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第3部 レムリーの至宝 28.ザック:クリミリカの喉で

 ザックは息を飲んでオスカーをみつめた。腕輪がおのれの手から離れたとたん、それまで自分の心を押しつぶすようにのしかかっていた何か重苦しいものがなくなって、霞が晴れたように冴えわたっている。執拗に語りかけていた不気味な声――この場所に留まることが義務だとささやく声もいまは聞こえない。  ザックのスキルヤは美しい眉をきゅっとひそめたが、それだけだった。鳶色の髪がゆるやかな波を描きながら腰の下まで垂れかかる。彼の髪はこんなに長かっただろうか? ザックはふと思ったが、オスカーにみつめられるとそんな些末なことは消え失せた。 「ザック、ここから出るぞ。ハイラーエの『至宝』の正体はわかった。おまえがその柱の贄にされるまえに、さっさと行かなければ」 「贄だと?」  オスカーはザックの背後を指さし、ザックは柱――レ=エレスヌルカの操作卓をふりかえった。その内側には都市の写し絵がある。金で描かれた街並みのあいだを動く色とりどりの輝きは都市の住民たちだ。  突然ザックは理解した。ほんの一瞬前まで自分はこの都を維持する力の内側にいたのだ。長いあいだ放置されていたためにあちこちで力の不均衡が発生し、都にはさまざまな不具合が起きていた。ザックはその一部を修復したが、まだ壊れたままのところもある。それに力の源はリヴーレズの谷のジェムだ。地上人(ちじょうびと)――ザックは自然にそう考えていた――が採掘を続ければ、やがて力の源は枯渇するかもしれない……。 「――おい、ザック! しっかりしろ!」  オスカーの鋭い声がさまよいかけたザックの心を呼び戻す。 「おまえは生贄になるところだった。あるいは奴隷に」魔法技師は顔をしかめていた。「迷宮のモンスターみたいに」 「俺に……命じていたのは過去のユグリアの王たちだった。俺と同じように紋章を受け継いだ……」 「彼らはここまで来なかった。あれは幻だ。おまえの蛇がそういって――ん?」  オスカーは目をきょろきょろさせた。 「あの感じの悪い蛇はどこへいった? まあいい、ユグリア王はユグリアの民のためにいるんだろう。ここの連中のためじゃない。早くいこう。僕はこの場所が大嫌いだ」  そう吐き捨てたオスカーの足はもう駆けだしていた。体ごとぶつかるようにして扉をおしあける。ザックはあとにつづいたが、重い扉が締まった直後、街路の左右にずらりと都の住人が並んでいるのにぎょっとした。すべての視線がオスカーと自分を見ている。 「オスカー、こっちだ」  ザックはオスカーの左手を引き、街路を進んだ。最初はふつうの速度で、だんだん早足になり、いつしか走り出していた。群衆の中で声があがった。 「管理者がレ=エレスヌルカを離れたぞ!」  そのとたん波のように群衆が街路にふみこみ、あとを追ってきた。視界の端にドクタニアの緑の服がみえたような気もしたが、都市の住人の色とりどりの服のあいだにすぐに埋もれてしまう。追ってくる群衆は次第に雄たけびのような声をあげはじめ、それはザックを柱にとどめようとした、あの亡霊たちの声にそっくりだった。  左右から伸びてくる手をザックははらいのけた。前方に門がみえた。青いタイル、入口の広場に通じる門だ。ザックの頭をふとマラントハールの宮殿の色がよぎったが、オスカーの叫び声がいらぬ連想を断ち切った。追いすがる住人に髪をつかまれたのだ。  ザックはふりむき、そいつをなぐりつけたが、群衆が壁のように背後を塞いでいるのにぎょっとした。ふいにオスカーの姿が視界から消えた。足を掴まれ、引き倒されたのだ。手首から金の腕輪が街路に転がりおちる。  ザックは無意識のうちに肩のあたりをまさぐっていた。紐のような感触をさぐりあてると引きちぎって腕輪の方へ投げた。 「守護役よ! 俺たちを守り、ここから連れ出せ!」  指先からこぼれた紐――いや、蛇がうねりながら街路を這い、腕輪に頭をつっこんだ。太い胴体の中ほどに翼が生え、のたくる尾が雄たけびと共に追いすがる住人たちをなぎ倒す。  ザックはオスカーの手を引いて蛇の長い体につかまった。ふたりを胴にしがみつかせたまま、蛇は広場の門をくぐりぬけた。金色の光が顔の周囲ではじけた。