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 セーラの目を見続けることができず、テーブルに視線を落とす。  リビングダイニングの中はボクたちが帰ってくる前からクーラーがついていたようで、心地よい温度に保たれている。今は外にいても家電を操作できるらしい。  外と同じくらい蒸し暑かったら、そっちに気を取られて、変なことを口走ることもなかったのに。  真っ白で無地のテーブルは、白と黒を基調にしたモノトーン調の部屋の中に随分と馴染んでいる。セーラは大人の女性の雰囲気を出しているので、その落ち着いた色はセーラのイメージにぴったりだ。  でも、寝室に行くとまるで別世界に来たようなピンク色が出迎えてくれる。初めてここに来た時、オンとオフの切り替えは大切さねと笑いながら、セーラはボクに寝室を見せてくれた。  ここに泊ったことも何度かある。その時はいつも、セーラと一緒に寝室のベッドで眠った。置いてあるベッドは、一人で寝るには随分と大きい。いつ男が来てもいいようにさねと言ってたけど、本当にそう思っているのかはわからなかった。  セーラにとっては、ボクは本当に弟妹なのだろう。でも、それが弟だろうが妹だろうがどっちでもいいに違いない。そんなことを気にするような人じゃないから。  ふと後ろから、細いけどしっかりとした腕と艶やかな長い髪、そして仄かなバラの香りがボクを抱きしめた。肩に、大きいけど硬いセーラの胸が当たる。 「別に今決めなくてもいいし、答えなくてもいい。答えを出すのに焦る必要はない。答えは自然と見つかるもんさね」  セーラは軽くボクの髪をなでると、またキッチンに戻り、何かの袋を手に取った。ビニル袋が破れる音が響く。中から、そうめんの束が出てきた 「セーラは、いつくらいから自分は女性だって思うようになったの」  煮え立ってきた鍋の中に、セーラが慣れた手つきでそうめんを入れる。 「そうさねえ。小学校の六年生の頃かな。クラスに、なんだか気になりだした男の子がいてね。プールの時に、その子の前で服を脱ぐのが急に恥ずかしくなっちまってさ」  箸でそれをほぐしながら、セーラが答えた。 「その子のこと、好きだったの」 「どうなんだろうね。ああ、でも、中学校に行っても、プールのある日はよく休んだもんさね。同じ中学校に上がってさ」  用意したザルに鍋の中身を流し込む。冷蔵庫から氷を出すと、随分と強い力でそうめんを洗いだした。 「何か手伝おうか」 「簡単なものさね。座っときな」  水を切って皿に盛りつける。冷蔵庫から今度はそうめんつゆをとりだし、用意した二つの緑色のガラスの椀に、それを注いだ。 「ネギやショウガはいるかい?」 「そのままでいい」  ボクがそう答えると、セーラはふっと笑った。テーブルの真ん中にそうめんの載ったお皿を、ボクとその向かいにつゆの入った椀を置き、茶色い木の箸をボクの方へと差し出す。 「これだけじゃ、味気ないかい?」 「ううん。ありがと。その人と、その後どうなったの」  箸を受け取ってから、セーラにそう尋ねた。向かいに座ったセーラの顔が、少し寂しげなものに変わる。 「ごめん。聞かない方が良かった」 「気にすんじゃないよ。ほら、お食べ」  セーラが苦笑いを見せる。ボクは促されるまま、小さくいただきますとつぶやき、お皿のそうめんに箸を伸ばした。ボクが食べる様子を、セーラがじっと見ている。 「どうだい」 「うん、美味しい」 「そりゃ良かった。暑いときはそうめんに限るねえ」  セーラもそうめんに箸を伸ばし、二人してしばらくの間食べていた。 「中学卒業の時、告白したさね」  そうめんが半分くらい減ったところで、セーラが口を開いた。 「どうなったの」  箸を止めて、先を促す。 「もちろん、振られたさ。でも、その人優しくてね。付き合えなくてごめんなさいって何回も謝られてさ」  そこでセーラはふっと息を吐いた。 「そんなに謝られたらさ、なんか反対に冷めちゃってね」  そしてボクに向けて笑顔を作る。また寂しげな笑顔。普段は凛とした表情のカーテンで隠していたものの裏側が、今は見えてしまっている。多分、ボクにしかそんな表情は見せないんだろう。  でも、他に自分を見せてもいいような男性が現れたとして、それがセーラに安らぎをもたらすのだろうか。 「そん時さね。女になりたいって思ったのは」  そう言うとセーラは、またそうめんに箸を伸ばした。  ふと、マタイのことを思い出す。持って生まれた生物的機能を捨て、『そうではない』人生を送る。それは意味のないことだと、彼は言うだろうか。

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