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 電話にはしばらくの間沈黙が流れる。お互いが、相手の次の反応を待っているような、そんな感じだ。受話器からは、周囲の音はおろか相手の息遣いすら聞こえない。極めて冷静である意味手慣れたと言っていいような人物のようだ。 「どのようなご用件ですか」  私の方から、その沈黙を破った。ルカのことですか、とは言わなかった。 「単刀直入に申しましょう。今後一切、あの子には会わないでください」  怒っている風だとか、切実に訴えかけている風だとか、そのようなニュアンスはない。相手は、ただただ淡々と事務的に、私にそう伝えた。  予想していたことでも、予想できたことでもない。彼女の言葉は、私の体から血の気を失せさせるに十分な意味を持っていた。  きっと、他のことならばどんなことでも、平然と切り返したことだろう。しかし、彼女の言葉に返事をするのには、長すぎるほどの時間が必要だった。 「それが依頼の内容ですか」  ようやく、それだけを絞り出す。 「そうです」 「彼がそう望んだのですか」 「ええ、と言えば、貴方は納得しますか」 「いえ」 「そうでしょう。これはあの子の保護者としての依頼です。依頼ですから、受けてくだされば、相応の謝礼をお支払いします」  その相手の言葉に、私は冷静さを取り戻すことができた。その内容ではない。彼女の口調にどこか違和感を感じたからだ。内容よりも相手の気配を聴く。それは一種の職業病ともいえるだろう。ただ、その違和感の正体は分からなかった。 「その依頼はお受けできません」 「金額は、貴方の望む金額で結構です」 「お断りします」  相手の言葉を、即座に拒否する。すると、少し間が開いた後、「貴方を未成年略取で警察に通報することもできます」という声が受話器から聞こえた。  それにまた違和感を感じる。しかし今度は、その正体に気が付いた。電話の声に感情がなさすぎるのだ。 「どうぞ、ご自由に。やましいことは何もしていませんので」 「そうであっても、貴方のお仕事に影響があるでしょう」  言葉の内容は、私への脅しでしかない。いや、無感情であるからこそ、聴くものが聴けば、その内容に打ち震えることだろう。しかし私には、自分がこの女性から試されているように思えた。 「彼は自ら私のところへ来た。私は一切の束縛をしていない。彼は自由だ」  そう、自由であるからこそ美しい。彼女の言うことは、私の信条への冒涜ではあったが、きっと彼女には理解できないことだろう。  受話器から一つため息が聞こえた。落胆と言うよりは、弛緩と言った方が正しいだろうか。 「分かりました。では、依頼の内容を変えます」  声色に変化はない。ただ、少し堅さがなくなったように感じる。 「なんでしょうか。私がお受けできることなら、何でも」 「人を探してほしいのです」  その依頼は、唐突とも言えた。ルカに関する別の話が出てくると思ったからだ。 「人、ですか。どなたですか」 「パウリューク・マルーシャという女性です」  その瞬間、ヴェールをかぶった黒い影が、私の心臓をつかんだように感じた。記憶の片隅にその名前があるような気がしたからだ。思い当たるものはない。およそ聞くような名前でもない。にもかかわらず、初めて聞く名前ではなかった。 「分かりました。詳しい情報を頂戴するために、一度お会いして」  ルカと会うなと言ってきた相手である。何かしらの警戒は必要だったかもしれない。しかし、彼女が口にした名前に気を取られてしまい、クライアントへの手順の説明が口から無意識に出てしまった。だが彼女は、私の説明の途中で、それを遮る。 「あの子の」  楔のように、その言葉が私の説明に刺さり、私は言葉を止めた。無音の時間が過ぎる。言葉を発することができない。発してしまえば、何かが起こるような気がした。 「ルカの母親です」  私はしばらくの間、反応することができなかった。

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