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8 百合を思ひ見よ、紡がず、織らざるなり

 火曜日は仕事がお休みの日。でも、スタンバイしておけばコンビニのバイト料くらいはもらえるので、いつも店にいる。  今日はセーラが出勤してくるというので、セーラの出勤に合わせて、午後からお店の控室で化粧の練習をすることにした。セーラはそんなボクを見て、する気になったんだねと嬉しそうに笑い、空いた時間には色々手ほどきをしてくれた。  他のコンパニオンは、ボクが鏡の前で格闘しているのを見て驚いたり笑ったりしたけど、そのほとんどは微笑ましくと言ったところだろうか。  ただ一人、ケイコさんが「どういう風の吹き回し?」と皮肉めいた様子で言葉をかけてきたが、セーラと目が合うとぷいと横を向いてしまった。彼女は、セーラといつもトップの座を競っているコンパニオンだ。金色に染めた髪と丸みを帯びた顔、大きい目が可愛らしい。ただ、あまりセーラとは話をしたがらないようだ。  見よう見まねで化粧をやってみる。でも、コスメショップでやってもらったようにはならなかった。洋画でみた、場末の酒場にたむろしているコールガールみたいだとため息をつく。その後で、似たようなものかと自嘲する。  セーラに、つけすぎさねと笑われてしまい、また一からやり直した。結局、納得のいかないまま、その火曜日は化粧練習で一日が終わった。  次の日、朝早めにお店に行き、また化粧の練習を始める。セーラは、そんなに高くない化粧品だから、いっぱい練習して、無くなったら買やいいよと言っていた。  昨日よりかは上手くなったような気はする。でも、まだ納得がいかない。そのまま時間がどんどん過ぎていく。焦れば焦るほどうまくいかなくなって、また場末のコールガールが出来上がった。  接客から戻ってきたセーラに、少し休みなと声を掛けられたときには、もうお昼もとっくに過ぎていた。  時計を唖然として見つめる。今日は、マタイは来ないのだろうか。間に合わせようと頑張ったのに。  でも、と思い直す。一回当たりウン万円もするような遊びを、週にそう何回もできるはずがない。マタイはそれほどお金持ちには見えなかった。  また来るとは言っていた。でも、いつ来るかは言ってなかった。  誰かを待つということに希望を持たなくなったのはいつ頃だったろう。サンタは来ない。母親も来ない。  マタイも、もう来ないのだろうか。ただの口約束。いや、約束ですらなかった。  ずっと一緒だよ。世の中のカップルの間では、そんな言葉が生まれては捨てられていく。言葉は絶対では無いから、結婚という名の契約でお互いを縛り付けるのだろう。好きでなくなった後でも、束縛が続くようにと。  契約の無い関係なんて、不安だね。  コンビニで買ってきたサラダパスタを食べた後は、しばらくぼうっとしていた。ふと思いつき、ショルダーバックから財布を取り出す。中に入れてあった名刺を手に取った。マタイに貰った味気ない名刺。スマホを取り出し、そこに書いてある電話番号を打って、コールボタンを押さずにキャンセルした。  と、扉が開き、接客に出たはずのセーラが控室に戻ってくる。何事かと視線を向けると、セーラが「ちょっといいかい」と近寄ってきた。 「どうしたの」 「サブに来てくれないかい」 「ボクが?」 「そうさね。こないだ、ルカが接客を途中で投げ出した時があったろう。あの時、アタシが接客してたお客さんが来てるんだよ。お詫びついでの3Pサービスさ。ルカもその人に挨拶しておきな。御迷惑をかけましたってね」  あの時セーラは、常連客をプレイの途中で待たせてまで、ボクの後始末をしてくれた。本当に申し訳ないと思う。その人、一週間も経ってないのにまた来たんだ。でも、3Pなんてしたことがない。 「アタシがいるから大丈夫さ。キスやAFはダメでも、咥えさせるのは平気なんだろ」 「そうだけど」 「それだけでいいんだよ」  そう言うとセーラは、ボクの腕を取り、プレイルームへと強引に引っ張っていった。

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