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アズマの決断
「あのアズマさんが、まさか本当に来るとは思わなかった。」
「ロクは名前の通り、碌でもない男だ。」
「失敬な。…敬語、やめたんですね。」
「一度自分をすべて捨て去ろうと。」
捨てたのはよかったが、何も残らなかったわけだが。
「アズマさん、指名〜。」
遠くからスタッフの声が聞こえた。
頷き、その場を退こうと思ったが、腕を掴まれた。
「待って待って、今度、3Pしようよ。」
「サンドイッチは趣味じゃない。」
「えー。」
ロクのくだらない話を無視して、ホテルに向かう。吸い慣れたタバコをふかしながら相手を待つ。
タバコを嫌がる客は少ない。
アズマのようなタッパのある人間を選ぶ時点で、女らしい男は求められていない。
やめろと言われない限り、やめるつもりはなかった。
「アズマ…。」
灰が落ちる。
なぜ、ここにいる。
「クウゴ様…。」
タバコの火を消し、引き返す。まさかクウゴに会うとは思ってもみなかった。後で客には別のところで落ち合うように連絡を入れてみよう。
「待て、アズマ。」
「はぁ…、仕事中です。離して下さい。」
「男に抱かれるのが、仕事か?」
ぴたりと体を止める。
ラブホ街。男としか相手が出来ないアズマがここにいるということは、男に抱かれにきたということで間違いない。
「アズマ…。」
「そうです。私は今男娼をしています。もう貴方と話すことも罪なくらい、私は堕ちたのですよ。」
振り払う。もう、用はない。
「タバコ、変えたんだな。」
「ええ。」
「他に男が出来たんじゃ?」
「私を愛してくれる人がここにならいますので。」
だれ、とは言わない。誰でもない。そんな人はどこにもいないのだから。
「では、もう行きます。」
再度、腕を掴まれる。なぜ、離してくれない。無意識に眉が寄る。
「来い。」
「離してください。客が待っています。」
「今日の客は俺だ。」
「は?」
確認を取ったところ、確かに登録されていた名前と合致していた。
連れて行かれたホテルのベッドに腰掛ける。
「偽名は犯罪です。お店に訴えれば登録はすぐに解除されます。」
「偽名なんて、みんな使ってるだろ。仮に責められても金を出せば黙る。」
男娼を頼むにあたって本名を使う方が稀だ。誰でもいいから、バレても構わないから、寂しさを紛らわせたかったアズマは本名を使っていた。偽名を使うことすら想像出来ないほど真面目であったことも理由の一つだが。はじめてロクを頼んだ時は笑われたものだ。馬鹿正直に本名を名乗るなんてと。
「なぜ、男娼なんて頼んだのですか。貴方なら相手はいくらでもいるでしょう。」
「お前が働いていると聞いたからだ。」
「はぁ…、それが理由ですか。」
「悪いか。」
この人はどれほど私を馬鹿にするつもりか。自分を振った相手は男娼になり、身体を売っている。その姿を見て、笑う気なのか。
拳に力が入り、そして緩めた。
いや、彼はそんなことしない。私に興味なんてないのだから。振られたことすら忘れてのこのこ現れるくらいだ。いや、そもそも振られたなんて表現は間違っているのかもしれない。
私たちの関係は振った振られたなんて呼べるものでもなかったのかも…。
「ははっ…。」
「何がおかしい。」
「いえ、自分は相変わらず阿呆だと思って。今日は、どのような気分ですか?NGはホームページに書いてある通りです。その他のことなら基本なんでもして頂いて結構です。」
「何がいいたい。」
「貴方は私を買ったのです。時間も限られてますし、早く性欲処理を済ましてください。多少痛くても慣れてますから。」
「慣れてる…だと…?」
「はい。」
