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第3部 レムリーの至宝 25.オスカー:滅びをみとめぬ者たちの都

 ザックと出会ってからというもの、僕は意外な出来事や驚異的な事物に出くわすことにすっかり慣れたと思っていた。  フェルザード=クリミリカでモンスターに出会ったり、古代魔法の仕掛けにびっくりしたり、飛行艇で首都へ連れて行かれたり、ザックと伴侶になったり、しまいには王の探索隊の一員としてまた迷宮へやってくることになったり。おまけにハリフナードルの追手にもみつかってしまった。だからもう、このさき何が起きても動じないつもりでいた。  でも、今の状況で動揺せずにいられるかというと――やっぱり無理だ。  僕とザックは不思議な都にいる。  ついさっきまで、僕は白い霧のなかでファーカルの幻をみていた。過去の夢と死者の幻に誘われるように、いつのまにか断崖絶壁の縁に立っていたところを、ザックが投げたロープに助けられたのだ。  ザックのうしろには大きな翼のある生き物がいて、僕は気がついたらこの広場にいた。地面は青いタイルに覆われて、広場の周囲は白と水色に塗り分けられた、とてつもなく高い建物に取り巻かれている。いったい何層あるのか数えることもできないくらい高い。  静かだった。広場の真上には空があり、白い雲がぷかぷか浮いていた。暑くも寒くもなく、風の流れはかすかに感じるだけで、頭上の雲の切れ目から太陽の光が射している。ザックの右手が僕の腕をしっかり握っている。ザックの経脈を感じて左胸がとくんとはねた。  ザックは生きている。神殿の半死者や幻のファーカルとはちがう――でも、ここで無事なのは僕とザックだけだ。〈クリミリカの喉〉にいた探索隊のみんなは石の像になって、僕らを取り囲んでいる。まさかみんな、死んでしまった――?  ザックの右肩に乗った小さな蛇――四つの頭をもつ蛇の、ひとつの頭が僕をじろりとみた。赤い舌がチョロッとのびて、いきなり喋った。 「案ずるな。門番は管理者以外の地上人(ちじょうびと)を通さないというだけだ。管理者が帰還するとき、共に戻れる」 「ちじょうびとって? ここはどこなんだ? 迷宮の外?」  僕は空を指さしながら聞いた。ザックが落ちつかない目で僕をみた。 「いや、ここは……フェルザード=クリミリカの内部――頂点だ。そうだろう、蛇よ」  とたんに蛇の四つの頭が呆れたように揺れ、次々に声をあげた。 「なんと、継承者のくせに自信のなさそうな。管理者の一族はそんなことも忘れてしまったのか?」 「かくも長く不在にしていたかと思えばこのていたらく」 「歴代の継承者は我らの声をろくに聞かなかった」 「血が薄まりすぎたのだ、この者とて目覚めさせられたのは我のみときている」 「黙れ」  ザックが低い声でいった。怒鳴りこそしなかったが気迫は十分で、蛇たちは黙った。 「俺にわかるのは、ユグリア王家に伝えられた『至宝』にたどりついたということだけだ。秘儀書が俺に教えたのはここまでの道と方法だけ。それ以上のことを俺に教えるのはおまえたちの役目だろう。おまえたちは何なのだ」  蛇はザックの肩の上で四対の目をみあわせた。 「管理者とはこんなに生意気だったかのう。地上人の時間は限られているというのに」 「それゆえの継承よ」 「そして我らは継承者の守護役」 「継承者とはすなわち管理者の権限を受け継ぐもの」 「ここはレムリーの都、昇華人(しょうかびと)の都市だ」 「レムリーの都には管理者が必要だ」 「管理者が長らくおらぬと、魔法が都にまんべんなく行きわたらなくなるのよ」 「すると使役人(しえきびと)が勝手なことをしはじめる」 「昇華人の永遠が損なわれる」 「彼らが待っているぞ。早く進め」  蛇の四つの頭が次々に話したことを僕はなんとか理解しようとした。継承者というのはグレスダ王から紋章を受け継いだザックのことで、この蛇たちは彼の守護だ。継承者だけが王家の秘儀書を読み、ここに来ることができる。