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 エレベーターでしばらく上がった後、案内されたのは、このホテルのスイートルームだった。ツインのベッド以外に、ソファが二つ、テーブルを囲んでいる。それでいて、部屋にはまだ無意味な程に空間が余っていた。  一つのソファの上に、黒いビジネスバッグが置いてある。湯田衿佳がそれを手に取り、そのままソファに座った。私も座るよう促されたので、辺りを少し見まわした後、ゆっくりとソファに腰掛ける。それを見届けると、湯田衿佳はビジネスバッグをテーブルへと置いた。 「人探し、ということですが」 「ええ、そうです。これが、パウリューク・マルーシャ」  湯田衿佳は、カバンの中から小さな写真ファイルを取り出し、私へと差し出す。開いてみたが写真はただ一枚のみで、そこには青い瞳をした金髪の白人が写っていた。部屋の中で撮った写真のようだ。長い髪は下に行くにつれ波打ちながら外へと流れている。くっきりと線が引かれた二重の瞼が、どこか憂鬱気に笑っていた。  確かに、ルカに似ている。 「その名前は、この女性の本名ですか」 「パスポートを見せてもらったことがあります。ただ、綴りは覚えていません。アルファベットではなかったので」  彼女の落ち着いた声に、私ははっとして写真に落としていた視線を彼女の方へと向けた。そこに奇妙な違和感を感じたからだ。  誰かを探してほしい。そのような依頼の場合、大抵は失踪した肉親か友人、もしくはどうしても探し出したい恩人が対象だ。お金を払ってでも探し出したいというのだから、依頼人は必ずと言っていいほどの切実さなり必死さを持っている。しかし、彼女からはそれが感じられなかった。 「国籍は」 「ウクライナです。留学で日本に来ていました」  ウクライナ。その国名を聞いた瞬間、私の中に眠っていた記憶が呼び覚まされる。やはり気のせいではない。私はこのパウリューク・マルーシャという名前を随分昔に聞いたことがある。   「この女性と最後に会ったのはいつですか」 「会ったのは、十七年前のクリスマスが最後です」 「では、もう帰国した可能性が高いですね。海外となると、私では調査しかねます」  写真を、湯田衿佳の前に突き返した。しかし彼女は、困ったような顔も、残念そうな顔も見せない。 「なぜ、嘘をつくのですか」  ハスキーな声をさらに低くして、私にそう尋ねた。 「嘘、ですか」 「ええ」 「なぜ嘘だと」 「私が『会ったのは』と言ったのに、貴方はそれを無視しようとしているのですから」  気づかないふりをすれば何かしらの反応を見せるとは思ったが、気づかないふり自体がばれてしまうとは、私の演技が下手なのか、それとも、彼女の方がわざとそう言ったのか。  私は一つ、ため息をついてみせた。 「十年程前です。私が勤めていた探偵社が、そのような名前の女性の消息を調査しました。確かにウクライナ人でした。日本に訪れる、もしくは居住するウクライナ人は少ないです。その中で更に同姓同名となると、可能性は極めて低い。多分、その女性でしょう。私は直接は調査に加わっていませんでしたが」 「なるほど。貴方は、アイディーリサーチ社にお勤めだったのですね」  その瞬間、驚いて息が詰まる。 「なぜ、それを」 「それをアイディーリサーチに依頼したのは、私ですから」  湯田衿佳が、サングラスを外しテーブルの上に置いた。切れ長の目に、ラベンダー色のシャドウが細く塗られている。濃い茶色の瞳が、私を捉えて離さなかった。

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