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終章 ユグリア王の魔法技師 5.ユグリア王の魔法技師

「そこのお姉さん、案内人は雇った? ハイラーエを観光するなら絶対にガイドが必要だ。ディーレレインは迷いやすいし、迷宮にはガイドなしでは入れない。古代ユグリアの奇跡、フェルザード=クリミリカを見に来たんだろう? ルッカが案内するよ!」 「お姉さんだって?」  僕は笑いをこらえてふりむく。 「客の顔をみてから声をかけろよ。僕を釣ってどうする」 「あ……オスカー?」  僕の名を呼んだルッカの顔はちょっとした見ものだった。頬を赤くして口を尖らせた顔はまだ新米ガイドだったころからそれほど変わっていない。 「なんだよ、どうしてこんなところに!」 「何をいってるんだ、こんなところはないだろう」 「だって……オスカーがいるなんて思わないじゃないか。服も髪型も最近の流行りだし。きれいだけど」 「そうだな、悪かった」  今日の僕はいつものローブではなく、ゆったりしたズボンと短い上着、その上からガウンという師業の服装だ。髪は上の方を編みこみに、背中に垂れた部分は布で覆っている。ユグリアでは女性の髪形だからルッカが勘違いしたのは無理もないし、実際のところこれは変装の一種だった。ザックが正式にユグリア王になって一年、僕は王の伴侶としてそこそこ顔が知られている。  僕とルッカが話しているあいだも左右を人々が通り過ぎていく。ここはディーレレインの玄関口、ソリード広場だ。あいかわらずの混雑で、鉱夫、冒険者、商売人といった連中のあいだを慣れない様子の観光客が歩いていく。ルッカのような迷宮案内人たちは、ツアー板を高く掲げたり、チラシを配ったりと、注目されるのに必死だ。フェルザード=クリミリカの低層が観光用に開放されてから、ディーレレインに来る観光客は着実に増えている。 「いつ来たの? あ、ひょっとしてオリュリバードにできたあれのせい?」  ルッカが早口でたずねたが、僕は首を振る。 「僕はそっちは関係ない。冒険者ギルドに施術を頼まれただけだ」  ルッカは納得したという様子で肩をすくめた。 「王都から出張か。お疲れさま。オスカーより腕のいい魔法技師、いないもんね。でも、どうしてソリード広場に?」 「そりゃもちろん――」  僕は向かいの土産物屋の横の、人がずらりと並んだ列へあごをふった。 「ユミノタラスの串焼きを買いにきたんだ。マラントハールのモンスター料理は上品すぎて、ここの屋台ほど景気がよくない。とりあえず並ぶよ。急がないとばれる」 「もうばれてるぞ」  背後で低い声が響いた。僕はぎょっとして振り返り、目深に帽子をかぶった冒険者をにらんだ。 「はやっ……オリュリバードの訓練所開設式、もう終わったのか?」 「ああ。簡単なものだからな」  ザックの白い髪は帽子に隠され、長めのつばで顔は半分隠れている。熟練した冒険者の雰囲気を放っていることもあって、この国の王様だとわかる人はきっとここにはいない。  それでも僕は周囲をみわたした。冒険者のみなりをした騎士がふたり、ザックのすぐ後ろについている。ルッカは僕が誰と話しているのか気づいて目を丸くしたが、すぐに訳知り顔で目配せをした。 「じゃあね、オスカー。ユミノタラスは早く買った方がいいよ」  広場を横切っていくルッカに僕は手を振り、ザックに向きなおる。 「僕がここにいるって、なぜわかったんだ?」 「屋台でユミノタラスを扱っているのはここだけだとノラに聞いたんだ。昨夜はずっとこの屋台の話をしていただろう」 「ばれていたのか」 「ああ。とにかく並ぼう」 「え?」  ザックが堂々とした足取りで行列の最後尾へ並んだので、僕はあわててついていった。大丈夫なのか。