蛇の体がほどけるように割れ、巨大な金色の布になって広がっていくと、広場全体を包み込んだ。    * 「隊長、ロイランド隊長」  揺り起こされて目をあけると、サニー・リンゼイの顔がみえた。 「いったい何が起きたんです? 我々はどこかへ連れ去られて――あれは夢だったんですか? 何がなんだか……」  ザックは跳ねるように起き上がった。 「みんな無事か?」  ここは〈クリミリカの喉〉だ。探索隊の隊員たちが寝ぼけたような表情であたりをみまわしている。レムリーの都へ通じていた金色の螺旋階段は消え失せていた。しかし中央の六角柱はここに到着した時とは一変していた。透きとおった柱の内部に金の線が描き出す形をザックは苦い思いでみつめた。  レムリーの都市と住人――迷宮の至宝がこれだとは。  背中をぱしりと叩かれてふりむくと、オスカーがみつめていた。 「戻ったな」 「ああ」  全身をかけぬける安堵と喜びのままに、ザックは伴侶を抱きしめようとした。しかし相手はぎこちなく体をそらしながらささやく。 「ザック、足元を見ろ」  金の腕輪が落ちていた。ザックはかがんで拾い上げたが、オスカーはぎょっとしたように目をみひらいている。 「ザック、大丈夫か?」 「ああ。何も感じない……あの時のようなことは」  ザックは腕輪をひっくりかえした。マラントハールの宮殿にある〈秘儀書〉と同様に、この腕輪をはめたときも知識が流れこんできたのだ。あの出来事は幻ではなく、ザックはたしかにあの都に起きていた不具合を(完全ではないにしろ)直してしまったのだろう。  柱の中に映し出されているのはレムリーの都の現在の姿だ。きっと遠い昔には、レ=エレスヌルカの操作卓にもこの場所にも、レムリーの住人に仕える〈地上人〉がいたのだろう。彼らも、いまやモンスターとなってしまった〈使役人〉も、ジェムから引き出された力が都にまんべんなく行きわたらせるために、ここにいた。そしてユグリアの王の血統は彼らからきた……。  新たに得た知識と記憶を反芻しながら腕輪をみつめていると、なめらかな表面がぷくりと浮き上がった。小さな蛇が頭をもたげ、赤い目でじろりとザックをみて、ふたたび腕輪のなかに沈んでいく。 「ザック・ロイランド、あのおかしな街でいったい何があったんだ?」  よく通る声がザックを我に返らせた。 「マリガン」  ユーリ・マリガンがふらつきながら立ちあがった。しっかりしているのは声だけで、どこか不安げな表情だ。 「大丈夫か?」 「変だぞ。俺は……ザック、きみの目でみていたような気がしている。オスカー殿がいた。声もきこえて……食べ物の味すら感じたが、でも……」  歴戦の冒険者はザックの手をみつめた。 「その腕輪はどこから来た? あそこから持ち帰ったのか?」  同時にザックへのびたマリガンの手が、小さな叫び声と共にひっこめられる。腕輪に触れた指先がずるりと剥け、真っ赤に染まっていた。 「おい、なんだこれは!」 「その腕輪は人を選ぶんだ。。僕の手をみろ」  オスカーが冷静な声でいいながらすばやくザックに目配せを送り、火傷で赤く剥けた手をマリガンにつきだした。腕輪を至宝と呼んだオスカーの真意はすぐにわかったが、ザックは息をのんだ。 「オスカー、手当てを!」 「僕は魔法技師だ。この程度なんでもないさ。さあ、帰るぞ。王様が待っているんだろう?」  いつのまにか他の隊員も立ち上がってオスカーとザックを囲んでいる。ザックは全員の目をみつめ、うなずいた。 「ダリウス王の探索隊はフェルザード=クリミリカの攻略に成功した。戻るとしよう」  わっとすべての隊員が歓声をあげかけた――そのときだった。  ブーンという鳴動が空間を揺らした。全員が同時にふりむいた。転移陣に通じる扉に金色の文字が輝いている。何者かが下層から転移してきたのだ。ニーイリアのベースキャンプに残った冒険者だろうか。  しかし開きかけた扉のすきまから、最初にみえたのは剣のきらめきだった。その向こうにあらわれたのは鎧を着た騎士の列と、カイン・リンゼイの不機嫌な顔だ。 「ザック・ロイランド! ユグリア王に対する叛乱の首謀者として、今度こそ討ち取らせてもらうぞ!」  カインの高らかな宣言が終わるのを待たず、武装した騎士の一団が冒険者たちに襲いかかった。

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