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 呼び出し音が一度だけ鳴った後、それが途切れ、すぐに若い男性の声がスピーカーの向こう側から聞こえた。店名と要件を問う言葉、それに対して名前と予約の希望を伝える。 「ああ、こないだのお客さまですね」  電話に出た店員は、全てを承知しているようだ。ルカからの伝言を預かっていると言ったが、その内容を私に伝える段になって、それを伝えることを躊躇っていた。 「構いません。彼は何と言ってましたか」  そう促すと、ようやく話し出す。 「えっと、ですね。来るのは構わないが、来ても会わないと言ってまして」  そして何度も謝罪の言葉を繰り返した。  それを遮り、私は店員に予約を入れるよう伝える。 「本当にいいんですか」 「お店にとって、迷惑ならやめるが」 「い、いや、そういうわけじゃないんですが、来ていただいても無駄足になるかと」 「金は払う。なら問題ないだろう」  その後もしばらく押し問答が続いたが、店員は最後には諦めた風で私の要望を受け入れた。十時からの九〇分、その時間に払う金額は私の収入からしても決して安くはない。  電話を切ると、外出の用意を始める。店までは徒歩で三〇分ほどである。タクシーを使うには短いが歩くには少し遠い。この時期、早朝でもすでに二〇度を越えている日もある。歩けば、店に着いた時には随分と汗をかいていることだろう。  シャワーだけ浴びて、涼ませてもらうには随分と高額だが、それでいい。何の意味もない私の日常生活の一コマにするには極めて適した行為だろうから。  冷蔵庫から牛乳を取り出す。生活感のほとんどないキッチンで、ボールにあけたシリアルにそれをかける。それをただ喉の奥へと流し込み、空になったボールを流しに置くと、今度は冷蔵庫から野菜ジュースを取り出した。  グラスに注げば、洗い物が増える。かといって、口をつけてそのまま飲むのは野菜ジュースの劣化を早める行為だ。大きなペットボトルで買わずに、飲みきりサイズを買えばいいのだろうが、それでは廃棄物が増えてしまう。  あらゆる行動には、本来意図していない効果が付随するものなのだ。  結局、野菜ジュースはグラスに注ぎ飲み込んだ。ペットボトルは冷蔵庫へ、グラスは流しへ。朝食の結果発生した二つの洗うべき食器を洗い終えると、出発の時間には早いが、もう部屋を出ることにした。  ビジネスバッグに、財布とカメラを入れる。カメラは手のひらにも入りそうなサイズのものだ。  部屋を出ると、熱気が体にまとわりつく。半袖のポロシャツ、そして風通しの良いスラックスといういで立ちをしてきたが、そういう問題ではなさそうだ。  まだ梅雨の明けぬ道を、繁華街方面へと歩き出した。  ルカが働く店のある建物へ着いた時には、アンダーシャツは吹き出した汗をふんだんに含んで重くなっていた。エレベータに乗り、階を上がる。ドアが開くと、来店を歓迎する声で迎えられた。  声の主は、前に見た店員だった。私を見るなり、少しばつの悪そうな表情を見せる。受付で会計をする間、その店員は私に対して二度ほど、ルカが私に会わないと言っていることを確認してきたが、そのどちらにも、店に迷惑が掛からないか、シャワーを使わせてもらっていいかを尋ねる言葉で応じた。  客用の控室にはいかず、直接部屋へと通される。外気で十分に熱せられた体には、部屋を満たす冷気が心地いい。  出ていこうとする店員に、シャワーの使い方を教えてもらうのと、時間の十分前に声をかけてもらうよう頼む。店員はそれに承知すると、私をシャワー室へと招いた。  そのあと、店員が部屋から出て行くの見届け、服を脱ぐ。アンダーシャツは部屋にあった小物置きに掛けておく。それ以外はすべて、衣装籠の中に畳んで置いた。

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