なぜなら彼にはこの都のための役割があるから――こういうことか?  でも、そうだとしたら「宝」ってなんだったのだろう。ユグリア王家にはいつのころからか、フェルザード=クリミリカの頂点に「レムリーの至宝」と呼ばれる宝があると伝えられてきた。だから僕らは探索隊を作ったのだ。宝をみつけだして王様に持ち帰るために。でもこの都が「至宝」そのものだというのなら、いったいどうなるんだ? 「行こう」  ふいにザックが耳元にささやき、右手がするりと僕の手に重なった。歩きはじめた彼にあわせて僕もあわてて足を動かす。蛇はザックの右肩で四つの頭を揺らしている。いざ歩きはじめると、足元の青いタイルは見た目のように堅く感じられず、ふわふわした奇妙な感触を残した。靴底が地面についているのか、不安になるような感覚だ。距離の感じもおかしくて、二、三歩進んだだけだというのに、彫像と化した仲間たちが視界から消える。ふりむくとずっとうしろに像の影がある。  また前をみると、僕はもう広場の端にいて、巨大な建物のあいだを真っ白の街路がのびている。いったいどこまで続いているのか、この都市はとほうもなく大きいようだが、人っ子ひとりみえない。僕はザックと手をつないだまま、青いタイルから白い道に踏み出した。  するとその瞬間、街に人々があらわれた。  とても、とてもたくさんの人々が。  色も形もさまざまな服を着た人々だった。何人か連れ立って歩いていたり、立ち止まって話をしている。建物の前にはテーブルと椅子があらわれ、ディーレレインの酒場にいる鉱夫たちみたいに、足を組んだり、肘を突いて座っている人もいる。あたりには一瞬前までの静けさが嘘のようなざわめきが満ち、おまけに人々はみんな僕を――僕とザックをみていた。 「これはいったい……」  ザックがつぶやいた。と、人々のあいだで鮮やかな緑色が動いた。緑色の服を着た男がひとり、あいだをぬってやってくると、僕とザックの前に立つ。 「やあ、きみたちが管理者なんだね。ようこそ、待ちかねたよ。天上人(てんじょうびと)のように地上人(ちじょうびと)も滅んだのかと思うところだった。いくら時を超えた永遠をもつ昇華人(しょうかびと)といっても、管理者に頼みたいことはあるものだ……きみたち、名前は?」  やけに気安い口調で男はまくしたてる。白い顔はみょうにつるつるして、睫毛は不自然なくらい長い。「しょうかびと」という言葉はさっきも聞いた。蛇がいったのだ。そう思ってザックの肩をみると蛇はいなかった。そのかわりのように、蛇がいたところに絡みあう蔓の紋章がぺたっと貼りついている。 「俺はザック・ロイランド。彼は俺のスキルヤ、オスカー」  ザックが答えた。用心深い口調だった。男はザックの返答を聞くと長い睫毛をパタンと閉じるようにまばたきした。 「スキルヤ! 地上人の絆の相手だね。一緒に来たのは心強いな。私はドグタニア、今日はきみたちを招待する係に選ばれている。くじに当たったんだよ。知ってるかもしれないが、この都ではすべてがくじで決められるんだ。幸いくじ引き装置には今のところ不具合は出てない。そこで私がやるべきことは、まず――」  ドグタニアはもう一度まばたきをした。僕らを通りこして別のものをみているような目つきだった。 「地上人には地上人らしいもてなし、食事が必要、と。食事か、これはいい。まともな食卓には長い間ついていないな。昇華すると肉体に必要なことを忘れそうになるのでね。たしかゲヴェルが趣味でレストランをやっていたはずだ、どこだったか、ああ、あっちだ。行こう」  ひとりごとのようにぶつぶついったあとで男は手を差し出したが、僕とザックは顔をみあわせた。悲鳴すらでなかったのは、ここに至るまでの驚きで麻痺していたせいかもしれない。というのもこっちに突き出された男の手は半分、空気に溶けるように透明になっていたからだ。  ドグタニアは僕らの顔をみて、自分の体を見た。 「あ、すまない。昇華するとこういうことも忘れがち――」 「ドグタニア殿、申し訳ないが」  ザックがすばやく言葉をはさんだ。 「俺たちには事情が飲みこめていないようだ。