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番外編SS ヘンリー・ロアセアの小さな野心

第3部「レムリーの至宝」第3話のあと、オスカーとノラがお昼を食べに行ったお店の小話。 ***  ユグリア王国の首都マラントハールでは、モンスター食は高級料理である。 『テルアブ=クユニ』はジェムの精錬法の発明で財をなしたロアセア一族のひとり、ヘンリー・ロアセアがはじめたレストランだ。宮中御用達の高級店がならぶ、六芒星の目抜き通りにある。貴族の別荘のような瀟洒な建物で、辺境のハイラーエから直送したモンスター肉やその他の食材をマラントハール流のコース料理にアレンジして提供している。 『テルアブ=クユニ』はロアセア一族の事業の中ではいちばん規模の小さなもので、ヘンリーは何年ものあいだ他のロアセア一族から馬鹿にされてきた。一代目がジェムの精錬法で財を成したといっても、現在のロアセア一族のほとんどはハイラーエに興味を持たず、代理人にすべてを任せて、リヴーレズの谷を訪れたこともない。ディーレレインから新鮮なモンスター肉を空輸したり、オリュリバードの地底湖でモンスター魚の養殖を試みたりといったヘンリーの試行錯誤は一族にはなかなか認められなかったし、ディーレレインにいるロアセアの代理人も、一族の手綱がゆるいのをいいことに、思うままに振舞っていた。  ザック・ロイランドが王となり、ディーレレインの魔法技師であるオスカー・アドリントンを伴侶にするまでは。 「オスカー様、ノラ様、本日はどうもありがとうございました」 「とてもおいしかったよ、ヘンリー」 「デザートが最高でした!」  ヘンリーは深々と礼をする。友人のノラ・バセット嬢と向かいあって座った王の伴侶は、今日もとても美しい。鳶色の長い髪をひと房顔の両側に垂らし、他はトレードマークのターバンに包んでいる。異国風の長いローブは濃い緑の地に金糸の刺繍をほどこしたものだ。一方ノラ・バセット嬢の方は、袖口と襟を刺繍で飾ったジャケットに、裾がわずかに広がった細身のズボンという服装である。  最近貴族令嬢のあいだで大流行している「冒険者スタイル」だが、実は流行の端緒をつくったのはノラとオスカーに他ならない。宮殿の舞踏会にこのスタイルであらわれたノラがユーリ・マリガンと華麗なダンスを披露し、それをオスカーが激賞したためにそんなことになったのである。ちなみにノラ・バセット嬢は女性ながら、迷宮の古代遺物の探索と研究に夢中だ。彼女のそんな姿勢は他の貴族の子女にも大きな影響を与えているらしい。  ふたりがはじめて『テルアブ=クユニ』を訪れた時、オスカーはまだ王の伴侶ではなかった。しかしとても印象的だったので、ヘンリーはいまだに思い出すことができる。オスカーは料理の皿をじっと眺め、ひとつひとつ吟味して、じっくりと味わった。これは手強い食通が来たのではないか、とヘンリーは思ったものである。さらに彼が新王のスキルヤだとわかったときは、内心、商機が来たと思った。  もっとも、やってきたのは商機というより、もっと大きな変化だった。ダリウス王からザック王に統治者が変わった後、ユグリア王国のいたるところで後戻りできない新しい動きがあった。  ヘンリー・ロアセアの立場が一族のなかで相対的に上昇したのもそのひとつである。というのも、ザック王になってから、ロアセア一族はリヴーレズの谷のジェムがもたらす権益を以前のように独占できなくなったからだ。 「オスカー様がモンスター食の良さを広めてくださったので、お客様が多数いらしてくださるようになりました。どれほど感謝しても足りません」  ヘンリーはいった。本音である。マラントハールの宮廷貴族のあいだでは、オスカーは今流行の最先端を行く存在だ。現在『テルアブ=クユニ』は貴族の屋敷でのバンケットサービスも展開しており、オスカーに夜会の招待状を送る――そして大半は断られてしまう――貴族たちにひっぱりだこである。 「リ=エアルシェ様もオスカー様に勧められたとかで、何度もいらしてくださってます」 「ああ、うん。アスランはこの店の雰囲気が好きだと思ったんだ」 「私が目指しているのは、マラントハールの宮廷料理とモンスター食の融合なのです。ディーレレインでは食べられない、ここにしかないモンスター食を作り出そうとしております」 「たいした野心だ。でもその方がいい。ここはディーレレインの屋台じゃないからな」  オスカーは微笑みながら答えた。ヘンリーは内心ひそかに対抗心を燃やした。  ディーレレインにいる情報筋によると、王の伴侶はディーレレインの『モウルの腕』を贔屓にしている。お忍びでディーレレインを訪れた時は必ず一度は立ち寄る。それに王の伴侶は、ディーレレインの屋台で供される、何の変哲もない串焼きや壺焼きも多いに好んでいる。  しかしいつか、マラントハールの『テルアブ=クユニ』こそが至高のモンスター食を提供する場所として、ユグリアに名をとどろかせるようになるだろう。そしてロアセアの名はジェムの精錬法ではなく、宮廷モンスター料理の祖として伝えられるようになるのだ。

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