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第15話

 困った。いつもは和人が適当に話題を振ってくれるので、会話が途切れることなどなかったのだが、今日の彼はなんだか無口だ。話しかけてこようともせず、ただじっと俊に静かな視線を注いでいる。  男らしさがなく線の細いたおやかな感じの自分の容姿に、俊は劣等感を持っている。改めて見るとずいぶんなよなよしているな、などと思われてはいないかと不安になる。  俯けた横顔に刺さる視線が痛くて、沈黙を破り思わず口を開いた。 「ずっと……聞きたかったことがあるんだけど。聞いても怒らない?」 「聞かなきゃわからない」 「じゃ、じゃあ、やめようかな……」  弱腰の俊に和人は微かに笑う。 「冗談だ。怒らないから言ってみろ」 「あのさ、上月君は、どうしてこの島に残っているの?」 「ん?」 「いや、僕はなんとなく、君は卒業したら島を出て行くんじゃないかって、そう思ってたから……」  阻害された島での生活は、彼にとって百害あって一利なしのはずだ。金銭的に不自由していないのならいつでも本土へ行けただろうに、なぜ留まっているのか。  それが俊にはいつも不思議だった。  突っ込んだ質問に気を悪くしたかと不安になり相手を見たが、その表情は変わらなかった。 「そうだな。強いて言えば、未練があったからかな」  意外な答えに俊は首を傾げた。 「未練? 何に対して?」 「言うと、おまえ困ると思うぞ」  そう言って謎めかして笑う彼を、煙に巻かれた気分の俊はきょとんと見直してしまう。ただ和人の瞳の色がいつもよりもなんだか優しく見えて、鼓動が不規則に高鳴ってくる。 「どうして僕が困るんだろう? よくわからないな」 「だろうな。おまえはそれでいいよ」  俊としては全然よくはないのに、和人は軽く流してしまうと、逆に問いかけてくる。 「じゃ、今度は俺からの質問だ。おまえ何か、将来の夢とかはあるのか?」  驚いた。あと1ヶ月後には消えてしまうかもしれない将来の話なんか禁句もいいところで、今この時期誰も口にしないというのに、彼は普通に聞いてくる。普段どおりの清々しい瞳で。  俊は面食らったが、和人が聞きたいというのなら何でも素直に答えたかった。 「僕の、夢……えっと、そうだな。夢とかっていうのは特にないかも。健康で、毎日穏やかに過ごせればそれが一番かな」  答えながら、なんとつまらない人間なのかと思う。 「高校のとき、図書室で何かよく書きものをしてただろう。そういうのはもうやってないのか?」  まさか見られていたとは思わず、俊は内心あわてた。  確かに俊は学生時代から、趣味で童話を執筆している。それで世に出ようなどという野心を持てるほどの才能も度胸もなかったが、ただ物語を作り上げることそれ自体が楽しかった。  コツコツと書き溜めた作品は、いつのまにかダンボール一箱分溜まっている。場所塞ぎではあるが、下手でも可愛い自分の作品は思い入れもあって、なんとなく捨てられない。 「それ、よく知ってるね」  居心地悪く身じろぎしながら、俊は首をすくめる。 「俺も見てた」 「え、見てたって……僕を? まさか、嘘だよね?」 「どうして。おまえが見てたんだから、俺が見てたっておかしくないだろう。まぁ、缶コーヒーは買わなかったけどな」 「またそれを言う」  軽口めかして笑いながらも、自分が一方的に見ていたのではなく、和人からも見られていたのだという事実に、俊の胸は素直にときめく。 「書いてたのは童話なんだ。趣味だよ。別にプロになろうとか、そういうんじゃなくて」 「投稿してみればいい」 「無理だよ。しょせん下手の横好きっていうレベルだから。それに、落選したり酷評されたりしたら、結構落ちこむと思うし」 「自分の書いたものを、たくさんの人に読んでほしいと思わないのか?」 「別に……僕はただ、書くこと自体が楽しいから……」  言いながら、嘘だと思った。そして和人には、嘘はつきたくなかった。 「ん、違うね。読んでほしいかな、やっぱり。でも、きっと駄目だよ、僕なんかじゃ」 「駄目かどうかなんて、やってみないうちから決めつけるなよ。とりあえず、出してみろ」  和人の目には迷いがない。いつも逸らさず正面に向けられ揺るがないその瞳を見ていると、不可能も可能になりそうな気がしてくる。 「でも……どうせ無駄かもしれないだろう?」 「どうして」 「だって、終わりになったら……」 「なんだ。やっぱりおまえ、悪い方に賭けてるのか?」  意識下の不安が顕在化した俊の失言に、しかし和人は怒ることもなく苦笑する。 「だから何だ。仮にそうなるかもしれないからって、今はまだ生きてるんだぞ。目いっぱい挑戦してみればいい。ひと月後に どうなるかなんて、そんなこと全然関係ないだろう? 今日は、まだ今日だ」  思わず相手の顔を見返した。こんな切羽詰った状況下で、そんな考え方もできるとは思わなかった。 「君はすごいね」 「俺は当たり前のことを言ってるだけだ」 「いや、やっぱりすごいよ。