昇華人とは何なのか教えてもらえないだろうか。それ以外の、地上人や天上人についても、この都のことも」 「おやおや……なんということだ。忘れっぽいのは昇華人だけではないのか」  突然ドグタニアの体がまた元に戻った。困ったように眉を下げて僕らをみている。しかし街路の他の人々はもう僕らをみておらず、てんでばらばらに歩いていた。僕らのことなどすっかり忘れてしまったようだ。  ドグタニアは街路中央のひらけたところを指さすと、そっちへ歩きはじめた。 「しかたがない。歩きながら説明しよう。昇華人はもちろん我々、レムリーの都の住人だ。遠い昔、我々はハイラーエからここに移り住んだとき、肉体を手放した。魂と意識の永遠を得るために」  肉体を手放して永遠を得る? 僕はぎょっとしたが、ザックと手をつないだまま急いでドグタニアのあとを追った。どちらも手を離そうとしなかったのはひそかな不安と怖れのせいだろう。手を離したら最後はなればなれになりそうな不安をザックも感じていたにちがいない。  でもドグタニアはそんな不安とは無縁らしい。まるで声に出して本を読んでいるような早口で喋りつづけている。 「天上人は肉体を都の外に置いたまま住民となったものたちだが、ずっと前から都にあらわれなくなった。使役人と幻獣が天上人の肉体を看ていたはずだが、彼らもながらく姿を見せないから、もしかしたら滅びてしまったのかもしれない。最後に地上人だが、ザックとオスカー、きみたちのような地上人の管理者は、天上人にそんな不始末を起こさせないため、ハイラーエに残ったものの末裔なのさ」 「つまりあなたたちは古代人の生き残りなのか? ドグタニア殿」  ザックがたずねた。前を歩く足が止まった。 「生き残り? ちがうさ、何もわかっていないんだな」  ドグタニアはふりむき、僕とザックが追いつくまで待った。街路の先にいつのまにか小さな丸太小屋があらわれていた。屋根の真ん中にはレンガの煙突が飛び出し、緑の蔦と花々が壁と屋根を覆っている。僕は首をめぐらし、あたりの光景が様変わりしているのに気づいてぎょっとした。  僕らはマラントハールもかくやというほどの都市にいたはずだ。それなのにいつのまにかのどかな農村にきている。この場所――レムリーという都にはどんな魔法があるのだろう?  僕がどれほどぎょっとしようがドグタニアは気にしていない。花輪で飾られた扉へむかうあいだも、ずっと話し続けた。 「昇華とは生死を超えることだ。ハイラーエの地中より魔力を引き出せば、魂を肉体のような牢獄に留める必要はないのだ。昇華人は生きるために食べる必要はないが、魂と意識がのぞんだことはすべて可能だ。時間や空間に縛られず、肉体がなくとも味わうことも抱きあうこともでき、かつて起きた出来事をくりかえし経験することもできる……たしかに、レムリーが造られた時、いろいろと議論があったのは覚えているよ。地中から無尽蔵の魔力が供給されるとしても、肉体を手放すのはよくないと強固に主張した一派がいたのだ。しかし多くの者が昇華人になるか、またはいずれ昇華するために天上人となることを選び、肉体を手放さない地上人は取り残されて争いを起こした。最後は天上人が仲介して、その結果、地上人のなかの一部の者にだけ都に入れる権限を与え、そのかわり都の下部構造を管理させることになったのだ。ユグリアという氏族だ」 「……それがユグリア王家の起源か」  ザックが小さくため息をついた。 「レムリーの至宝がこんなものだとは……思わなかった」  ドグタニアは怪訝な表情でザックをみた。 「地上人はいったいどうしたんだ? たしかに管理者はずっと都にあらわれなかったが、まさかきみたち以外、滅びてしまったというのではあるまい。さあ、ゲヴェルのレストランについたぞ。何でも好きなものが食べられる」  ドグタニアは古めかしい鉄のノッカーで三度扉を叩き、扉を押した。リリン、とベルが鳴った。

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