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第3部 レムリーの至宝 26.ザック:レ=エレスヌルカの操作卓

「ディーレレインのマルテア食堂みたいだ」  開口一番、オスカーがそういった。  ドクタニアはザックとオスカーを従えて、テーブルのあいだを勝手知ったる様子で歩いている。ザックがまばたきしたとたん、ドクタニアの鮮やかな緑色の服が、マラントハールの貴族がふだん着ているような、落ち着いた色の上下に変わった。男はふりむいてザックに微笑みかけた。 「レムリーのレストランでは素朴なスタイルが流行中だ。きみたちにあわせて私も着替えてみた」  黒と白の服を着た給仕が椅子を引いた。白いクロスの上にクリーム色の紙が一枚乗っている。何も書かれていないと思ったのに、ドグタニアは気取った仕草で紙をとりあげてしげしげと眺め「シェフのおすすめコースで頼む」という。給仕はうなずいて、ドクタニアが差し出した紙を受け取り、つぎにオスカーとザックの前にあった紙も持って行ってしまった。 「ああ、そうだった」  ドクタニアが思い出したようにいった。 「きみたちにはあれは読めないのだったな。勝手に注文してすまなかった」 「いや……かまわないが。ところであの給仕もレムリーの住人なのだろうか」 「そうだとも。給仕は客よりも人気のある役割だよ。私もやったことがある。注文の多い客が来たときはなかなか、やりがいがあるよ」  オスカーが不審な目つきで「芝居をしているみたいだな」とつぶやいたが、まもなく運ばれてきたスープをみるなり真顔になった。 「本物の食べ物だ」  ドクタニアが微笑む。「食事といっただろう?」  オスカーは意を決したようにスプーンを持ち、ひと口啜った。 「これは……豆のスープ?」 「おいしい食物はきみの体にもいい影響を与える」  どこかちぐはぐな会話をききながら、ザックもスープを飲んだ。豆の甘味と繊細な風味がからみあい、マラントハールの宮殿でも出されそうな味わいである。給仕が次に持ってきた皿には、木の実らしき丸い粒がまぶされた生肉のようなものがのっていた。ドクタニアは平然とした顔で手をつけたが、ザックは眉をひそめながら口にいれて、驚いた。さっぱりして、噛むと香ばしい匂いがあふれ、思いがけず美味だった。  オスカーはザックのようにおそれる様子もなく、次々に手をつけている。しかし「我々の食べ物も悪くないだろう?」とドクタニアが得意げにいうと、形のいい眉をあげた。 「でも、あんたも含めてここの住人は肉体を持たないっていっただろう。それならこの食べ物は……この店も、実は全部幻なのか? 僕らは夢をみているのか?」 「レムリーは幻ではない」  ドクタニアはきっぱりといった。 「たしかに、きみたちはいま、この都市の魔法によって心と肉体が分かれた状態にある。それでもここで食べ物を味わっているきみの心はちゃんと体と繋がっていて、この料理で栄養も摂っている。――そうそう、門の広場に残っている仲間もこの食物で栄養を摂っているから安心したまえ。同期するよう門番に伝えておいた。管理者が来るのは久しぶりだから多少の融通はきかせるべきだと思ってね。地上人を空腹のまま放置すると死んでしまうからね」  死んでしまうという言葉にザックはぎょっとしたが、動揺を表に出すかわり、頭に浮かんだことをたずねた。 「ドクタニア殿は食べる必要がないのに、どうして食事をするのだ?」 「我々は生存のための栄養は必要としない。でも味わうこと、それ自体は経験だ。我々は経験を重んじる。昇華人は肉体ではなく心で経験するのだ。あいにく、今きみたちに使っている言葉では説明ができないが。何しろきみたちの言葉も、声に出したり文字で書いたり、つまり肉体を媒介するものだからね」 「……やっぱりよくわからない」  オスカーがいった。ドクタニアはかすかな笑みをうかべたが、そこにはどこか見下すような雰囲気が漂っていた。しかしオスカーは気にした様子もなく、さらにたずねた。 「この都は魔法で動いているんだろう? それはどこからくるんだ? 僕の知っている魔法は生きている人間……肉体の魔力を源にしている。でもあんたたちには体がないんだろう?」 「そうだな。食物にたとえるのなら、この都市はハイラーエの地中から食物を得ている。地中から力をレムリーに取り入れる仕組み、つまり下部構造は、レ=エレスヌルカと呼ばれる。これを管理するのは盟約で地上人の役割になっていた。昔の地上人は交代でレ=エレスヌルカの操作卓(コンソール)にいつも詰めていたものさ。それなのに、いつからか座に誰もいないことが増え、来訪も間遠になり、すっかり訪れなくなってしまった」  ハイラーエの地中から力を得ている、とは? ふと疑念が兆したが、ザックは話の腰を折ることはなかった。