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終章 ユグリア王の魔法技師 2.失くしてはならないもの

「なんだって、ボムがなくなった? 北迷宮から?」  驚きのあまり叫んだとたん食べかけの竜骨スティックが膝に落ち、僕はあわてて拾い上げた。マシューとデイヴ――見舞いに来てくれた元鉱夫――はそろって首を振ったが、方向がちがう。マシューは縦でデイヴは横だ。 「あーいや、なくなったってんじゃねえよ」 「でもなくなったようなもんだ。一度外すか爆発させれば再生しなくなったんだ」 「あ、あとな、モンスターの死骸も消えないんだと」  とふたりで口々にいったあと、まとめたのはデイヴだった。 「つまりフェルザード=クリミリカは特別じゃなくなったんだ。谷やオリュリバードと同じさ」  いったいいつのまにそんなことになったんだ? 僕が迷宮にいたあいだ、いや覚えている限りではそんな現象は起きていなかった。さては僕が気を失ったあとにさらに何かあったのか。  探索隊の誰かにたずねたかったが、隊員はみんな――冒険者だけでなく、ハンターのリラントと解体屋のアガンテまで、飛行艇でマラントハールへ行ってしまったらしく、詳しい話を聞ける人間はひとりもいなかった。  デイヴによれば、異変は僕らの探索隊が迷宮にいるあいだに起きたらしい。一報はシルラヤの岩壁から迷宮の低層を巡回して秘宝を探していた冒険者たちからもたらされた。長いルートを辿って元の道に戻ったとき、彼らはモンスターの死骸が消えていないことにまず気づき、次に、往路で爆発させたボムの跡がそのままなのに気づいた、という。  今の迷宮がどうなっているかこの目で確かめたくてうずうずしたが、僕はルッカの親父さんにひとりで外へ出るなといわれていた。その見返りのように僕はこの三日、おかみさん謹製の食事を朝昼晩とごちそうになったあげく、おやつまでもらっているのだった。  おかみさんは僕がモンスター肉大好きだと知っているから、毎回手を変え品を変えたモンスター料理を出してくれる。そのせいもあってか僕の髪は目覚めるたびに伸びた。あと一日もあれば背中に届きそうだ。傷も日ごとに良くなったし、少なくとも魔力については、簡単な施術ができる程度は戻った。  僕が離れていたあいだも、ディーレレインはあいかわらず迷宮観光とジェム採掘の町だ。  ルッカの親父さんは迷宮案内人のまとめ役で町の顔役でもある。探索隊のみんなはいなくても、ディーレレインの知り合いがこの三日、次々に僕を見舞いに来て、あっという間に時間がすぎた。  ほんとうにびっくりするくらい客がやってきた。デイヴやマシューのように僕が手足を再生したことのある住人や、ルッカを通じて知りあったガイドたち、モンスター食を求めて市場をうろつくあいだに顔見知りになった店主まで。ベクレイ市場に店を出しているバーチはたずねてこそ来なかったが、ハンターのジョインに薬草茶をことづけてくれた。この町にいたのはほんの数年なのに、こんなにたくさん見舞いにくる「友達」がいるなんて、僕は思ってもみなかった。  もちろん僕は以前から住人たちに、特に鉱夫たちには知られていた。なんといってもディーレレインの魔法技師は僕ひとりだ。しかし今僕に会いたがっている人の中には、僕を見舞いたいのではなく、顔を見たいだけという野次馬が相当いるらしい。  実際に会ったのは親父さんのチェックを通った知り合いだけだったから、野次馬がどのくらいいたのかを僕は知らなかった。ただ。見舞いに来た人々と話すうち、野次馬がおしかけてきた理由はわかった。  すっかり噂が広まっていたからだ。僕が次期ユグリア王の伴侶だ、という噂が。 「そうねえ、すっかり有名人になってますよ、オスカーさん」  のんびりした口調でいったのは、翌々日の遅い時間にやってきた冒険者ギルド職員のティレワンだった。以前僕の店の周囲をぶらついていた、尖り気味の耳を持つ男だ。  サニーが留守にしているので(彼も他の隊員と一緒にマラントハールに行ってしまった)忙しくてやりきれないとぼやきつつも、ティレワンはギルドに届いた速報を持ってきてくれたのだ。でも僕は小さな紙にびっしり書かれた文字に苦戦し、読んでくれないかと頼んだ。  ――この七日のあいだに五芒星と六芒星の貴族をまとめることに成功した。ダリウス王は宮殿の「さたらす」で眠っている。ダリウス王と入れ替わるようにロイランド家の当主は意識を取り戻し、六芒星の屋敷で療養中。一方、ラニー・シグカントの容体は思わしくない――  こんなの、ただの平民や異国人には絶対知らされないはずの、ユグリア貴族と宮廷の事情じゃないか。僕に聞かせていいのか? と思った時、ティレワンがつづけて読んだ。 「――ハリフナードルの件も調べている。