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第3部 レムリーの至宝 22.ザック:至宝へ向かう螺旋

 六角形の広場の片隅で、オスカーがコンロにかけた平鍋をのぞきながら「食べるっていうのは甦ることだからな」と喋っている。 「どんな時も料理をして食べればまともになった気分になれる。実際にまともかどうかはともかく」  おなじくコンロを囲んでいる冒険者のひとりが「絶壁にぶら下がっていてもか?」と笑い混じりに返した。 「当然だな。百戦錬磨の冒険者なんだろう。そのくらいの余裕は持て」  オスカーは落ちつき払って皿に大きな肉塊をのせるとスプーンを平鍋の底につっこみ、焦げ茶色のソースをかけた。肉塊の隣に炊いた穀物を添えて冒険者に渡すと「次は?」といいながら首を回す。ザックは広場の中央に立つ六角形の巨大な柱のすぐ隣からオスカーを見ていた。離れていても目があったのがわかる。オスカーは小首をかしげた。 「ザック、来ないのか? 腹が減ると使える頭も動かないぞ」 「今いく」  ザックは帳面を閉じた。コンロのそばへ行くとオスカーの隣にいたリラントが場所を譲ってくれ、腰をおろして皿を受け取る。  もともとダリウス隊に決まった料理番はおらず、食事は各人が割り当ての糧食をとることになっていた。しかしニーイリアでモンスターを倒したあとは、一日の終わりの食事で、アガンテとオスカーがモンスター肉を調理する役を買って出るようになった。  モンスター肉を敬遠する冒険者は遠巻きに見ているだけだが、決まりきったギルドの糧食に飽きた者は回を重ねるごとにオスカーの鍋にたかるようになっている。ずっとニーイリアの制御室でキャンプの番をしていたサニー・リンゼイもオスカーから皿を受け取っていた。マリガン隊の三人、トバイアスとマリガン、ザンダーはすこし離れたところに置いたもうひとつのコンロを囲んでいる。  ザックが〈クリミリカの喉〉と名付けたこの場所は、ニーイリアの岩壁内にあるものと同じく、ハイラーエを移動するための古代装置のひとつである。転移陣を降りたときはモンスターがうじゃうじゃいたが、今はニーイリアの転移制御室と同じ月色に輝いていた。ザックがこの場所を再起動させ、さらに迷宮の自浄作用をさまたげていたモンスターの巣を掃除したおかげだ。  しかし転移陣を上にたどればたどるほど、モンスターによって荒らされているのはどういうわけだろう? しかもニーイリアの制御室とちがい、この場所の壁には転移陣に通じる扉がない。  皿を前にそんなことを考えていたザックだったが、肉を口に入れたとたん舌の上でほろりと溶けたのに驚いて真顔になった。隣をみるとオスカーは小鉢に卵を割っている。掃除のあいだ真剣な顔で拾い集めていたハクニルダーの卵だ。ザックが見守っていることも気づかない様子で、軽く溶いた卵につけあわせの飯とほぐした肉を入れ、どこからか取り出した小瓶のタレを数滴加えた。 「オスカー?」 「はむむ?」  思わず声をかけたが、魔法技師は口いっぱいに食べ物を頬張ったままで、味わうのに必死な様子である。 「……いや。これは美味いな」  ザックは短く言葉を続けるにとどめた。オスカーは三度の食事にいつも真剣で、いつものザックならその様子を微笑ましく思うのだが、実をいうとこの場所に来てからはそれどころでなかったのだ。  皿をすばやく空にするとザックはオスカーの隣を離れ、フェルザード=クリミリカの立面図を眺めた。それは白い台座に鎮座する透明な厚板で、幅も高さもザックの体躯ほどある。台座はさっきまでザックが調べていた中央の六角柱を囲むようにせりだしている。  台座も透明な厚板も、材質はニーイリアの転移制御室にあるものとそっくりだが、もっと大きい。透明な内部には金の線で迷宮の図が描かれ、冒険者がいる場所にも青い印がついている。これも古代人の魔法機械の一部だ。ザックがこの場所を〈再起動〉することであらわれたのだ。  ダリウス王の小宮殿で〈秘儀書〉に触れたときからザックはこれら古代機械の知識を持っていたし、実際にこれらの魔法を前にした時に自分がすべきことも理解していた。必要に応じて金色に輝く文字が案内もしてくれる。  もっとも転移陣の先にあった光景は秘儀書がザックにみせた像とかなりちがっていた。おそらく原因はモンスターだ。古代人が去ったあとに迷宮に入りこみ、古代機械の周辺を荒らしたのだ。 (定まった時を自在に動かし、あらゆる望みを叶える究極の道具。それがレムリーの至宝だ)  ニーイリアで岩壁の扉をひらいてから、ザックは何度も、宮殿でダリウス王が語った言葉を思い出していた。今いる場所が〈喉〉なら至宝はこの上、頭の部分だ。立面図の最高部、金色の線が重なる螺旋で描かれているところ。  