がる白い柱に金の文字があらわれる。文字に触れると、陣の上にいる人間(と荷物)は瞬間的に次の〈転移陣〉に移動しているのだ。  ニーイリアの転移陣からは上に向かうことしかできないが、転移した先からは元に戻ることもできた。他のみんなと一緒に何度か繰り返すうち、僕も転移陣のどこに立って、どれを触ればいいのかを覚えた。  転移によって僕らがハイラーエの高所へ向かっているのはたしかだが、一回で移動する距離はハイラーエ全体からみるとそれほどでもないらしい。それはニーイリアの制御室にある透明な立方体で確認することができた。  転移陣の小部屋の外はニーイリアの転移制御室に似た六角形の広場だが、ずっと狭くて、たいていモンスターの棲み処になっていた。というわけで転移した先ではまずみんなでモンスターを倒したり追い払ったりして、その後ザックが右手の魔法でこの空間を〈再起動〉する。  僕にはこの意味がはっきりわかっていないが、要するに、この場所で本来働いていたはずの魔法の仕掛けを目覚めさせるのだ。するとモンスターはもうここに入ってこなくなる。  マリガン隊の冒険者が二人一組で通路を探索する一方、ザックが率いるダリウス隊の先鋒はひたすら上に向かっている。最初の二日ほどはおそるおそる転移陣に乗っていたが、やがてみんな慣れてきた。三日目になると、サニー・リンゼイはニーイリアのベースキャンプにいて、ハンターのリラントと解体屋のアガンテが転移陣を使ってベースキャンプと先鋒部隊を往来し、他の隊員も交代で数日おきにベースキャンプに戻って休息する、という流れができた。  ただ、ザックは僕をひとりでニーイリアに戻らせなかった。ヘラートの件があったせいだろうか。  とはいえ、僕はザックにヘラートと起きたことを全部話していない。実のところ、話せなかったのだ。なぜなら――たぶんあれを説明するには、僕がハリフナードルの神殿で何をしていたのかいわなくてはならないだろうから。  ザックは伴侶だ。それでも知られたくないことはある。レリアンハウカーが僕に命じたのは考えたくもないくらいおぞましいことだった。ファーカルが死んだあと軍で受けた仕打ちがずっとましに思えるほどで――だからザックが勝手に納得して、ヘラートが僕に近寄らないようにしてくれて助かったと思った。  僕はうかつにも、ハリフナードルの追手は迷宮には来れないと思いこんでいたのだ。だが幸い、あれからヘラートの姿をみかけたことは一度もない。ザックはマリガンと交渉でもしたのだろうか。とにかく僕はほっとしていた。  どの転移先でも、六角形の広場の六つの壁には触るとひらくものが三つあった。ひとつは竪坑につながっていて、僕らはそこをモンスターの残骸を捨てたり用を足すために使った。もうひとつの開き口は同じ階層の通路につながっていた。最後のひとつは水場だ。でも湯がでたのはニーイリアだけで、浴場のようにぜいたくな設備にはお目にかかっていない。  転移は一瞬だが、そのあとのモンスター退治と掃除は時間がかかった。ニーイリアの制御室はイオスボを倒すだけでよかったが、転移した先は少し様子がちがって、上に行けば行くほど、虫類モンスターがうようよしていたり、アディロ、アギウメといった迷宮植物がびっしり生えていたりした。  モンスターの残骸は迷宮に取りこまれるのだろうが、大量にあると待ってもいられない。一部は肉や素材のためにとっておいて、残りは竪坑に放りこむ。居座っているモンスターもいろいろだ。巨大な牙獣がいて肝を冷やしたこともあったが、南迷宮でおなじみのオウルナムやパズーの群れにも出くわした。  おかげで新鮮なモンスター食に事欠かない。といっても積極的に食べているのは僕の他はノラとアガンテ、リラントの三人だけだが、ザックも僕につきあって少しだけ食べている。  一昨日はたまたまオズリクの生け捕りに成功したので、僕はアガンテと一緒に乳しぼりに挑戦した。オズリクは中型の耳長竜で、背中のコブに滋養のあるミルクを貯める。紫と緑のまだらに覆われた見た目にはぎょっとさせられるが、クリーム色のミルクは熱を加えるとチーズそっくりに固まって美味しい。このまま連れて歩きたいくらいだったので、その日僕は寝る前に片足をしっかり繋いでおいた。ところが起きると影も形もなくて、ミルクを常備する夢はかなわなかった。  しかし、いまたどりついたこの場所はオズリクどころではない。ハクニルダーの卵があるかもしれないのだ!  転移陣のおかげで岩登りをする場面はほとんどなくなったが、冒険者たちは高い壁を登ってアギウメの蔓を剥いだ。誰かが床めがけて丸い固まりをドサッと放り投げたので、僕はあわてて駆け寄った。  やっぱり! もやもやした巣材は何でできているのかわからなかったが、その奥に白い卵が入っている。僕は卵を集めると三重にした布袋に入れ、自分の荷物と一緒によけておいた。あとでハクニルダーの卵づくしを食べるつもりだったのだ。

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