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1 我、汝が何處の者なるかを知らず
「ルカです」
部屋に入ってきた人物は、静かに、抑揚もなく、ただ一言、名前を名乗った。作った声色ではない、自然な音。男性としては高く澄んだ、しかし女性としては低い、大人になりきれていない少年のような声だった。
黒い、女性もののネグリジェを着ている。
「こんにちは」
どう挨拶をしていいか分からず、私はベッドに腰かけたまま、そう応じた。青みがかった光で満たされた狭い部屋は、そのベッドで半分以上が占められている。
自分でも顔の表情がこわばっているのを感じるが、ルカと名乗った人物は、それを気にする様子も無く、部屋の片隅にあった小さな冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、躊躇うことも無く私の右隣に腰かけた。
石鹸のにおいが鼻を刺激する。茶色く染めている髪は、肩までは届いておらず、首元で左右に広がっては無造作に跳ねていた。右から左へと流れる前髪が、左目だけを隠している。その奥から送られる視線は、まるで私の奥底を観察するように、まっすぐに私の瞳を射抜いていた。
「ここ、初めて?」
そう言いながらコップにお茶を注ぎ、私に手渡す。私がそれを受け取ると、ペットボトルをベッドと向かいの壁に間にある僅かな空間に置かれていた小物置き台に置いた。
「こういうお店がね。女の子が相手をしてくれるところには、何回か行ったことがある」
私の言葉に、ルカは少し意外な表情を見せた。
「ボク、サオもタマもアリだよ。チェンジする?」
店には、男性器の一部、もしくは全てを手術で除去した者も多く在籍している。しかしルカは、そのような手術をしていない子だった。
ペットボトルへと伸ばした手は、青い照明の下、乾いた光を反射している。ネグリジェの肩口から出ている腕は細く、頼りなさげだ。
「いや、いい。でも、どうしたらいいか分からないから、教えてもらえるかな」
そう答えると、ルカはふぅんと聞こえるか聞こえないくらいの声を漏らした。
「男性とは初めてなの?」
「ああ」
「ボク、キスはNGだから」
別に申し訳なさそうな様子を見せるわけではない。ルカは当たり前のようにそう言うと、唇を少し口の中に入れた。湿り気が光を反射する。それがまるで開けてはならない門のように思われた。
「分かった」
軽くうなずいて返事をする。ルカもうなずき、そして「じゃあ、シャワー」と言うと、私の方へと手を伸ばした。その手が私のワイシャツのボタンを外し始める。
途中、「仕事中?」というルカの言葉に、「いや、昼からだ」と答えると、ルカは表情も変えずに「怪しい仕事だね」と応じた。
私の脱いだシャツを壁にかけ、そして振り返る。ルカは「脱がせて」と短く言うと、私の前に立ち、見下ろすような視線を私に向けた。
それに頷き、立ち上がる。ルカは私より背が低い。今度は上目遣いで私を見つめた。
ネグリジェをルカの肩から外す。細い首、そして浮き出ている鎖骨。躰つきも極めて華奢だ。ネグリジェをゆっくりと下ろしていくと、全くと言っていいほど肉の付いていない躰が露わになった。肌は青い光を素直に反射している。白色光の下で見れば、黄味がかった乳白色をしているのだろう。胸には膨らみがない。ホルモン剤を使い始めたばかりなのか、それともそもそも使う気が無いのか。
無駄な肉が無い分、あばら骨も浮き出て見える。腰には女性のようなくびれはほとんど無い。抱きしめれば折れそうなほど細い腰から、痩せて小さなお尻へと、そのまま躰の線が落ちていた。
「パンティは、自分で脱ぐから。ズボン、脱いで」
ルカが私に背を向ける。私も、スーツパンツと下着を脱ぎ、床にあった衣装籠の中に入れた。
全てを脱ぎ去った後も、ルカは私に背を向けたままでいる。
「向こう、向いて」
そう言われてルカに背を向ける。すると、背中に冷たい手が触れた。
「シャワー室は向こう」
その手が私の背中を押し、入り口の傍にある扉へと、連れて行った。
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