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 仕事以外に、誰かと二人きりの時間というものを持ったことはなかった。それが、今まさにそれを経験しているということに、若干の不思議さを感じている。  私は寝室の机で資料を整理する。ルカは、持ってきた荷物をクローゼットに入れている。しかしルカは頻繁に私に声を掛け、今日あったことだけでなく、これまで自分が経験してきたことまでも、延々と話し続けていた。  子供の頃からずっと、女の子としか遊んでいなかったこと。小学校の高学年になった頃から、自分が男の子であることに疑問を持ち始めたこと。中学生の時は、誰も友達がいなかったこと。高校には進学しなかったこと。  これほどにルカが饒舌であることに少し驚きを覚えた。それほどにルカは話し相手に飢えていたのだろう。一人で暮らし始めたのは、今年に入ってかららしいのだが、湯田衿佳と一緒に暮らしていたころも、会話があったわけではなかったらしい。  二人きりでいても、何を話していいのか私には分からない。ルカと沈黙を共有することに私自身が苦痛を感じることは無い。しかし、こうやってルカがまるで問わず語りのように話し続けるのも悪くは無いようだ。  きっと、世の中のカップルの大半は、出会った頃にはこうなのかもしれない。話したいことが後から後からわいてくる。それを相手に伝え、そしてその反応を見るのは、それがどんな反応であれ楽しいことなのだろう。  しかし歩んできた道は有限であり、そのうち話題も尽きるに違いない。その後は、見たくもないテレビの音に隙間を埋めてもらったり、互いの干渉はしないという名目の下、互いが自らのスマートフォンと会話をするようなことになるのだろう。  その時、二人で歩いた道について語り合えるのなら、幸せなのだろうが。 「どうして結婚なんかしたがるのかな」  最後の荷物をクローゼットに入れ終わると、ルカはデスクに向かい座っていた私に後ろから抱き着き、耳の傍でそう囁いた。 「ルカは、したいとは思わないのか」 「別に。結婚してないと一緒にいられないなら、一緒になんかいなければいい」 「子供がいる家庭はそうはいかない」  そう答えてから、その理論はルカには通じないことに気が付いた。子供がいても別れる二人、そして子供がいなくても結婚しようとする二人、それらを見てきたのだから。 「関係ないよ」 「そうだな。それがどうかしたのか」  保存する資料と廃棄すべき資料を分け終わり、手を休める。するとルカが私の前髪を左右の指でつまみ、持ち上げた。 「今日、店にさ、前に働いてた人が来てさ。何だか随分荒れてた」 「なぜ」  それに引っ張られるように顔を天井へと向ける。ルカの唇が、私の唇に触れた。 「結婚する予定だったのが、ぽしゃったとかで。もう少しだったのにとか、邪魔しやがってとか」  私の顔を覗きこむルカの顔が逆さに見えている。さほど長くはない茶色い髪が下に垂れ、私の頬を触った。 「誉められたものではないな。その人は何のために結婚しようとしていたのだ」 「あれは金の為だよ」  ルカが少し顔をしかめる。 「なら、結婚したい理由は明白だろう」 「じゃなくて、その相手の女性の方だよ。あんな男と」 「女性の前では良い男性を演じていたのかもしれない。それに、人にはその人なりの理由がある」 「そんなものなの」  納得したわけでは無いようだ。ルカは呆れたような表情で、ふっと息を吐いた。そして私の腕を取る。 「ベッド、いこうよ」 「さっきまで寝ていたのにか」  私の返事に、ルカは眉間にしわを寄せ、私を睨んだ。 「『新婚』なんてそんなもんでしょ」  単に例えただけなのか、それとも皮肉めいたものなのか、それはよく分からなかったが、そのルカの言葉に苦笑を禁じ得ない。 「すぐに飽きてしまうぞ」  腕を引かれ立ち上がる。 「飽きないよ。今度はボクがマタイを抱く番だから」  そう言うとルカは、私をベッドへと誘い、そして飛びつくように押し倒した。 「『男』をやめるのではないのか」  私の問いかけに、ルカはすぐに「やめるよ」と応じる。 「別に、男として抱くんじゃないし」  その言葉は、不満げにも、それでいて楽しげにも聞こえた。

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