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ぎこちなく振り返った先、一番聞かれたくなかった男の存在を認め、愕然とする。
どうしてここに? 仕事だったんじゃないのか? ああそういえば、仕事前に明日も寄ろうかなんて丹羽と話していた気がする。けれどどうしてこんなタイミングで。
無意識の内にカウンターチェアから立ち上がった凌だが、改めて正面から直視した嘉貴に、ぎくりと身が竦む。
恐ろしいまでに綺麗な顔は、先ほどの声と等しく何の感情も纏っていない。
けれどそれが彼の感情を押し殺した――本気で怒っている時の態度だと知っている凌はにらまれてるわけでもないのに立ち尽くすことしかできなかった。
そんな凌を知ってか知らずか、嘉貴はことさらゆっくりと凌の前に歩み寄り、冷え切った指先で顎を捕らえる。
その冷たさにびくりと震えた身体を抑え込むように、同じ温度の柔いものに唇を塞がれた。
それが嘉貴の唇だと理解した瞬間、そこを熱源として全身の血液が一気に沸騰した心地に襲われる。
「っ、何するんだよ!?」
気がつけば握りしめた拳が鈍い音を立てて嘉貴の胸元を直撃していた。顔を殴らなかったのは、かろうじて残っていた理性のおかげだ。
けれど相手は僅かにたじろいだだけで、悪びれる素振りもない。込み上げてきた怒りに任せて乱暴に口元を拭えばその態度が気に入らなかったのかこれ見よがしに形のいい眉を歪めてみせた。
「それはこっちの台詞でしょ」
「はあ!?」
「俺のこと好きなのに、どうして離れたいなんて言うわけ?」
ガツンと、後頭部を鈍器で殴られたみたいだ。
「…………は」
かろうじてこぼれたのは、何の意味も成さない一音。
今までずっと避けていた言葉。暗黙の了解のように目隠ししていた気持ちを、どうして今、こんな場所で暴かれなくてはならないのか。
あまりに突然の出来事に、いっそこのまま気絶したかった。
信じられない気持ちで見つめた相手は、先ほどよりも険がとれた声で凌の名を呼んだ。
「俺はお前と離ればなれなんて考えられない、傍にいたいんだ」
「……やめろよ」
やっとの思いでまともに紡げた言葉はひどく掠れていて不格好で、それでも強い意志の籠もった拒絶の言葉だった。
「何にも分かってねぇくせに、そんな言葉軽々しく口にしてんじゃねぇよ!」
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