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「どうかした?」
「いや、嘉貴もすっかりキッチンに立つ姿が板についたなと思ってな」
「凌くんのおかげよね。顔も良くて料理もできるなんて、我が子ながら優良物件に育ってくれたわ。あとはいい彼女連れてきてくれるといいんだけど、どんな女の子連れてきてくれるかしら」
「将来のためにきっちり仕込んでおいたから、出会いさえあれば絶対いけると思うんだけどな」
こっちとしては早く彼女のひとりやふたり作って自分のことを諦めて欲しい。紗英の台詞に乗っかる形で言外にそうほのめかしてみるが、嘉貴はそんな凌の台詞をさして気にする様子もなく野菜を皿に盛っていく。
「就活もあるし、そういうのは今はいいかなぁ」
「嫌な話題出すなよ……」
「ああ、そういえばそろそろ本格的に忙しくなってくる時期か。凌も大丈夫か?」
「まあ、ぼちぼち……」
「いいところがなかったらうちに来る? 凌くん商学部でしょ? うち経営推進とかマーケとかも募集してるわよ」
「いや、ちゃんと自分で探してるんで大丈夫っすよ」
あまり深く話したくない話題に、凌は誤魔化すように曖昧に笑ってみせた。
何が悲しくて会社でまで嘉貴と一緒にいなくてはいけないのか。そんな傍にいたらますます好きになってしまってより泥沼に沈んでいく羽目になってしまう。そこまで考えて、まだ好きになる余地があると思っている自分に内心うんざりした。
「何かあったらまた相談させてもらいますね」
「あ、それは体のいい断り文句ね? やだやだ、あんなにかわいかった凌くんもすっかり大人になっちゃったな~」
「母さん、うざ絡みしないで。ほら、息子が丹精込めて切った野菜ですよ」
「本当に切っただけで有り難みが薄いわね」
「まあ、それでも成長だろ。紗英、そのお皿こっちに寄せて」
嘉貴が皿をダイニングテーブルへ運び、仲睦まじく食卓を囲う光景を凌は茫洋とした目で見つめた。
多忙な両親であまりゆっくり話す時間もないといつだったか嘉貴は言っていたが、それでも確かに彼らは「幸せな家庭」なのだろう。
優しい空気がここには確かにあって、見ているこちらまで自然と笑顔になれるこの空間が凌はとても好きだった。自分自身が家族の繋がりが希薄だからこそ、なおさら。
(ずっとこのままでいられたらいいのに)
いつも、そう思わずにはいられない。
叶うことのない絵空事に思いを馳せて、憧憬の滲む瞳を隠すように凌は瞼を下ろした。
夕食を食べ終わり、徹が買ってきたやたら口溶けのいいショートケーキでお腹を満たした頃にはすっかり夜が更けていた。
ふたりは徹の運転する車でマンションまで送ってもらうことになり、その結果、手で持って帰れる分だけと言う話は反故され「車なんだから少し増えてもいいわよね」とそこそこ多めの衣類と食材を持たされることになった。徹が酒を飲まなかった時点でこの未来を予知しておくべきだったと凌は反省した。
荷物と共に後部座席に乗せられた嘉貴はうつらうつらと船を漕いでいて、たまにガラスに頭をぶつける音が聞こえる。
凌は助手席へとエスコートされ、けれど嘉貴に配慮してあまり喋ることもせず時折通り過ぎる対向車線のヘッドライトをぼんやり見送っていた。
BGMもない静かな車内に、特別大きな声ではない徹の声がやけに響いて聞こえた。
「就職先」
「え?」
「本当に決まらなかったら、声を掛けなさい。うちが嫌でも、別の企業でも紹介するぞ。凌なら安心だからな」
隣を見ても、視線が交わることはなかった。けれど方向進行を見つめたままの眦を柔く下げた徹の顔は嘉貴にもよく似ていて、夜闇に溶けることなく鮮明に凌の瞳に映し出される。
「あまり無理するんじゃないぞ」
優しさが、鉛のようにお腹の奥底に落ちていき、毒のように己の内を蝕んでいく。
――この人たちは、息子の好きな相手が男の自分だと知ってもこんな風に接してくれるんだろうか。
「……ありがとうございます」
一生答えは知ることはない。だってそんな日は絶対に来ないのだから。
この信用を、信頼を裏切ってはならない。自分は「嘉貴の一番の親友」として傍に居られるだけで十分なんだ。これ以上のものを望むつもりなんてない。
あの日そう決めたのは他でもない、自分自身なのだから。
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