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紺色のポロシャツとグレーのスラックス。マタイが身に着けている服は上下ともに無地のものだった。どちらも新品のようで、革靴も含めて、クールビズ姿のビジネスマンに見えなくもないが、彼が『探偵』をしているとはやっぱり想像しにくい。
それは多分、ボクの中の探偵像がテレビで見るようなイメージしかないから。
マタイがビジネスバッグを手に取る。それで帰り支度はお終いのようだ。立ったままマタイを見つめていると、マタイが「どうした」と尋ねてきた。
この男はまたここにくるんだろうか。それとも、既にここに来る目的を果たしてしまっていて、もう二度と現れないんだろうか。
ボクに向けて笑顔を作るわけでも無い。相変わらずの冷めた表情でボクを見ている。
他のコンパニオンなら、帰り際の一言なり、見送りのキスなりして、また自分を指名してもらうための仕掛けをするんだろうな。
「別に」
そう答えて、部屋の出入り口へと向かう。あの初めてのキスは、これから誰かと何度となく繰り返していくかもしれないキスの中の一回に過ぎなくなっていくんだろう。
ドアを開けて、外に出るよう促す。ボクの傍を通り過ぎようとしたところで、マタイがボクの頬を手で触れ、そっと唇にキスをした。
これまで感じたことのないような、締め付けるような感覚が胸に広がっていく。
「それには、どんな意味があるの」
唇が離れても、マタイはボクの目を見続けている。だから、そう訊いてみた。
「分からない。だから、また来る」
そう言うとマタイは、もうボクの方を振り返ることもなく、部屋を、そして店を出て行った。
部屋に戻って、中を簡単に片づける。と言っても、シーツの交換や清掃はスタッフがやってくれる。だから、備品の点検と忘れ物の確認をして終わりだった。
誰もいなくなったベッド。そこに、マタイの姿を重ねてしまっている自分に気づき、少し頭を振った。
と、床に落ちている白いものが目に入る。拾い上げると、マタイがくれた名刺だった。裏面には何も書かれていない。装飾も何もない、ただ必要最小限のことしか書かれていない名刺を見て、ふっと笑いが漏れた。
部屋のチェックを終え、控室へと戻る。すると、今日は休みであるはずのセーラが、心配そうな表情でボクを迎えてくれた。
「ルカ、どうだったんだい」
「あれ、セーラ、休みじゃないの」
「ちょっと心配で、来てみたんだよ」
黒いキャップの下からは、手入れの行き届いた黒く長い髪が伸びている。一度、なぜ染めないのか聞いたことがあった。その時のセーラの答えは、『ちょっとでも、元の自分を残したいからだよ』というものだった。
化粧をする。顔も触る。そして、体にもメスを入れる。そんな中で、髪の毛は生まれたままの姿で残せる数少ないものだから、らしい。
「ありがとう。大丈夫」
「そうかい、そりゃ良かった」
そう言ってセーラはふっと一つ息を吐いた。そして部屋の中を見回す。控室には、客待ちのコンパニオンが他に二人、自分の準備をしていた。
「そうだ、ルカ。今日はアタシんちに来なよ。お昼、一緒に食べようか」
「今日? まだ仕事が」
「今日は人手が足りてるみたいだし、ルカも一仕事したことだし、たまにはいいじゃないか」
そしてボクの返事も待たずに立ち上がると、一つウィンクをして控室を出ていった。受付にいた奥寺と何か話をしている。ボクが早退できるか、確認をしてるんだろう。
これまでにも何回か、セーラの家に遊びに行ったことがある。環状線で一駅のところのマンションだが、お店から歩くには少し遠い。
でも、それは二人ともが仕事休みの日のことであって、仕事のある日にボクを誘ってきたのは初めてのことだった。
「ほら、行くよ」
性風俗という仕事だけど、セーラはいつも、「この仕事はね、究極の営業なんだよ。売り物は自分さ」と言っていた。プライドを持ってやっているのだ。だから、仕事を疎かにしたことは無いし、いい加減な仕事をしているコンパニオンには厳しく注意する。
「ちょっと待って」
そのセーラが、仕事の途中でボクを連れ出そうというのだから、きっとボクのことを心配してのことだろう。
確かに、今日はもう、他の客が来ても上手く接客する自信がない。
服はもう着ている。もう一度急かすようなセーラの声に「今行く」と返事をして、ボクも控室を出た。
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