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番外編SS マラントハールのいつもの朝

 目をあけたとたん、白い壁の表面を色つきの光が動いていくのが見えた。  高い窓に嵌められた色ガラスを透かして朝の光が差しこむとこんな風になる。僕はぱっと起き上がったが、ザックはもう寝台にいなかった。  ユグリア王には七日に一度、早朝から公務がある。朝食前に謁見をすると最初に聞いたときはびっくりしたが、首都マラントハールでは古来からの伝統らしい。謁見といっても請願を受けつけたりするわけではなく、民に顔をみせる行事である。ただ伝統といっても、ダリウス王は即位のあと一度やっただけで、そのあとは無視していたという。  ザックに王位を譲ったダリウスは今も〈サタラス〉の中で眠りつづけているが、宮廷を出入りする貴族やメイリンから色々と話を聞くに、こういった態度はマラントハールの民衆や官吏、宮殿に仕える人々によく思われていなかった。ザックが王位につくことがすんなりと受け入れられたのはこんな事情もあるのだろう。  さいわい王の伴侶にはこの謁見に出る義務はない。とはいえ、朝食が刻々と迫っているのにいつまでも寝台にいるなんてもってのほかだ。王のための広い寝所に隣りあった化粧室で顔を洗って着替えると、ちょうどいい頃合いで扉が叩かれる。 「オスカー様、おはようございます」 「おはよう、メイリン」  ザックが王様になったあと、メイリンの表向きの役目は僕付きの侍女、それも髪を結うだけの侍女だ。なにしろ僕はメイリン(とザック)以外には髪を触られたくない。ディーレレインではターバンで巻いていればよかったが、王の伴侶としてマラントハールの宮殿にいる時はそうもいかない。というわけで、メイリンがここにいるのは僕のわがままをザックが許した、ということになっている。  もっともこれも表向きの理由で、メイリンの本当の仕事は王の〈目〉だ。一介の侍女のふりをしているが、何人も部下を持ち、ザックのために情報を集めている。きっとナイフか、何らかの体術も使えるはずだ。僕もナイフが使えるから何となくわかる。でも隠密役に面と向かって聞くなんて野暮だから、直接たずねたことはない。 「今日はどんな風にしましょうか」 「昨日と同じでいいよ」 「昨日はその前と同じだったでしょう? たまには変えましょう」  宮殿で過ごす時の僕の身なりに関しては、メイリンの言葉には圧倒的な権威がある。ユグリア王国では男も女も長い髪は結い上げたりひっつめたりするが、僕の一族は髪に魔力を貯めるから、がちがちに結い上げるのはご法度である。それでも鏡をみているあいだに髪はほどよくまとめられ、背中に流した部分はきらきら光る霞のような布で覆われた。  さて、朝ごはんだ。いそいそと立ち上がった僕にメイリンが告げた。 「厨房の者によると、今日はディーレレイン風だそうです」 「お! お粥かな?」  足取りも軽く食事の間に入ると、予想通りだった。席につくとまず、崩れそうなほど柔らかく仕立てたパズー肉が運ばれてきて、次に給仕が熱々のお粥を皿に盛ってくれた。  宮殿の厨房は最近、ディーレレインからモンスター食材を取り寄せるようになった。ロアセア一族のヘンリーが経営しているモンスター食のレストランはマラントハールで大人気だ。それもあって、厨房の誇り高い料理人はモンスター食材を使った新しい宮廷料理を試している。彼らにかかるとディーレレインの屋台メニューも、とても繊細で複雑な味になる。僕の感想? どちらにもそれぞれの良さがある。  僕が美味しいものに目がないことは厨房の料理人たちにはすっかり知れ渡っている。ザックが王様になるまえから、出される料理について給仕に根掘り葉掘りたずねていたし、ザックが王様になったあとは堂々と厨房を見学できるようになった。が、毎日のようにのぞきに行ったせいで、ついにメイリンに「ほどほどになさいませ」と小言をいわれてしまった。  崩した肉をお粥にのせて、ふうふうしながら食べているとザックが戻ってきた。日によって昼食や夕食は別々だったり、大勢での会食になることもあるが、朝はいつも一緒だ。ザックはテーブルを見て「今日はディーレレイン風か」という。 「パズーの角煮もあるぞ」  僕はスプーンを振ってパズーの皿を指す。なぜかザックがにやっと笑った。 「どうしたんだ?」 「いや。エガルズの横丁を思い出した」  そういえばザックとはじめて一緒に食べたのも、パズーの角煮を添えた粥だった。今のザックはためらいなくパズーの角煮をほぐしているが、あの時は怪しいものでも見るような目で器をのぞきこんでいたっけ。 「オスカー?」  ザックが怪訝な顔で僕をみた。きっと思い出し笑いが浮かんでいたにちがいない。僕はさっと口元をひきしめ、最後の一粒まで残さずすくった。今日の朝ごはんもとても美味しい。

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