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控室の中、セーラと二人きりになる。セーラが、再び鏡に向かってメイクのチェックをし始めた。
少し上がり気味の目尻がその言葉遣いと合わさると、とても怖い人のように見える。でも、流す目線にはとても艶気があり、テレビで見る女優なんかよりずっと色っぽい。
その横顔に向けて、「ごめんなさい」とつぶやいた。
「なんでルカが謝るんだい」
セーラが、鏡を見たままそう返す。奥寺のことは笑えない。ボクも、セーラに何か言われると、言葉が出なくなってしまう。でもたぶんそれは、奥寺とは違う理由――憧れ、尊敬、そんな言葉で呼ばれる、何か。
「いいよ、言ってごらん」
言葉に詰まった時、セーラはいつもそう言って言葉を促してくれる。
「ボクが、『手抜き』しかしないから」
するとセーラが、小さな声を立てて笑った。
「何だ、そんなことかい。気にすんじゃないよ。忙しい時には、ルカが|一見《いちげん》の相手をしてくれるんだ。だから、とても助かってるよ。アタシだって、金にならない客の相手はしたくないからね」
セーラはそんなに濃い化粧をしているわけじゃない。それでも、いつも納得がいくまでメイクの仕上げをやめることは無い。
セーラがビューラーを鏡台の前に置いて、「どうだい?」と言いながらボクの方へと顔を向けた。
「とても綺麗」
「ありがと。まったく、ルカみたいな可愛らしい顔で生まれてれば、化粧なんかしなくてもいいのにさ。ルカが羨ましいよ」
そう言ってセーラは軽い笑みを浮かべる。その口調には、まったく嫌味が入っていない。ボクの気を紛わそうとしてくれているのだろう。
「それに背も小さいしね。アタシ、七八もあるんだよ。男がみんな逃げちまう」
「でも、セーラは指名、多いよ」
「足で踏まれて喜ぶ男なんざ、お客さんだけで十分だよ」
セーラは、手を顔の前で軽く振りながら、苦笑した。パープルの爪が、|鳳蝶《あけはちょう》のようにひらひらと舞う。
確かに、客とパートナーは違うだろうし、客とくっついてもうまくいかないという話を聞いたことがある。
客……か。
「どうしたんだい」
セーラが不思議そうな表情で尋ねた。
「ううん。おとといの客、なんかムカついたの、思い出した」
「何かされたのかい?」
途端にセーラの表情が心配そうなものへと変わる。セーラがそんな表情をする時は、本当に自分の姉が目の前にいるみたいだ。困らせたいわけじゃないけど、その表情を見たいと思う自分がここにいる。
「ううん。でも、なんか、ムカついて」
伸ばしていた脚を曲げ、両腕で抱える。黒いネグリジェの、滑るような感触がどこか気持ち悪い。自分が本当にここにいるのか、それとも実はどこか別の場所にいるのか。ふと、考えてしまう。
セーラが近寄ってきて、駄々っ子の弟をなだめるように、ボクの髪を撫でた。
「何か、やっちまったんだろ」
「……うん」
聞こえるか聞こえないか、それほどに小さな声で返事をする。そしてセーラを、上目遣いで見上げた。セーラが、あまり手入れをせずところどころ飛び跳ねているボクの髪の毛を、手ですき始める。
「ルカ。お金を貰ってる以上、どんなお客さんでも、楽しい気持ちで帰ってもらわなきゃいけないよ」
仄かなバラの香りが鼻をかすめた。それはセーラが付ける香水の匂い。でも銘柄は知らない。
いい匂いだと思うけど、自分でつけようとは思わない。ボクはセーラと違って穢れてる。香水じゃ隠せない。ただ、石鹸で何もかもが無くなるまで洗い続けるしかない。
「うん、気を付ける」
「いい子だね。まあ、クレームが無かったのなら、大丈夫さ」
そう言ってセーラは、ボクの頭を二度ほど軽くたたいた。
と、ドアをノックする音がする。セーラが「いいよ」と声を掛けると、奥寺が顔を出し、ボクに向けて「予約のお客様だ」と言った。
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