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番外編SS アスラン・リ=エアルシェの信仰告白

終章「ユグリア王の魔法技師」第3話の直前に当たる小話。 第2部「ユグリア王国の秘儀書」22話と合わせてお読みくださるといいかもしれません。  ***  ユグリア王国の首都マラントハールは、大きく三つの区域に分かれている。  首都を象徴する五芒星の区域は王と王に近しい貴族が暮らす中心部で、広大な宮殿と庭園と、王に選ばれた貴族の屋敷、それに騎士団の本拠が置かれている。その外側の区域は六芒星の壁に囲まれ、小貴族や大商人の屋敷街、冒険者ギルド本部にトスキエラ訓練所、さらに宮中御用達の高級店が並ぶ、モザイクで飾られた美しい街路を含んでいる。  マラントハールを囲む最後の壁は八芒星だ。平民の区画をぐるりと取り囲んでいるが、この数十年のあいだに数回作り直されていた。都市の人口が年々増えているせいだ。  不可解で衝撃的な事件を経て、ダリウス王からザック・ロイランドに王位が譲られて七日後のこと。アスラン・リ=エアルシェは、宮殿の南側の庭園をゆっくりした足取りで歩いていた。  左右を埋めつくすフィルーイゾンの多くは花の季節を終えている。もうすぐ、温室で育てた別の種類の鉢花と交換され、庭園は新しい花で埋め尽くされる。しかし遅咲きの株にはまだ花開いているものがあり、ところどころから甘い香りが漂ってくる。  フィルーイゾンの香りを嗅ぐと、アスランの脳裏には自然と、新しい王の伴侶、オスカーが浮かんで離れなくなる。この庭園で出会い天啓を受けてから、アスランが神にもひとしく――いや、人の姿をまとった神そのものとして、崇拝している存在である。 (ザックのスキルヤのオスカーだ。よろしく)  凍るような冷たい眸でアスランを見据えながら、神は冷たくいいはなった。アスランはあの声を一生忘れることはないだろう。  オスカーがただ美しいだけなら、あれほどの衝撃はなかった。しかしあの一瞬、アスランの目にはまぶしい光の輝きがみえたのである。神秘的で近づきがたい雰囲気にアスランは圧倒されたが、それでも平静を装って手を差し出した。  あの時の自分のふるまいを思い出すと、アスランは羞恥に震えそうになる。神に向かってあんなことをいってしまうとは! (これはまた、とても美しいスキルヤだ)  なんと失礼なことを。美しいなど、神に対して! まるで只人を褒めるように告げてしまうとは!  もちろん神はアスランの手を退けた。今思えば当たり前のことである。  アスランは傲慢にして、ふるまい方を知らなかった。だが神は寛容だった。 (ああ、失礼した。アスラン殿といったか。ユグリアの風習に疎くて申し訳ない」  アスランの名を呼んだだけでなく、申し訳ないと! 申し訳ないと、神にいわしめたのだ――  あの時の自分は本当に愚かの極みだった、とアスランはもう何度目になるかわからないため息をついた。  しかしあの瞬間、アスランはオスカー・アドリントンという人の姿と名をもち、自身の前に君臨した美の神に屈服したのだった。そしておのれを低くし、神の意に従うと決意したのである。  それからというもの、アスランは屋敷にオスカーを称える祭壇をもうけ、花を捧げて忠誠を誓っている。そこまでやっているのを知るのはごく少数の召使だけ――に留まればよかったが、グレスダ王の 〈目〉だったロイランド家のメイリンには、その少数の召使を通じてすぐに知られてしまっていた。  おまけに生まれて初めてこのような信仰を得たアスランは、態度や言葉でもオスカーへの傾倒を包み隠そうとしなかったので、まもなくマラントハールの宮廷と社交界は、アスラン・リ=エアルシェがオスカー・アドリントンに「狂ってしまった」ことを認めることになった。  とはいえそうやって信仰の天啓を得ても、アスラン・リ=エアルシェはやはり、アスラン・リ=エアルシェである。  つまり、冷静で情に流されない商人で、独自の情報網を束ね、目的のためなら手段を選ばず、大勢を観察しては強い方につき、損をすると思えば冷酷に切る、そんな彼の本質に変わりはなかった。  結局のところアスラン・リ=エアルシェは、愛や情のわからない人間なのである。信仰は彼にこれから、いったい何をもたらすだろうか?  何はともあれ、今のアスランは幸せである。しかし同時に恐れも感じている。  なぜなら人の姿をしている神は永遠ではないからだ。迷宮探索の終盤で刺客に襲われた神=オスカーは、現在ディーレレインで療養中である。  その報を聞いたときは、アスラン自身の呼吸まで苦しくなり、その場に倒れてしまいそうになった。さらにオスカーを襲ったハリフナードルの者が、リ=エアルシェ商会のつてでユグリア王国へ潜り込んでいたと知った時、アスランはザック王の前で膝を折って平伏したものだった。  幸いザック王は寛容で、アスランに咎を負わせるようなことはなかった。オスカーの代わりに刺されてもよかったとのたまうアスランに困惑しつつ、代わりに重要な任務をあたえた。リ=エアルシェ商会の情報網を駆使して、王国にハリフナードルの手の者がいないか、常に目を光らせておくこと。ディーレレインで好き勝手やっているロアセア家の代理人を牽制すること。  ちなみにその場にはユーリ・マリガンもいたのだが、彼は大袈裟な身振りでその任務を受けたアスランに対し、終始呆れたまなざしを向けていた。  オスカーという神のために、アスランはこれからも力を尽くすことだろう。

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