ベッドに押し倒され、唇を吸われる。
苦しそうな顔。なぜそんな顔をする。なぜそんな顔をして会いにきた。忘れたかったのに。早く忘れたかったのに…。
タバコを吸う。
「なぜタバコを変えた。」
ベッドに腰掛け、灰皿に灰を落とす。
ちらりとアズマはクウゴを見つめた。
なぜ…?貴方を忘れるためと言ったらどうなるだろう。
「気分ですよ。」
「その香りは不愉快だ。」
「では、吸うのをやめます。」
火を消して、タバコを捨てる。
急に口寂しくなってしまった。
「俺のタバコを吸えばいい。」
「いえ、結構です。あれはもう吸わないと決めていますので。」
「なら、火をつけろ。」
ライターをクウゴの持つタバコに近づける。
温かな炎でタバコに火がついた。
クウゴがタバコを吸う姿をジッと見つめた。
昔と同じ、クウゴがタバコを吸い、アズマがそれを見つめる。広がるタバコの匂いさえ同じで、胸が苦しくなる。
クウゴがアズマの顔に煙を吹きかけた。
「何するんですか。」
「これで、あの嫌な匂いが消えた。」
珍しく笑うクウゴに、アズマは頬を赤く染めた。
はっとして首を振る。
アズマはクウゴを諦めたのだ。文字通り諦めた。だから、この男に心を奪われるわけにはいかない。そもそも、自ら男娼となった今、愛される価値はない。
「アズマ…?」
「これで、最後にして下さい。」
「なんだと…。」
「私を買うのはこれで最後にして下さい。そもそも貴方が私を抱く必要などどこにもないのですから。もし、男を抱きたいというなら紹介しましょう。だから、もう来ないで下さい。」
「いやだ。」
「いやだって、子供ですか。大体、貴方にはカスミという人がいるのでしょう。私に執着する必要なんてない。それとも、男娼にまで落ちた私に振られたことがそんなに気に食わなかったのですか?それなら、貴方から振って下さい。それでもう、終わりにして下さい。私は早く貴方を忘れたい。私は早く私だけを愛してくれる人に出会いたい。」
じゃなきゃ、殺してしまう。壊してしまう。
クウゴを殺し、カスミの墓を破壊して、そして自ら死を選ぶ。
もしもそんなことになったら、大企業の元秘書が社長を殺した上、社長の死んだ恋人の墓を荒らし自ら命を絶った愚かな殺人犯として世間を騒がすだろう。
そんなこと、あってはならない。
あくまで、アズマはクウゴを1番に思っている。ロクの言う“メンヘラ”になるくらいには、頭が狂うほどクウゴを愛してる。
それを無理矢理壊して忘れた今、胸にはぽっかりと穴が空いてしまった。ただ幾度となく他人とセックスして、その埋まらない筈の穴が埋まった気がした。穴を埋めているのは、愛なんて美しいものではなく、絶望や後悔の負の感情だが。
今はまだ、それでいい。
アズマにとって、汚れていく自身を見守るのは、それはそれで穴を埋めるためには必要なこと。ただ、いつかはそれも虚しくなる。
そして、死を選ぶだろう。
そうならないように、金を貯めて遠くへ行く。
遠くへ行って、趣味でもなんでも見つけて、生きるのだ。生きて生きて、そして死ぬ。
「私は、貴方を忘れるんだ。そして、私は貴方なしで生きていく。」
突如、首が締め付けられた。
アズマの上にクウゴが馬乗りになり、首を絞め始めたのだ。
アズマは息が出来ず、その場でもがき始める。
「俺なしで生きていく?ふざけるな。」
その目は狂気に満ちていた。
アズマは恐怖と苦しみのあまり、身体が震え、涙が溢れた。
死ぬ、死ぬ、死ぬ…。
「やめっ…。クウゴッ…。」
クウゴは瞬きをする。
瞳に光が戻る。自身の腕の先を見て、手を離した。
「ゲホッゲホッ」
「アズマ!すまない、すまない…。」
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