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「胃が痛い」  少し強張った表情でこぼした凌を労るようにお腹を擦る嘉貴は、その手つきとは裏腹に呆れたような声を出す。 「まだそんなこと言ってるの?」 「そうは言っても緊張するだろ。直接ふたりの反応見てないんだし……」  ほんの少し、冬の厳しさが緩むような春の陽が差し込む日。今日はようやく徹たちに会いに行く日だった。  あっちで着替えるというのに用意された春らしい色味の薄いベージュのセットアップに白トップスといつもよりもかしこまった嘉貴プロデュースの服装に、何もいらないと言うふたりの言葉を無視して用意した菓子折を片手に立つ姿はどこからどう見ても「娘さんを僕にください」と頭を下げに行く彼氏そのものだ(実際は息子さんだが)。  いくら徹たちが受け入れてくれたと嘉貴の口から教えてもらっていても、実際会うとなるとやはり緊張するのは仕方のないことだと思う。  けれどそんな凌の気持ちなんてお構いなしに、最後の仕上げにジャケットを羽織らせた嘉貴は頭のてっぺんから足の先までじっくり見てから「今日のコーディネートもかわいい」と満足そうに笑ってくる。 「よくよく考えたらお前口だけはやたら回るから、なんて説得したのか分かったもんじゃねぇし……聞いてた話と違うってなったりしねぇよな?」 「俺への評価辛辣だねぇ。大丈夫だよ。俺がいかに凌のことが好きかを話して、ゆくゆくは養子縁組したいって誠心誠意伝えてあるだけだから」 「待って? 初耳なんだけど? 俺が聞いてた話と違ぇよ。何これ今日って実質結婚の挨拶行く感じなわけ?」 「まあ今日は同棲の報告って名目だけだから。プロポーズはちゃんと考えてるから待っててね?」 「頭まで痛くなってきたんだけど」 「大体、うちの親は本当に凌が俺でいいのかっていう心配しかしてないからなぁ。今日何言われても俺のこと捨てないでね?」 「絶対捨てねぇけど、何言われるか別の意味で怖ぇよ……」  頭を抱えた凌だったが、しかしこの一ヶ月で嘉貴のあふれんばかりの愛情にすっかり慣らされてしまっていたのも事実だ。  もう地方に行く必要はないからと就職を都内に固めた凌に、嘉貴は同棲の話を改めて相談――という名の強行突破をしてみせた。  三日後に引っ越し業者を凌の家に手配しておいたから。と当日ではなく事前に教えてくれた優しさを褒めるべきかどうかはさておき、あっという間に凌の家の荷物は嘉貴の家に運び込まれてしまった。  曰く、就職活動や卒論で忙しくなるのにこれ以上会えない時間が増えるのは耐えられない。と言う言い分だった。水族館に行ったのは「忙しくなる前のデート」だったんじゃないのか。  他にも、一緒に寝るんだからと凌の部屋として使っていた客間のベッドを撤去され、リビングにいる時は基本隣に座ることしか許されず、きなこに構っていると俺に構えと邪魔をされる始末だ。  五年間我慢していたものが爆発しているだけでそのうち収まるとは思っているが、独占欲の現れに凌も最初は戸惑うばかりだった。  けれど、どうしたって自分も嘉貴が好きなのだ。更にはずっときなこも傍にいてくれる。自分の好きな男と好きな猫が傍にいる生活が嬉しくないわけがない。  すっかり絆されバカップルのような日々を送ってしまっているが、せめて徹たちの前ではちゃんと振る舞わなければと、凌は気を引き締めて纏わりつく嘉貴を押しのけて腕時計を確認した。 「やばっ、そろそろ行かねぇと遅刻する」 「まあ、ちょっとくらい遅れてもいいんじゃない?」 「駄目に決まってるだろ、ほら行くぞ」 「はぁい。あ、凌」 「な――」  に、の言葉ごと、嘉貴の唇が奪っていく。  猫がじゃれるみたいな触れるだけのキスと、蕩けるような笑み。幸せで仕方がないと、どんな言葉よりも雄弁に教えてくれる。 「行ってきますのキス」 「……俺も行くのに?」 「ふふ、だから凌からも。ね?」  どこの少女漫画だよ。  あまりのこっ恥ずかしさに、心臓がむずむずする。  それでもお返しをわくわくと待つ嘉貴の姿がかわいくて愛おしくて、早々に白旗を上げる以外の選択肢が持てないのも惚れた弱みなんだろうか。  俺もだよの気持ちと、でもやっぱり恥ずかしいという気持ちを込めて、その唇に柔く噛みついてやった。 「痛いなぁ」 「表情と台詞全然合ってねぇぞ。ったく……じゃあきなこ、行ってくるな」 「いい子にしててね」  慌てて玄関に向かう足音を聞きつけて姿を現したきなこにふたりで声をかけて家を出る。  そんな家族ふたりの姿に、どこか嬉しそうにきなこの尻尾がゆらりと揺れる。 「にゃぁ」  「行ってらっしゃい」のお見送りの声が、ふたりと一匹の家に、優しく響いた。

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