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第3話

 ――上月(こうづき)和人(かずと)。  心の中でその名をつぶやき、俊は思わず片手を胸に当てた。急に高まった鼓動を静めようと、手が勝手に動いたのだ。  上月和人は島内でも指折りの有名人だった。けれど彼の知名度を上げているのは、その類い稀な美しい顔立ちのせいではなかった。  彼を語るとき島民達は『個性的』などとオブラートに包んだ表現を使わず、眉を寄せはっきりと『変わり者』と決め付けるのだ。  和人は元々島の人間ではなく、中学生のときに本土から移ってきた移住組で、村の年寄り流に言うと、いわゆる『よそ者』だ。本土で両親を事故で亡くし、島の一番はずれに住むアルコール中毒の太助じいさんが遠縁であるという理由で引き取ったらしかった。  太助じいさんは酒を飲んでは近所に怒鳴りこんだり、包丁を持ち出して暴れたりといわゆる島の鼻摘まみ者で、島民からは露骨に村八分の扱いを受けていた。和人を引き取った後もその悪癖は収まらず、飲酒による暴力はまだ少年だった彼にも容赦なく向けられたようだ。美しい顔に痛々しい痣を作って登校してきた彼を、俊もよく目にしていた。  その太助じいさんも、和人の高校卒業と同時に肝硬変を患って亡くなった。  その後も和人は島を出て行こうとせず、一人で太助じいさんの家に住み続けた。働いてはいなかったが、食うに困ってもいないようなのは、両親の保険金と遺産が相当あるらしいというのが、口さがない島民のもっぱらの噂だった。  島に来たばかりの中学生の頃、上月和人は島内でたった一人の『よそ者』だった。そして島の大人達にとっては、なつかない可愛げのない少年だった。  彼はいつも凛とした孤高の眼差しをまっすぐ前に向け、形のいい唇をギュッと結んだまま、誰とも言葉を交わそうとしなかった。酒乱のじいさんにどんなにひどく殴られ瞼が腫れ上がっていようと、揺らぐことのない澄んだ瞳はあらゆる野次馬的好奇心や同情を拒否していたので、大人からしてみると小馬鹿にされているようにも見え、癇に障ったのかもしれない。  誰の手も借りず、和人はたった一人で生きていた。それを不自由とも思わず日常として受け入れ、周囲の悪意交じりの無視をまったく意に介さず、淡々とあるがままに暮らしているように見えた。  俊は和人とは中学・高校と同じクラスだった。島には学校が一つしかないのだから当然だ。  和人は転校してきてからの5年間を通してずっと、学校では嘲りと揶揄を込めて『博士』と呼ばれていた。休み時間もいつも一人机に向かい、ノートに難しい数式やら何かの設計図やらを書いていたからだった。  親の『教育』が行き届いた従順な子供達の中に置かれ、当然和人は学校でも村八分にされていた。誰一人、彼に話しかける者はいなかった。少しでも交流を持とうとすれば、今度は自分が仲間はずれにされることを知っていたからだ。  俊も当然生粋の島の子供だったから、今は亡き母親から和人とは話をするなと言いつけられ素直にそのとおりにしていたし、クラスメイトが彼を無視するのを黙って傍観していた。それがおかしいことだとはわかっていながら、周囲の人間に合わせることで生ぬるい安定を得る方を選んでいた。  島で生まれ育ってきた俊には島の常識が染み付いており、そこから逸脱することにほとんど恐怖に近いものを感じるのだ。島中の人間から無視されている和人とは、朝の挨拶を交わすことすら逸脱そのものを意味していて、臆病な俊には到底できないことだった。  そう、たとえ俊が彼の姿を常に目の端で追いかけ、自分でも戸惑いを覚えるほどその存在を意識していたとしても……。

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