今は安全な場所にいてほしい。一刻も早く情勢を落ちつかせてディーレレインに行く。会いたい。――以上ですよ。じゃ」  ティレワンは紙を僕に押しつけて、あっさり戸口へ向かおうとする。僕はあわてて呼びとめた。 「待ってくれ。これ、ザックから届いたのか?」  ティレワンはきょとんとした目つきになった。 「え? いいませんでしたっけ?」 「ギルド宛の速報だっていったじゃないか。だからてっきり――いや」  僕は顔の前を手であおいだ。なんだかすごく顔が熱い。 「その……読んでくれてありがとう」 「どういたしまして。ついででかまわないんで、俺はサニーに早く戻ってほしいです。あいつ貴族さんだし、見捨てられないかって心配ですよ」  本気とも冗談ともつかない口調でそういうとティレワンは帰って行った。  ひとりになった部屋の中で、僕は渡された紙片をみつめた。書かれている言葉の、最後の文字をくりかえし目でなぞっていると、急に胸が苦しくなった。  僕は変だ。  会いたい。  堰を切ったみたいに、ザックに会いたい、顔をみたい、声を聞きたい、という気持ちがあふれだす。あふれでて、僕を押し流そうとする。  思わず紙片をほうりなげ、僕は寝台にうつ伏せになった。枕に顔を押しつけて、胸のなかで渦を巻く思いと格闘する。もしかしたら、僕は意識してザックのことを考えないようにしていたのかもしれない。見舞いに来てくれる人たちや、おかみさんのご飯で紛らわそうとしていたのかも。  ついさっきまでなんとも思っていないつもりだった。それなのに――今の僕は、ザックがここにいないことが寂しくてどうしようもない。  会いたい。  僕はのろのろと寝台を下りて、紙片を拾い上げた。僕もザックやサニーのように、こんな文書をすらすら読めるといいのに。慎重に文字を追い、ハリフナードルの件、のところをもう一度読んだ。迷宮で僕を連れ去ろうとしたレリアンハウカーの兵士は死んだが、他に紛れこんだ者がいないか調べているのかもしれない。ザックは僕が話したことを何ひとつ忘れていないのだ。  僕は紙片を枕の下に入れ、頭をかきむしった。胸のあたりで誓印のペンダントが揺れた。ザックはマラントハールにいる。二度と会えなくなった人たちとはちがう。だから――  だからこそ早く会いたい。二度と会えないわけじゃないから、早く会いたい。  王都から飛行艇がやってきたのはそれから五日後のことだ。  早朝に冒険者ギルドから親父さんに知らせが来て、僕は朝食もそこそこに発着場へ駆けつけた。すっかり元のように伸びた髪はターバンにおさまり、着ているのは馴染んだ魔法技師のローブだ。発着場にはティレワンやルッカの親父さんのほかにリロイもいた。リヴーレズの谷は朝日で眩しかった。飛行艇も照り返しでまばゆくかがやいている。  飛行艇の扉があき、最初に出てきた人物をみたとき僕は実をいうとがっかりした。アスラン・リ=エアルシェだったのだ。華美な服をまとった貴族はもったいぶった様子で横手に退き、飛行艇を振りむく。  白い髪がみえた。  僕の足は勝手に動き出していた。長身がこっちを向く。ザックはちっとも、王様らしい服装ではなかった。着ているのはよくみかける冒険者と同じものだ。僕らがはじめて会った時と変わらない。  遠目にザックの顔をみたとたん、時間が長く引き伸ばされたような気がした。こっちに来るのなんか待っていられない。 「ザック!」  僕はローブを揺らして走り、ザックの腕の中に飛びこんだ。太い両腕が僕をつかまえた。背中を抱きしめられて、僕は岩壁を登る冒険者の腕がどのくらいたくましいのかを思い出す。頬を胸に押しあてて匂いをかぐ。顔をあげると暗色の眸に出会った。  僕はやっと息を吐いた。「遅いぞ、おまえ」  答えのかわりに唇が下りてきた。僕は両腕をザックの首にまわした。重なった唇からザックの吐息をうけとる。いくら口づけしても足りないような気がする。でも背後でわざとらしく咳払いする音が響き、僕はしぶしぶ唇をずらした。 「オスカー」  ザックの唇はまだ僕の頬に触れそうな距離にある。 「俺はおまえをディーレレインに帰すと約束した」  僕はザックの目をみつめたままささやき返した。 「ここはディーレレインだ。おまえは約束を守った。でも……」 「でも?」 「今は新しい約束が必要だと思う」  背中にまわったザックの腕がぐっと強くなる。 「どんな約束が必要だ?」 「おまえは……」僕の声はふるえた。「僕から離れてはいけない。ディーレレインでも、マラントハールでも……どこでも。スキルヤを誓っているとか、関係ない」 「ああ……」ザックはため息のような声をもらし、僕をもう一度抱きしめた。 「約束するとも」

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