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第8話

 朝の散歩の途中で公園に寄り、望遠鏡作りを手伝うようになってから、一体どのくらい経つのだろう。 「ひと月」  あっさりと答える和人に、俊は思わず瞳を見開く。 「本当? もうそんなに経つかな」  1ヶ月という月日が、本当にあっという間に過ぎた気がした。  作業を手伝うとはいっても俊の役目は望遠鏡を動かないように押さえたり、名前も知らない工具を和人に渡したりすることだけだ。和人の方は、文系の俊にはさっぱりわからない望遠鏡内部の調整作業に入っている。  望遠鏡が自作できるものだとは思ってもみなかった俊は、一度その仕組みについて和人から説明を聞いたけれど、皆目理解が及ばなかった。  専門外のことにはまったく無知な俊がとんちんかんなことを聞いてくるのが面白いのか、和人はその天然発言に困惑しつつ眉を寄せながら、たまに少しだけ笑ってくれるようになった。  言葉をかわすようになってからの期間の短さに驚いた俊の顔を見て、和人はまたちょっと皮肉っぽい微笑を見せてくれる。 「貴重なラスト3ヶ月のうちの1ヶ月だぞ。あっと言う間に見送ってどうする」 「それは、でも、いい方のあっと言う間だから……」  つい本音を言ってしまいながら、頬が熱くなるのを感じた。  和人は思慮深く澄んだ瞳を見開き、俯く俊の顔を覗きこんでくる。 「いい方? 一体何がいいんだ?」  ――君と朝のひととき、こうしておしゃべりをするのが楽しいから。  そんなこと、言えるはずがない。 「君はたまに、ちょっと意地悪だよね」  小声で言ってそっと見上げると、和人はクスリとおかしそうに笑い、俊の鼓動を倍速にしてくれる。俊の心の中が、どうやら彼には透けて見えているようだ。  クールな理系で一匹狼、人の感情の動きの機微に疎そうに思えるのに、実際の和人はその逆で、他人の心を読み取る術を心得ているように思える。  ――それとも、僕がわかりやすすぎるのかな。  俊は火照ってきた頬を、パタパタと手で扇いだ。 「おまえ、想像してたより面白いな。学生時代はこんな表情豊かなヤツだとは思わなかった」 「僕、どんなふうに思われてた?」 「高嶺の花みたいなイメージがあっただろう。全校生徒の憧れの君、って感じだったぞ」  上品で清楚な顔立ちに物静かな性格の俊は、傍目からはお高くとまっているようにも見えてしまうらしい。実は内気で慎重なだけなのだが、熱烈なファンに変に偶像視され崇拝されたりすることも多かったのだ。 「ラスト3ヶ月で、誤解が解けてよかったよ。結構天然で面白いってわかった」 「それって褒めてくれてるの?」 「そういうことだ」  からかわれているような気もするが、本気で楽しそうな和人の笑顔を見ていると、なんとなく俊も嬉しくなってくる。  学生時代は、彼の笑った顔というのが想像できなかった。おそらくは誰も知らないだろうその笑顔を知っているのが自分だけだと思うと、誰にもなつかない世にも美しい野生の獣を独占しているような優越感が、胸の内に湧き上がってくる。 「でもね、上月君。ラスト3ヶ月っていうのは違うだろう?」 「ん?」 「だって、君が言ったんだよ? いい結果の方を信じてるって」  笑顔で言い切った俊を、和人は一瞬驚いたように瞳を見開きみつめた。 「え……そうだよね……?」  不安になって聞き返すと、和人は微笑し、しっかり頷いてくれる。 「ああ、そうだったな。いい方を信じようぜ」  俊も頷く。  ゆるぎなく自然体な和人を見ていると、彼が信じるだけですべてがいい方に進んでいきそうな気がしてくる。 「望遠鏡の完成予定は9月16日、Xデーの1週間前なんだよね。できそう?」 「おまえが手伝ってくれたおかげでな」  大して役にも立ってはいないのに、和人にそう言ってもらえただけで単純にわくわくしてきた。科学準備室の扉を隔てた所から彼を見つめ、必要とされたい、役に立ちたいと願っていた、そのときの気持ちを思い出す。 「当日には僕にも見せてくれるかな。その、もしよかったら、だけど」  思い切って言ってみると、和人は当然のように頷いてくれる。 「もちろん。特別に俺の解説つきでな」  流星のように遠くを流れる隕石を、和人と並んで見られると思うと、悪い方の未来がどこかに吹き飛んでしまうほど胸が浮き立ってくる。  友人達のほとんどは高校を卒業すると同時に島を離れ、本土に行ってしまった。ずっと島にい続けているのは俊だけだ。  唯一の肉親だった母を亡くしてからも、一人暮らしは別に苦にならなかった。孤独だがそれなりに平和で穏やかな日々に不満もなかったが、隣に親しい友達がいるというのはとても大切なことなのだと、和人とこうして話すようになってから感じている。  少し休憩ということで手を休め並んでベンチに座ると、近くにある肩のぬくもりが伝わりわけもなく安心した。

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