ドクタニアはとうとうと喋りつづけている。 「きみたちは二千年ぶりの管理者だ。もちろんレムリーにいるあいだ、管理者は他の地上人に肉体を見守られる必要もあるし、地上人は地上人同士で争うのが好きだからな。事情もあるだろうが、盟約を破るのはいただけない。とくにこの百年は以前より格段に異常が増えている。さっそくだが、食事を終えたらコンソールに案内しよう」  ドクタニアの口調は丁寧だったが、どこか見下したような調子も感じられた。それは天上人、地上人と説明された時にも思ったことだ。もしかしたら自分たち昇華人よりザックとオスカーは下の存在だとドクタニアは信じているのかもしれない。肉体があることはレムリーの住人にとって蔑みの対象なのだろうか。  だからといって、ザックは苛立つこともなかった。それよりもドクタニアが自分に求めていることが何なのか、その方が気がかりだった。  三人がレストランを出ると、外の風景は一変していた。さっきまで緑あふれた田舎の風景だったのに、水色と青の巨大な建物に囲まれた街路に出たのだ。 「急いだほうがよさそうだったからね。空間を巻いておいた」  ドクタニアがまたも得意げにいったが、意味はよくわからなかった。 「あの建物だ」  導かれたのはマラントハールの離宮を思い出させる回廊のつきあたりだった。ドクタニアが扉の前に立つと、左右の壁に吸いこまれるように入口が開いた。ドクタニアは一歩足を踏み入れ、急に立ち止まった。 「どうしたんだ?」オスカーがたずねた。 「ああ、気配を感じてね。天上人のような――いや、彼らはずっと前にいなくなったはず……」  ひとりごとのように呟きながらドクタニアは中に入り、ザックとオスカーを手招きした。 「あれがレ=エレスヌルカの操作卓(コンソール)だよ」  柔らかい光に照らされた部屋の中央にはザックの背丈ほどの透明な円柱が立っていた。材質はフェルザード=クリミリカの制御室でみたものにそっくりだが、幅はザックの肩幅より大きい。  柱の前には大きな背もたれのある椅子が据えられていた。側面の肘かけが柱を囲むように突き出していて、座面は高く、どこか玉座を思わせるものだった。 「あそこに座って操作するんだ」  ドクタニアが他人事のような口調でいった。ここに来る前の熱心な雰囲気は消え失せている。ここまでザックとオスカー連れてきたくせに、自分は興味がないといった様子だった。 「腕輪がみえるだろう? あれが道具だ。嵌められるのは管理者本人だけだ。では、私はここで失礼する」 「え?」  オスカーが怪訝な声をあげると、ドクタニアはなだめるような笑みをうかべた。 「私はきみたちの案内役に選ばれただけだ。レ=エレスヌルカに連れてくれば終わりなのさ」  オスカーとザックの返事も待たず、ドクタニアはそそくさと入口を越えた。そのとたん、左右の壁から扉があらわれ、ぴっちりと閉まった。  こうなると覚悟を決めるしかない。ザックは玉座のような椅子に手をかけたが、急に肩が重くなった気がした。  みると蛇の四つの頭がこちらに向いている。ほんの一瞬前まで、蔓のからまる紋様となって肩章のように貼りついていたというのに。 「おまえたち! いつのまに?」オスカーが小さく叫んだ。  蛇の頭はいっせいにゆらゆらとそよいだ。 「我らは昇華人のいるところでは実体化できないのだ。我らは|使役人《しえきびと》より上位だが、昇華人にとっては道具だからな」 「使役人って?」  オスカーの質問に蛇の一匹が目を細める。小馬鹿にしたような口調でいった。 「おまえはレムリーに来るまでのあいだ、彼らの成れの果てにさんざん出くわして、殺して食ったではないか」  オスカーはきょとんとした。 「どういうことだ?」 「使役人は天上人によって獣から造られた。レムリーとレ=エレスヌルカで労役についていたが、管理者がいないあいだにもとの獣に戻り、勝手に殖えてしまったのだ」  ザックは蛇を横目で見た。 「迷宮のモンスターは古代人が作り出したものだったのか」 「その通り。さて、継承者よ、座るといい」  軽く触れただけで椅子はくるりと回り、座面をこちらに向けてくる。ザックは胸騒ぎを覚えた。自分を強制するみえない力が座れ、と命じたように感じられたのだ。  目をあげるとオスカーが不安な目つきでみつめている。ザックは安心させるようにうなずいて、腰をおろした。  亡霊がみえたのはその直後だった。  円柱がまたたくように何度か白い輝きを発したと思うと、柱を囲むように灰色の影がいくつも立ったのだ。そのひとつが自分に顔をむけたとたん、ザックは大声をあげていた。 「父上?」 (ザック……)  やつれた顔をしたロイランド家の当主がザックをみつめていた。

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