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 人は、その体に加えられる刺激が強くなるにつれ、(くすぐ)ったさ、痒さ、気持ち良さ、痛さと感じ方を変化させていく。軽度の痛覚が快感として受容されるのは、神が人間に与えた祝福なのではないだろうか。  それとは対照的に、過度の痛覚が与えられると、麻痺という防衛機能により痛覚が和らげられる。もしかしたらそれは、神が人間に与えた慈悲なのかもしれない。  部屋の中では、私とルカの粘膜同士が粘液を介して摩擦する水音と、ルカの口から吐き出される呼気が発する音が、協奏を繰り広げている。  ルカの抽送運動によって私に与えられていた痛覚はいつしか和らぎ、それによって私の体が本能的な反射を行うことはもうなくなっていた。  私の脚を押さえつけ一定のリズムで腰を振っていても、ルカは私の顔をじっと見つめている。ルカのミディアムショートの髪がその動きに合わせて揺れるのを見ながら、私はふとこんなことを考えた。  一切の衣類を脱ぎ捨てた今となっては、やせ細っている肉体を加味しても、ルカの体はどこまでも男性のものである。しかし、体をゆったりと隠すような衣装を身に着けていれば、ルカを見た人間の大半はその視線の先にいる存在は女性であると認識するだろう。  女性のような顔と男性の体。その異質同体の呈は、まさに境界の住人と言うに相応しく、そこに魔性を宿しているのではないか、と。  ルカが動きを止めた。そして眉を寄せる。  ルカは、私の顔が苦痛に歪むのを見ると言ってた。その目的が達成されたのだろうか。もしそうであるのなら、もうルカが私に対して苦痛の類を与える意味はなくなったはずである。  しかし、私の中に挿入されているルカのものは、いまだ贖罪の足りなさを責めるかのように硬いままだった。  ルカが、私の脚から手を放し、その代わりに両肩を押さえつける。薄青い照明がルカの顔に影を作り、その表情を覆い隠した。  女性が男に抱かれる時の光景は、このようなものなのだろうか。  再びルカが動き出し、ルカの口から時を刻むように音が漏れ始める。しかし、それが快感ゆえのものには思えなかった。ルカは、その行為によって最終的に生じる結果だけを求め、何かを我慢し、ただ苦しみに耐えている。  それはどこか自傷行為のようであり、する者される者の双方が共に自らの心身に自ら倒懸を課す協傷行為とも言えた。  生殖も、快楽をもその目的としない協働行為。その存在を目の当たりにした時、私の魂が再び歓喜に打ち震えるのを感じた。  ルカの息遣いが次第に速く、そして荒くなっていく。それにつれてルカの顔に浮かぶ苦悶の表情も更にその度合いを増していった。  一瞬、ルカが声を失う。そして、喉から悲鳴ともとれる音を発すると、目をいっぱいに見開いた。私の奥深くに突き立てられたルカの鋭い槍が、その贄の最期を決定づけるかのごとく二度三度と爆ぜる。その間ルカは背を弓なりに反らせ、天を見上げたまま動かずにいた。  その姿はまるで、されこうべの丘で磔刑に処された救世主の胸に槍を突き立てた古の帝国の兵士が如くであり、己の犯した罪を告白し、神の慈悲を求める様でもあった。

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