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 店を出た後、少し早めの昼食を取った。その後、市役所へと歩いていく。外にいるには蒸し暑いが、わざわざ交通機関を使う程の距離でもない。街を行き交う人間は皆一様に、神から与えられた試練に対して呪詛の言葉を吐きながら歩いていた。  私の口からもそろそろ冒涜めいた言葉が出そうになった頃、ようやく市役所の建物が見えてくる。入り口の前には、歓迎の意味の言葉と地名が大きな立体看板として鎮座していた。  建物は直方体で、花崗岩を主成分とした外壁に囲われている。エントランスから上の部分にはぎっしりと窓が並んでいて、公共の建物というよりはビジネスマンが訪れるホテルの様相を呈していた。  そこでの用が済むと、今度は近隣の図書館へと向かう。図書館は、市役所とは対照的に極めて壮大な構えだった。平たい三角形の屋根を何本もの重厚なエンタシスが支え、エントランスの上部は円形アーチの天窓がついている。明治に建てられたネオ・バロック様式の建物を流用しているのだそうだ。  市役所よりはよほど趣味が良い。しかし、昔の建物の再利用だとは言え、建物の存在理由からすれば意味の無い外装に思えた。  中へと入ると、調整された涼しい温度が肌に心地よく当たる。それがあのお店の部屋とルカの姿を思い起こさせた。  結局、取れるだけの資料を取り終わった時には、閉館も間際になっていた。資料を借りることはせず、必要なものは写真データに収めた。これで十分だろう。  建物の外へ出た。日は傾きつつあるとはいえ今だ高い所で光を放っている。車道のアスファルトからはいまだ目に見えるほどに揺らめきが立ち上っていて、これが人間の背負う罪まで焼き尽くしてくれるのならばさぞかし歓迎されることだろうが、実際は、街中を歩く人間のほぼ全てから恨まれているのだろう。  人間全体にもたらす恩恵は、個々人には見えにくい。見えるものだけを評価の対象とするのが人間の性であるのなら、種の保存に必要な行為に快楽が伴うのは自然の理なのだろう。もしそれが苦痛であるならば、その種はすぐに滅びてしまうだろうから。では、昆虫や魚類でも、生殖行動に快楽が伴うのだろうか。そんなことを考えながら、蒸し暑さの中、太融寺方面へと続く道を戻った。  結局その日は、大した成果を上げることのないまま終わった。そして、その翌日とさらに翌日の二日間を対象の自宅の張り込みに充てたが、成果を上げることができなかったことに変わりはなかった。  ただ、素行調査というものはそういうものである。その大半は耐えることに当てられるのだ。  成果が得られ、報酬を得られたとして、このような行為にどのような意味や価値があるのかを私が考えるのは難しい。成果を受け取ったものがそれらを決める。極めて功利主義的な、もしくはプラグマティズミックなものである。  ならば、性行為はどうなのだろうか。避妊を伴うもの、または同性間において、その『成果』というものは、快楽の果実ただ一つだけと言える。  それを得ることが何かをなすための手段であるのか、それともそれ自身が目的となっているのか。もし、快楽を得ることが目的になっているのだとすれば、その先には何があるのだろうか。  それはまるで人間を試す門のように思える。  この門の向こう側にあるものを見てみたい。それが地獄へと続く広き門だったとしても、自らの行為の価値をクライアントに決められることよりは遥かに意味あるものなのではないだろうか。  月曜日の朝、ベッドで目を覚ますと、私はサイドテーブルに置いていたスマートフォンを手に取り、コールボタンを押した。

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