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12 御國に入り給ふとき、我を憶えたまえ
湯田衿佳を部屋に残したまま、私はホテルを後にした。太陽は頭上にあって、アスファルトを焦がし続けている。ホテルの前の路に立ち並ぶ街路樹も、日陰を作るには日が高すぎるようだ。
熱さにつかれた人々が行き交う歩道を、建物の影を選びながら進んでいく。ルカはいつ頃部屋に戻るだろうか。彼に今の時点で母親の話をするのは躊躇われる。湯田衿佳の話から判断すれば、母親の死がルカにどんな影響を与えるのか、私には予想できなかった。
銀行に立ち寄り、彼女から渡されたお金のほとんどを口座に入れる。預かり金として処理をして、などと経理について考えながら歩いている内に、自宅のあるマンションの前に到着した。
もしかしたらと思ったが、ルカが待っている様子はない。そのままエントランスに入る。と、グレーのスーツを着た男がインターホンのパネルの前に立っていた。歳は私と同じくらいだろうか。このマンションでは見かけない顔だ。平日の昼に、マンションを訪れるスーツ姿の男。営業か勧誘の類だろうか。
その男は、私が後ろに立つと、何もしないままどうぞと言って場所を譲った。
「どなたか、お訪ねですか」
軽く礼を言いながら、男にそう訊いてみる。男は少し驚いた表情をした後、「友人を訪ねてきたのですが、留守のようで」と答えた。
「そうですか」
マンション内に私の知人はいない。都会のマンションとはそういうものだろう。近所付き合いのない場所。この男に「どなたをお訪ねですか」と訊いたところで、その答えに応ずることはできない。
パネル操作でオートロックを解除した後、私はマンションの中に入った。しかしエレベータに乗るときに、ふとエントランスの方に視線を向けると、男と目が合う。すると男は視線を外し、エントランスを出て行った。
中に入りたかったのだろうか。仕事柄、住人の後ろについてオートロックのあるマンションの中に入った経験は私にもある。ただ、そういうことをする人間の意図は碌なものではないのだが、あの男はそうではなかったようだ。
浮遊感が収まり、エレベータのドアが開く。目の前に、Tシャツと短パン姿のルカが立っていた。腕を組み、不機嫌そうな表情でつば付き帽の下から私をにらんでいる。
「どこ、行ってたの」
「依頼があったから、話を聴いてきた。どうやって入った」
「おばあさんの後ろについて入った」
悪びれた様子もなく、ルカはそう答えた。
「褒められた行為ではないな。やはり鍵を持っておけ」
部屋の鍵を開けた後、そのままその鍵をルカに差し出す。ルカは少し考える様子を見せた後、「分かった」といってそれを受け取った。
「どんな依頼だったの」
「いや、依頼は受けなかった。昼ご飯は食べたのか」
靴を脱ぎ、部屋へと入る。ルカはサンダルを脱ぎ捨て、揃えもせずにリビングへ行くと、クーラーのリモコンを手に取った。
「エリカさんと話をしたんだよね」
電子音の合図で、クーラーが動き出す。その音とルカの言葉が、あまりにもかみ合っていなかったので、直ぐに言葉が出てこなかった。
まるで何かを疑うような視線を、ルカが私へと向ける。
「なぜ、それを」
思わずそう返すと、ルカは「やっぱり」と呟き、私の方へと近づいた。なるほど、私は鎌をかけられたようだ。
「事務所に連絡したら、エリカさんは人に会いに行ったって言われた」
ルカが顔を上げ、私を見下ろす。それを見て、私は思わず笑みを浮かべてしまった。
「ルカは探偵になれるな。さっきまで、駅前のホテルで会っていた」
「雇ってくれるの」
「そうだな。仕事、手伝うか」
「いいよ。でもその前に、マタイを尋問しないとね」
ルカが私の首に腕を回す。
「汗かいた。きれいにしてよ」
その言葉に、ルカの着ているシャツをたくし上げた。絹のような白い肌が、少し湿り気を帯びている。ゆっくりと顔を近づけ、そして舌を胸の先に咲く淡い桜色の蕾へと這わせた。
熱い吐息が、ルカの口から洩れる。
「昨日、あれだけしただろう」
「昨日は昨日。今日は、マタイがボクを抱いて」
ルカの腕が、私を頭を抱きかかえた。
「ルカは、どんな話をしてきたんだ」
短パンのファスナーを下ろしていく。ルカは、女性ものの下着を身に着けていた。
「そんなの、後」
ルカが、ゆっくりと床へと身を沈めていく。私の舌は、ルカの首筋から頬を這い、薄くリップを塗ったルカの唇の向こう側へとくねり入り、ルカの舌と絡み合った。
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