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男の声は若くはないが、かといって年を取っているわけでもない、そういう風に聞こえた。ふと、マンションのエントランスにいた男のことを思い出す。もしかしたら、あの男は私に依頼をしに来たのかもしれない。しかし声だけでは、受話器の向こうの男があの時の男なのか、判別はできなかった。
「ご依頼でしょうか。お伺いしますが」
「ここでは。直接会えませんか」
夜に依頼の電話があることもしばしばである。人に聞かれたくないものであるのなら、そうなることが多いのだろう。本当ならば、部屋に来てもらって話を聴くのだが。
電話機の画面には『公衆電話』と出ていた。
ルカの方に視線を向けてみる。つまらなそうに私を見ていた。目が、早く電話を切るように急かしているかのようだ。
「申し訳ありません、今は事務所の方がふさがっておりまして。よろしければ明日にでも」
「今すぐにお願いしたいことがあるんです。お願いします」
男の声に、少しばかり訴えかけるような調子が混じる。
「今、どちらにいらっしゃいますか」
「探偵事務所のあるマンションの近くにいます」
「では、マンションの前で待っていていただけますか。一〇分ほどで用意をして、下に降りますので」
「ありがとうございます。分かりました」
男はそう返事をすると、私の言葉を待つこともなく電話を切ってしまった。ビジートーンが聞こえる受話器を少しばかり見つめた後、受話器を置く。
「依頼なの」
ルカが、額に張り付いた前髪を手櫛ですきながら、私にそう尋ねた。
「そのようだ」
「なんて」
「内容は言わなかった。近くに来ているらしい。少し話を聴いてくる」
「断ればよかったのに」
ルカの言葉に、私は肩をすくめてみせる。
「そんなことをしていては、収入が無くなる」
私がそう答えると、ルカは極めて不満げに眉をひそめた。お預けを食らった犬、ではなく、餌を横取りされた猫と言ったところだろうか。
「何が可笑しいの」
ルカが一層不機嫌になる。それで私は、自分が笑っていることに気が付いた。
「いや、可笑しいのではない。そうだな。なんだろう。これまでに経験したことのない感覚だ」
ルカが、理解不能だと言わんばかりに、目を見開く。右目だけでなく、前髪の影に隠れている左目も、髪の毛の隙間からその様子が見て取れた。
下着を取り出し、身に着ける。依頼者に会う以上、余りにも普段着では失礼だろう。ワイシャツとスーツパンツをクローゼットから取り出す。ルカは、その様子を裸のまま眺めていた。
「ねえ、マタイ」
シャツのボタンを留め出した時、ルカがふいに声を掛けてきた。
「なんだ」
手を止めずに、返事をする。
「キスして」
「今、支度中だ」
「キスして」
二度目は、少しだけ語気が強くなった。私は、シャツの一番下のボタンに掛けていた手を離し、ルカへと近づく。そしてゆっくりと、唇を合わせた。
「ボクのこと、どう思ってる」
ルカが手を伸ばし、その最後のボタンをとめる。
「愛してる」
私の言葉に、ルカは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに真顔に戻り、ふうんと声を出しながら、私から顔を逸らした。
「ルカはどうなんだ」
スーツパンツの中にシャツの裾を入れながら、ルカにそう尋ねてみる。「別に」というルカの答えに、私は笑いながらスマートホンをスーツパンツのポケットに入れた。
「答えになっていないな。行ってくる。長くなりそうなら電話を掛ける。電話が鳴ったら取るように」
そう言って、部屋の外へと向かう。
「帰ってきてから、聞かせてあげるよ」
ルカは、私の背中に向けて、そう言った。
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