式典に出席するためにやってきたユグリア国王がこんなところにいると知られたら、大騒ぎになってしまうのでは。それに王様に焼きたての串を歩き食いさせるわけにもいかないのでは?  だから僕はここへひとりでこっそりやって来たつもりだった。でもばれていたのならしかたない。  ザックの横で首をめぐらし、護衛の騎士を探すと、彼らは列に並んでいなかった。いざというときすぐに駆け寄れる位置でうろついている。僕はなんだか申し訳なくなった。順番が来たらあのふたりの分も買おう。  フェルザード=クリミリカに大きな変化が起きたあのときから、ユグリア王国もディーレレインの町も、それなりに変わった。北迷宮の探索はボムが再生しなくなっただけ難易度が下がり、以前よりずっと多くの冒険者が探索に向かうようになった。  ちなみにノラ・バセットは古代遺跡を掘るのに夢中だ。モンスター狩りも盛んで、リ=エアルシェ商会はモンスター素材の商売を拡大している。  新しくはじまった古代ユグリア遺跡見物ツアーにも観光客が押し寄せている。フェルザード=クリミリカの白い石が作り出す迷宮の景観はディーレレインやオリュリバードとはまったくちがう美しさだ。画家のリロイは観光客相手の似顔絵商売をやめて、フェルザード=クリミリカにイーゼルを立てるようになった。  とはいえ迷宮が危険な場所であることは変わりがなかった。未踏の場所はまだたくさんあり、モンスターはいたるところに巣を作っている。そこでディーレレインの冒険者ギルドはオリュリバードの一部を訓練所に改造することにした。初代所長はなんとユーリ・マリガンである。今日ザックがディーレレインに来たのは訓練所の開設式に立ち会うためだった。僕はそのついでだ。  といっても、魔法技師の役割を果たすために僕はときどきディーレレインを訪れている。今のディーレレインに魔法技師は住んでおらず、マラントハールの魔法技師たちはディーレレインに行きたがらないからだ。僕の店はそのままになっている。  最近の僕は各地に伝手をもつアスラン・リ=エアルシェを通じて、腕のいい魔法技師を探している。ザック王の伴侶が異国人の魔法技師だということはユグリアではかなり知られている。どこかでそれを聞いてユグリアに来る者がいないだろう――。近頃の僕はよくそんなことを考えている。僕は誰かに海陸民の魔法を教えたかったし、ディーレレインも魔法技師を必要としているのだ。  アスラン・リ=エアルシェといえば、ザックはアスランの手の者にハリフナードルの動向をひそかに探らせているらしい。今のところ僕を追ってくる者はいないし、ハリフナードルはユグリアから遠く離れている。ザックがかの国を警戒しているのはきっと僕のせいだ。とはいえかの国は拡張を好み、終わりない戦いをいとわないから、ザックは間違っているわけではない。 「ユミノタラスの串焼き。五本」  やっと屋台列の順番がきて、僕は店主に注文する。 「ほい、五本ね。ちょいと待ってね」  炭火の上で煙をあげてじゅうじゅう音を立てている肉を眺めているのは最高だ。匂いに鼻がうごめき、僕はそわそわしはじめる。ふと気配を感じて横をみると、ザックが目尻を細めている。 「何がおかしいんだ?」  ザックはごまかすように目をそらした。 「いや。なんでもない」  ふと時間がまき戻されたような気分になった。ザックが冒険者の装いをしているせいだろうか。そういえば最初に会った頃、ザックは時々こんな目つきで僕をみていなかったか。 「できたよ、ユミノタラス五本」  店主の声が一瞬の物思いをやぶった。焼きたての肉串は油紙の袋に無造作につっこんであり、ものすごくいい匂いがした。ザックと一緒にソリード広場を歩きながら僕は真理を嚙みしめる。やはりディーレレインの屋台飯は最高だ。

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