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第3部 レムリーの至宝 29.オスカー:サタラスのふたつめの顔

 漆黒の防具に身をかためたカイン・リンゼイの声は、僕だけではなく、探索隊の全員を驚かせただろう。 「……カイン?」  あっけにとられた様子で、最初に騎士に呼びかけたのはユーリ・マリガンだった。 「いったい何をいってるんだ。謀反だと? 俺がここにいるのにそんな話をしているのか?」  カイン・リンゼイはマリガンを無視してザックを睨みつけた。 「マラントハールで叛乱を起こした賊どもは、ザック・ロイランドがユグリア真王だとほざき、陛下を宮殿に幽閉した。迷宮探索といつわって、おまえはすべてを謀っていたのだ!」 「おいおい、カイン」マリガンは呆れた口調でさらにいった。「ザックにそんなことは不可能だ。俺が見張っていたんだからな」  サニー・リンゼイの声も響いた。 「兄さん、説明してください。いったい――」 「黙れ、サニー。ユーリ、おまえもロイランド側なのか? 芝居なら必要ない。ここまで我々を導いたのはおまえの手の者だ」  マリガンを押しのけるようにザックが一歩前に出た。 「陛下が幽閉されているとは何事だ」 「この期に及んでしらを切るな。おまえやヘザラーンの企みに気づいていないとでも思ったか? 捕らえろ!」  カインの号令とともに騎士たちが転移陣からなだれこんでくる。ひるんだように固まった冒険者の前で、ザックが右手を突き出した。防御魔法が傘のように広がったとたん、呪縛が解けたようにみなの手足が動いた。前に飛び出したアガンテの巨体から小さなものが空を飛び、向かってきた騎士の兜にめりこむ。冒険者たちは防御魔法の盾をかざして剣を避け、ナイフや鉤や腕力で騎士に相対する。たちまちあたりは大混乱に陥った。  僕もナイフを抜こうとしたが、火傷した右手のことをすっかり忘れていた。 「オスカー! サニー!」  ザックが僕の肩を後ろへ押しやった。僕は柱の方へさがったが、大股で迫ってきたリンゼイの騎士が僕に覆いかぶさるように向かってくる。ハーッとノラが気合をいれながら走りこんできて、騎士の顎に飛び蹴りをくらわした。 「気をつけて!」  僕が背にした柱の輝きが剣に反射する。倒れこんだ騎士が魔法装置に目を瞠ったすきに僕も蹴りをくらわした。騎士は柱に頭をぶつけ、はずれかけた兜に僕は手をかけると喉に手刀を叩きこんだ。  いったい誰がこいつらをここまで連れてきた? リンゼイはマリガンの手の者とかいっていなかったか?  反射的に僕はマリガンを探したが、横から何者かが僕の手をつかんだ。火傷した方だ。 「うわっ」  叫び声をあげた瞬間頭に何かがかぶさってきた。僕はもがいたが、肩が抜けそうなほど強く腕を引かれ、さらに足が浮くのを感じた。視界を塞がれたまま僕はさらにもがいたが、今度は背中のほうへ腕をねじまげられる。僕をどこかに運ぼうとしているのか? 変だ。こんなのは騎士がやる捕縛じゃない。 「おまえ! 何をしてる!」  トバイアスの声のあと全身に衝撃が襲い、僕は背中から床に落ちた。頭にからまる布をほどいて上体をおこすと、トバイアスが僕の前で騎士と格闘していた。薄い茶色の目が僕をみた。  騎士だって? ちがう、あいつはマリガン隊にいたじゃないか。 「トバイアス、そいつは――」  ヘラートだ。マリガン隊で冒険者のふりをしていたハリフナードルの追手だ。神殿の昏い魔法で作られた変幻自在の兵士。  甲冑の男はトバイアスの腹を蹴り、冒険者はうめき声をあげた。僕は左手でナイフを握りしめ、もつれた足でトバイアスの前へ出た。あれこれ考えている暇はなかった。刃がふりかぶられるのがみえたからだ。  僕は両手でナイフを使える。でも左はあまり上手くない。  ナイフは手を離れたが、剣は避けられなかった。僕の体をつたうように何かが転がって落ちていく。トバイアスが大声で叫んだ。誰かにうしろへひっぱられたが、僕はかがんて足元をさぐり、魔法珠の鎖を握りしめた。(スイ)の魔法珠が砕けている。ザックが男と格闘していたが、さっきの戦いぶりとかうって変わってふらついている。アガンテがなだれこんでくると、解体用の半月の斧を振り下ろした。ガチャッと音がして男の兜が外れた。 「うわっ、なんだこいつ、溶けてるぞ」  僕のうしろでリラントが叫んだ。あいつはハリフナードルの魔法で――神殿で僕から奪った魔力で強化されているはず、と思った時、砕けた魔法珠の色を思い出した。生爪を剥がしたといって僕に近づいたときに使った魔法珠だ。  魔法珠は僕が何年もかけて育てた、僕の魔力の結晶みたいなものだ。それを砕いたものだから、自家中毒でも起こしたのか?  急にどくどくと痛みが襲ってきたが、あたりにはそれ以上に強い腐臭が漂っていた。ザックが叫んだ。 「リンゼイ卿、こいつは何者だ。騎士団の者か? 変だぞ」 「何をいう、俺をたばかろうとしてもそうはいかんぞ!」  僕は痛みをこらえて周囲をみまわした。カイン・リンゼイの横に立つ騎士はたった三人になっていた。隊員のひとりが岩壁を登るロープで倒れた騎士の手を縛っている。アガンテが巨体をどん、と前に進めると、カイン・リンゼイはうしろにさがった。ザックが僕のそばに膝をつきながらいった。 「我々はダリウス王の探索隊だ。