今の時期に君みたいに前向きに考えられる人って、ちょっといないんじゃないかな」 「まぁ、変人だからな」  冗談めかして笑うその顔がやけに眩しい。見ているだけで、胸が締め付けられるように切なくなってくる。  最近和人と一緒にいて頻繁に感じる、この気持ちは一体何なのだろう。その正体を掴みたいとも、掴むのが怖いとも思い、そのたびに俊は当惑する。 「それじゃ、上月君の夢は? 僕にだけ言わせて逃げるなよ」 「逃げるつもりはないけどな。笑うなよ」 「おかしかったら笑うよ」 「可愛くないな」  和人は苦笑し、ふと視線を宙に投げた。 「天文学者になって、まだ誰にも知られていない星をみつけたいと思ってる」  そう言った瞳は遥か遠くを見据え、曇りなく澄んでいる。その答えは孤高の探求者である和人に似つかわしく、静かに俊の胸に染みいった。 「もしも誰も知らない星を発見したら、その星に君の名前がつくかもしれないね。楽しみだな」  俊の素直な感想に、和人はわずかに目を瞠った。  おそらく誰かに夢を語ったことなど、彼もこれまでなかったのだろう。本当に、俊が笑うと思っていたのかもしれない。 「いや、星にはできれば、俺の名前じゃなく……」  小声の早口で告げられた続く言葉が聞き取れず、「うん?」と聞き返すと、 「なんでもない」  と、らしくなく、困ったように視線を逸らす。 「まぁとにかくそれは最終的な夢で、前段階の具体的な計画としては、『Xデー』が過ぎたらこの島を出るつもりでいる」 「えっ?」  あまりにも軽く言われたので、一瞬意味が取れなかった。 「本土の大学に行こうと思ってる。今まで踏ん切りがつかなかったが、今回のことがいい機会だった。人生何が起こるかわからないと痛感したのが、決心のきっかけだな」 「そ、そうなんだ……」  甘やかで心地いい気分が吹き飛び、目の前が暗くなるほどの落胆が俊を襲った。  いつかその日が来るだろうとどこかで予測しながら、現実になると知れば思っていた以上の喪失感に打ちのめされる。激しい衝撃が表に出ないよう、俊は必死で気持ちを落ち着かせた。  口を開けば動揺が滲み出てしまうだろうと黙りこんでいる俊に、和人の目が向けられる。 「それと、大事な夢が、最近もう一つできた」 「それは……?」 「天文学者になる夢より叶えるのが難しい夢、だな」  そう言って謎めかす和人は、その内容については教えてくれる気はないようだった。  気にはなったが俊の方はむしろ、和人が島を出て行ってしまうかもしれないショックですっかり上の空になってしまっていた。 「なぁ、今度書いたヤツ、読ませてくれよ」  思いがけない一言が、俊の混乱しきった頭に届く。 「えっ? そんな、人に見せられるようなものじゃないよ。下手っぴいで」 「それは俺が決める。おまえの書いたものが読んでみたい」  これまでもごく親しい友人に自分のその趣味について思い切って打ち明けたことはあったけれど、誰もが社交辞令で「へぇ、すごいね」と感心はしても、「読みたい」とまでは言ってくれなかった。  先程までの喪失感が、嬉しさで少しだけ薄れる。 「でも、本当に下手なんだよ。きっとびっくりするから」  小さな声で念を押し、恐る恐る相手を見ると、 「じゃあ、どのくらい下手なのか見せてみろ」 と、笑って言ってくれた。  俊は恥ずかしいようなくすぐったいような、自分でも始末に困る複雑な感情を持て余しながら、そっと頷いた。  自分の書いた物語は分身のようなものだ。誰にでも見せられるというものではないけれど、和人になら全部素直にさらけ出せそうな気がする。  1週間前は学校のグラウンドに絵を描いた。今日は家を訪問した。そして次は、自作の童話を読んでもらえる。  そんなふうに、和人との思い出が一つずつ増えていくことが、とても嬉しい。 「……いいもんだな……」  独り言のようなつぶやきが耳に届き、俊は顔を上げる。目が合うと、和人が少しだけ照れくさそうに肩をすくめた。 「家に、誰か客が来るっていうのは。たとえばおまえが帰った後で一人になっても、俺はそこに座ってたおまえのことを思い出して、なんとなく安心しそうな気がする。俺の作った茶を飲んで笑ってるおまえが、まだいるような気がするだろうな。これまでずっと一人に慣れてたから、そういうのが悪くないもんだと初めて知った」  感情的なことはあまり口にしない和人にしては珍しいその感想は、俊の胸にもじんと染みる。辞去した後もこの居心地のいい家に残る自分の残像が、うらやましいような変な気分になってくる。 「上月君、もしよかったら、またお邪魔してもいいかな」  思い切って言ってみると、 「来たくなったらいつでも来いよ」  と、微笑と共に軽い返事が届いた。  誰かのくれたほんの一言で、人はこれほどまでに幸せな気持ちになれるのだ。  俊は湧き上がる嬉しさをごまかすように、和人の手と同じ香りがするミントのお茶をそっと口に運んだ。

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