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第14話

 今は和人が一人で暮らしている上月家は、南国調のエスニックな風景にしっくりきそうな、白い壁に赤い屋根の一軒家だった。平屋建ての古びた小さな家だが広いパティオが張り出し、地中海沿岸の別荘を模ったようなちょっと洒落た雰囲気があった。  最初に『それ』を目にしたとき、壁に何か芸術的な模様が描いてあるのかと俊は単純に思った。遠目でも目立つ『それ』は近付いていくごとにはっきりとしてきて、その書き殴られた大きな文字を認識した瞬間に、俊の心は凍り付いた。 『よそもの出てけ』 『おまえのせいでいん石が落ちてくる』  真っ白い壁に書かれた黒い文字は、はっきりとそう読み取れた。 「何度消しても書かれるから、もう放ってある。消す時間がもったいなくてな」  まったく気にしていないといった、いつもの和人の声が隣で聞こえて、俊はハッと我に返る。ショックで絶句し足を止めたままの俊を気遣って、和人が顔を覗きこんできた。 「やっぱりやめるか?」 「どうして? お邪魔するよ」  我ながらむきになって即答する。  和人は綺麗な瞳を意外そうに見開き、唇に微かに笑みを乗せた。その嬉しそうな微笑が湧き上がる心無い誰かへの怒りを抑えてくれ、俊は拳を握り締めたまま彼の後についていく。  家の中は男の一人暮らしとは思えないほど、清潔ですっきりとしていた。無駄なものが一切なく、全体的にきちんと整っている印象だ。家主の几帳面で整然とした性格が、そのまま表れている。 「素敵なうちだね。すごく綺麗にしてるし」  勧められたダイニングキッチンの籐椅子に腰を下ろし、俊は素直な感想を口にした。 「一人だから物がないだけだろう」 「上月君は望遠鏡とかいろいろなものを作ったりするから、もっと作業道具とかでゴチャゴチャしてるのかと思ってた」 「研究所には裏の物置を使ってる。そっちはもう、ものすごい。……飲めよ」  もの珍しそうに部屋を見回していた俊の前に、薄緑色の液体が入った涼しげなグラスが置かれる。口をつけてみると、爽やかなミントの香りが広がった。冷たいハーブティーだ。  スッとする口あたりが、乾いていた喉とやり場のない怒りを潤してくれる 「おいしい」 「それはよかった。俺のオリジナルだ」 「また君の意外な一面を見た気がする。こういうのも作れるんだ?」 「どういった配合で何を混ぜるとどんな味になるか、追求するのが好きでな。でも今、おまえの顔を見てわかったことがある」 「何?」 「究極のお茶を研究した成果は、人に飲ませておいしいと言われて始めてわかるってこと」  あっという間に空になったグラスにお代わりをついでくれながら、和人が微笑む。  いくらおいしかったからといって一気飲みはないだろう。急に恥ずかしくなり、俊は思わず俯いた。 「あの、今日は望遠鏡の方、よかったのかな。僕が妙なこと言い出したから……」  オープンスペースの公園と比べて、閉鎖空間では妙に間がもたなくて、俊は居心地悪げに尋ねる。 「作業の方は順調だから大丈夫だ。それより明日になって、おまえの気が変わったりする方が困る」 「変わらないよ」  ちょっとむきになって言い返すと和人は声を立てて笑い、俊もつられて笑ってしまう。  誰の目も気にしなくていい、静かで平和な空間。  こうしているとすべての不幸な現実を忘れ、昔からの無二の親友同士が、日課のティータイムを楽しんでいるような気分になってくる。  ただ、友人同士の談笑と言ってしまうには、ほんの少しだけ違和感があった。上月和人の存在が俊の中で、親友と呼ぶには非常に微妙な位置づけだからだ。この気持ちが甘やかに浮き立つ心地いい緊張は、ただの友人に対して感じるものよりもっと繊細で、デリケートな心地よさに思えるのだ。  俊が落ち着かないのがわかったのか、立っていた和人は向い側に椅子を持って来るとそこに腰を下ろした。  心地よい沈黙が続く。

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