フェルザード=クリミリカの至宝を手に入れることが使命で、それ以上のことは何もない」  カイン・リンゼイがせせら笑った。 「そうやって陛下を焚きつけたこともおまえの謀略の一環だろう。その至宝とやらはみつかったのか」 「ああ。ここにある。」  ザックが右手をあげ、すぐに下ろすと僕の傷を縛りはじめた。周囲の空気がひどく重く感じ、僕は目をつむった。まだ血が止まらないのか。生成魔法は失くした組織を蘇らせるが、いま傷ついている体を癒せるわけではない。 「汚れるぞ」  僕はつぶやいた。軽く頬を叩かれる。 「オスカー、俺をみろ。大丈夫だ」  僕はしぶしぶ目をあけた。いわんこっちゃない、ザックの手が僕の血で汚れていた。右手首にはめた腕輪にも赤い染みがついている。僕は手を伸ばしかけ、この腕輪はザック以外に触れないのだと思い出してひっこめた。その時だった。  ぶわんと空気が揺れた。雷が落ちる時のような金臭い匂いが鼻をつき、腐臭に混じる。  カイン・リンゼイが怪訝な表情になった。 「なんだ?」  直後、カイン・リンゼイのいたところに人の形をした光の塊が出現した。  雷が落ちるような速さだ。カイン・リンゼイは稲妻に打たれたように横に跳ね飛ばされた。どさっと音が響いた。  光の塊は最初は直視できないほど明るく、だがすぐに弱くなって……そのむこうに顔と体があらわれた。  誰もひとことも発しなかった。動けなかったのだ。 『……ここはどこだ? フェルザード=クリミリカの中か?』  空気を揺らしながらそう喋ったのは、ダリウス王だった。  エコーのかかった声は不気味だったがたしかに王様のものだった。ぼうっと光がまとわりついた顔も体も、ダリウス王そのものだ。首をめぐらせてあたりをきょろきょとみている。  まさか王様は死んで、亡霊になったのか? 背筋が寒くなったとき、王様が手を叩いた。 『やったぞ! 実験は成功だ。私はやった! 迷宮へ飛んだのだ!』  光をまとわりつかせたまま、王様は満面の笑みを浮かべ、手を叩いて喜んでいる。度肝を抜かれた僕らの顔をみまわし『驚いただろう?』といった。 『よいよい、驚くがいい。私はどうみえている? 顔も体もあるだろう?』  いったい何がどうなっているんだ。王様はさらに手を叩き、嬉しそうにあたりをみまわし、水をかくように両手を動かした。とたんにぼうっと光る体が前に出る。足は床についていなかった。横で小さく悲鳴があがった。カイン・リンゼイの騎士のようだった。  最初に口をひらく勇気をかき集めたのはザックだった。僕の横で膝をついたまま、それでも声を出したのだ。 「ダリウス王陛下……これはいったい……」 『おお、ザック・ロイランド!』王様は満面の笑顔でいった。 『おまえがいるということは、私はたしかに望んだ場所に飛べたのだな。ザック、私は宮殿にいるのだ。つまり私の体は、宮殿にあって、でも私はここにもいる! 以前おまえに私のサタラスを見せたであろう? 真実の顔の裏側にもうひとつ顔があったであろう? 私はついに完成させたのだ。ああ、何が起きるかおまえに話していなかったか? サタラスは心を肉体から解き放つ。これで私は空間を超えられるのだ。私はマラントハールにいてここにもいる。私の心が……』  サタラス。僕は王様の宮殿を思い出した。迷宮から集めた秘宝を使い、王様自身が組み立てたという魔法機械だ。ザックの父のロイランド卿はあれにつながれて大変なことになったのではなかったか?  とんでもない話を聞いてもザックは動揺したそぶりをみせなかった。ゆっくり立ちあがり、王を正面からみた。 「陛下、私はカイン・リンゼイより叛乱が起きたと聞いたばかりです。ご無事でいられるのですか?」  王はきょとんとした目つきになった。 『ああ、なにやら外が騒がしいと思っていたが? ……なにしろ私はずっとサタラスと共に籠っていたからな。問題ない、食事はちゃんと届けさせている』 「陛下、お聞きしているのはそんなことではなく」 『それよりザック、探索はどうなった。レムリーの至宝は? 私の宝は?』  まさか、王様は自分が幽閉されたと思っていないのか?  ダリウス王の体がすうっと前に動いた。進路に立っていた連中がうわっと声をあげて避けた。 「陛下、私とオスカーは迷宮の秘密を明らかにできたと思います。マラントハールに戻ったら説明いたしましょう」  ダリウス王はザックの話を聞いていないようだった。僕はザックの体にすがるようにして立ち上がった。 『おまえは迷宮の扉を開けたのか? その腕輪は? 朽ちかけた秘宝ではないな。古代魔法の気配がある。とても強い、強い気配だ。心だけになった私にはわかるぞ』 「陛下、この腕輪は」 『渡せ』  王様の手がザックに伸びてくる。あの手は現実の体にさわれるのか、という疑問にはすぐ答えが出た。王の指はザックの手を素通りして腕輪だけをつかんだのだ。あわい光をまとった指が僕の血で汚れた部分をなぞると、金色の蛇が輪から頭をもたげた。ダリウス王は驚かなかった。 『紋章の蛇、おまえはもう私を愚弄できぬ。私はここまで来たのだからな。そうだ、冒険者でなくとも私はここへ来たのだ! 迷宮の至宝は私のものだ』  腕輪から蛇の胴体がするすると伸びた。太く長く、螺旋を描きながら、どこまでも上に。ダリウス王は腕輪をはめた手で蛇の尾をつかみ、そのまま宙へ浮きあがった。

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