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 本当にこの男は、ここがどういうところなのか分からずに来たんじゃないのか。そう思わずにはいられない。一体何を考えているんだろう。そのインテリぶった横顔からはうかがい知ることができない。  高みから見下ろすような表情。床に這いつくばらせれば、愉快に思えるかな。 「温度上げていい?」  そう訊きはしたが、マタイの返事を待たずにリモコンを操作した。クーラーから短い電子音が鳴り、吹き出す風が弱まる。  何かしらのプレイをすれば、体も温まるだろうが、こうやってベッドに腰かけ壁とにらめっこしていたのでは、体が随分と冷たくなっていた。 「しないなら、服、着るよ」  そう言って、脱ぎ捨てていた黒いネグリジェを拾う。 「不思議に思わないか」  そこでマタイが、口を開いた。 「何が」  適当に返事をし、ネグリジェを頭からかぶる。 「性欲というものは、生物の種の保存のために備わった人間の本能だ。にもかかわらず人はその目的を外れ、ただ一瞬の快楽を得んがために性的な行為を行う。それを不思議には思わないか?」  思わず、着る動作を止めてしまった。マタイの言葉の意味を考えようとして、それをやめ、着かけのネグリジェを下までおろす。  マタイはバスタオルを腰に巻いたまま、膝に肘をつき、両手を組み、その上に顎を載せて前を見つめていた。  肩から腕にかけての筋肉のラインはとてもしなやかだ。ミディアムの黒い髪の毛が、緩い弧を描き耳に掛かっている。 「ここに来る人はみんな、『たまったものを出す』目的でくるよ。やり場のない性欲、満たされない性的嗜好、他じゃ発散できないから、ここで発散する。別に不思議でも何でもない。いつもそんなこと考えてるの? 頭、大丈夫?」  マタイの言葉にボクがそう応じると、マタイはそっと肩をすくめた。髪がふわりと揺れる。  ボクのきつい言葉にも、怒った様子は見せてはいない。ただ、冷めているだけのマタイの目を見ると、また喉の奥で、ボワボワとしたものが大きくなっていく。  この表情を歪ませるにはどうするのが一番良いのかな。 「発散されるものは本当に性欲なのか。子をなすという衝動が性欲の源であるはずだ。私には、本来別のものへの欲望であったものを、叶えることができないゆえに、それを性欲へと転化させて発散しようとしているように思える」  マタイがそう続ける。理屈っぽいとは思ったけど、頭の中は別次元にいるようだ。 「へえ。それで」  その口にボクのものを咥えさせても平気なようだし、それじゃダメだね。  両手を縛って、無理やり尻に硬いものをねじ込んだら、どんな声を出すんだろ。大きなディルドか、それとも、ボクの穢れたものか。  歪んだ顔は、苦痛? それとも快感かな。そこに本性が現れる。この男の惨めに歪んだ表情を見ると笑っちゃいそう。 「君にはどんな欲がある」  マタイが顔をこちらに向ける。はっとなって、視線を横に逸らした。 「別に何かの欲を発散させようとしてこの仕事やってるわけじゃないし」  まるで、まるで心の中を見透かされた気がした。声が少し震えてしまったのが、自分でも分かる。  喉の奥のボワボワがどんどん大きくなっていき、粘膜を外へ外へと押している。それが、出してくれ出してくれと叫んでいるようで、ボクのイライラも一緒になって大きくなった。  どんな客を相手にしても、そんな風に思ったことは無かった。ただ機械的に処理し、帰ってもらえばよかった。  なのに、なぜだろう。この男を前にすると、その首に手を掛け、押し倒し、苦痛を与えたくなる。  それを、こいつは分かってるんだ。 「君は」  その言葉のナイフが、ボワボワを抑え込んでいる膜を引き裂く。 「だから、別に欲なんか」  声を張り上げ、マタイを睨んだ。ボクの中からボワボワが出てこないように、これが精一杯の抵抗だった。  一瞬の沈黙。そしてマタイはゆっくりと口を開いた。 「私を犯したいと思っている」  それは、強引に手を突っ込み、ボクの体の中を満たすどろどろとした穢れをかき出すような言葉だった。  クーラーが唸るのをやめる。省エネモードに入ったのだろう。アナログ時計でもあれば、あの耳障りな音で部屋を満たしてくれるのだろうけど、生憎、あるのは音のないデジタル時計だけだった。  無音の部屋の中、マタイの黒い瞳だけが、雄弁にボクに語り掛けてくる。  それがお前の欲望ならば、それを叶えるがいい。欲望を吐き出せ、穢れた自分を見せろ、と。 「な、何、言ってるの。ボク、男だし、そんな趣味は」 「男なら、わざわざ『男だ』なんて言わない。君の中に押し込まれている『男』へのコンプレックスが」  その瞬間、ボクは立ち上がり、小物置きに手を伸ばすと、まだコップの中に残っていたお茶をマタイの顔にぶちまけた。  マタイは避けることもせず、全てを被る。そして、濡れた顔を拭きもせず、ボクの目を見続けていた。  こいつは、喜んでいる。  決して見られてはいけない自分を覗かれたような気がした。 「知った風な口をきくな」    そして感じる恐怖。目の前の男への、じゃない。被っていた皮をはぎ取られ、その中から自分が出て来てしまうことへの恐怖。  涙が頬を伝う。それを見せまいと顔を背け、そして部屋を飛び出した。

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