ところがこの場所にはこの先へ向かう通路も転移陣もなかった。  六面の壁のうち五つには扉があった。ひとつは彼らをここまで運んできた転移陣で、他は竪坑と水場、残りふたつはボムでいっぱいの通路につながっていた。マリガンが偵察に行ったが、すぐにこれは六面の広場を囲むようにつながる閉じた通路だと判明した。部屋の中央の柱にも壁にも、ザックをこれまで導いてきた金色の文字はない。  まさか、壁や天井を覆っていた迷宮植物や小さなモンスターの群れは、古代人の魔法まで傷つけてしまったのか?  談笑する隊員を横目に、ザックは腹の底に疑いをしまったままもう一度柱の周囲をぐるりと回った。右手を柱に押し当てても何も起きないし、秘儀書に与えられた知識を思い出そうとしても何も思い浮かばない。  しまいに一面だけ残った、どこにも通じていない壁にもたれて考えこんでいると、オスカーがやってきてザックの隣に立った。 「食べるのが早すぎるぞ」  ザックは無意識のうちに伴侶の片手をとっていた。オスカーは目尻をあげたものの、そのままザックに手首をつかまれるにまかせた。右手の指をからめたとき、手のひらを通じてふたりの魔力がからみあうのがわかった。もやもやと霞がかかっていた頭の中が急に晴れたような気がして、ザックは目を瞬いた。 「ザック?」 「――あれだ」  オスカーの手を握ったままザックは床をにらみつける。中央の柱を囲むように金色の曲線があらわれたのだ。線は縄がほどけるように、柱の周囲から広場全体に螺旋の形で広がっていく。 「何をしているんだ?」  オスカーの怪訝な声はザックの耳に入らなかった。伴侶の手を握ったままザックは螺旋の上を歩きはじめる。流れるように動いていく金色の線をどの順番で、どう追って行けばいいかはわかっている。秘儀書はザックに正しく方法を教えていた。明晰な夢をみているような気分でザックは確実に歩きつづけた。突然周囲で沸き起こった異様な音に気づきもせずに。  グオン、グオン、グオン、グオン―― 「えっ、なんだこれ、ザック、待て――」 「隊長!」  遠くで叫ぶような声がきこえ、ザックはハッと我に返った。床に描かれていた金の曲線が明るく輝いて、白い柱を囲む螺旋階段になり、ザックは階段を昇っていく――いや、階段自体が自動的に動いてザックを上に運んでいるのだ。あわてて下をのぞくとオスカーをはじめとした隊員と、マリガン、トバイアスの顔もみえた。 「ザック!」  オスカーの呼ぶ声が聞こえた。隊員たちが動く螺旋階段の上をおっかなびっくりな歩調で自分の方へ近づいてくる。ザックはかがんで、登ってきたオスカーの方へ手を伸ばした。そのあいだも動く螺旋は白い柱の周囲を回りながらどんどん上昇している。いったいどこまで昇るのか。第一、広場のこの柱はこんなに高くそびえていただろうか。ザックの手はオスカーに届きそうで届かない。 「ザック、これはどこまで行くんだ!」  トバイアスの声が響いて、ふっと消える。突然ザックの視界は白い靄に包まれた。  みえるのは足元からつづく金色の螺旋だけだ。それ以外は真っ白の靄に覆われて、何の音も聞こえない。ザックは混乱しながら周囲をみまわした。いったい何が起きたのか? 「オスカー! トバイアス! サニー!」  頭に浮かんだ名前を順に呼ぶが、声は白い靄の中でかき消えてしまう。かきわけるように両手を伸ばしたが、ベールかカーテンのようにザックの周囲にまとわりつき、足元をおぼつかなくさせる。  ふと上の方で小さな音が聞こえた。  カツン、カツン、カツン、カツン。  足音のように規則正しく、こっちへ向かっているようだ。ザックは叫んだ。 「誰かいるのか? オスカー!」  カツン、カツン、カツン……  音はつづき、ザックはその方向へ金色の螺旋を数歩駆けあがった。そのとたん、顔の周囲にまとわりついた靄が左右に割れ、螺旋を降りてくる人影がみえた。ザックはまた一歩螺旋を昇り、上を見上げ――息を飲んで立ち止まった。  白く長い衣をまとい、純白の髪をなびかせた背の高い女人がザックに近づいてくる。悲嘆に満ちた暗い色の眸がザックをじっとみつめている。女人の背後からもうひとつ人影があらわれ、隣にならぶ。背丈は同じくらいだが肩幅はずっと広く、その顔はザックがよく知っているものだった。 「――グレスダ王陛下。なぜ……」  呆然としたままザックがつぶやいたとき、女人が右手をあげた。指のあいだで何かが鋭く光った。 (ネイン、やめるんだ。そのナイフを捨てろ!)  刃がまっすぐにザックのひたいめがけて飛んでくる。先王が体を投げ出すようにしてザックと女人のあいだに立ちふさがった。

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