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第16話

***  上月家を訪問したその夜から早速、俊は押入れの奥から自作の詰まったダンボールを引っ張り出し、和人に見せる作品の選定にかかった。何十作とある完成品の中から迷いに迷った末、とっておきの一作を彼のために選び出す。理系の彼は小説の類いを普段あまり読まないかもしれないので、自分で絵本に装丁した10ページくらいの短いものにしてみた。  穴倉にこもっている臆病者の猫が、遠くの村に引っ越して行ってしまったたった一人の友達のモグラを追いかけて旅立っていく話だ。  社交辞令やお世辞を言わない和人のことだから悪気なく率直にけなされる可能性もあるけれど、彼の批評だったら素直に聞けると思うし、何より読んでもらいたいという気持ちの方が強かった。  初めて訪問してから1週間後、終業時刻を待ちかねて、俊は絵本を抱え再び和人の家に向かった。  メカ好きにしては意外なことに、携帯電話どころか固定電話も所持していない彼に事前にアポを取ることはできなかったが、夕方のこの時間ならおそらく在宅しているだろう。 「もう持って来たのか」と呆れた顔をされるんじゃないかとか、こんな子供じみた絵本ではなくやはりもう少しストーリー性のあるものの方がよかっただろうかとか、今更ながら逡巡してしまう。そして世界の滅亡を差し置いて、そんなことに1週間も本気で悩んでいる自分を、どうかしてしまっているんじゃないかと思う。  島の居住区から少し離れた海沿いにある和人の家まで、水平線上に近付いていく夕陽を眺めながら、整備された遊歩道ではなく砂浜を歩いた。時折吹いてくる風は涼しくて、早くも夏の終わりを感じさせる。秋の訪れと共にやってくるかもしれないもののことは、今はまだ考えたくなかった。  100メートルほど先に上月家の白い壁が、そのままになっている落書きごと見えてきた。  足を速めようとしたとき、腹の底に響いて来る轟音が背後から迫ってくるのを感じた。嫌な予感がした。 「……っ」  明らかに俊を目がけて追い付いて来たバイクは3台で、1台が進路を塞ぐように前に回り込み、横付けに止まった。ライダーがヘルメットを取りながら、バイクから降りる。 「よぉ俊、久しぶりだなぁ」 「三枝君……」  三枝耕治は俊の怯んだ様子に満足したのか、陰険なハイエナみたいな下卑た顔に卑しい笑いを浮かべた。振り向くと取り巻きが2人、やはりニヤつきながら俊を囲いこんでいる。  3人とは中・高と同級だが、当時からワルで鳴らしているろくでもない輩だった。1ヶ月前小学校の窓ガラスを割って回ったのも連中だ。  彼らはおそらく悪い方の50%に賭けているのだろう。どうせあと1ヶ月の命、好き放題に生きてやる――そんなやけっぱちの野放図さが荒れた態度から見て取れる。 「そんなビビんなって。おまえさぁ、最近ちょっと何なワケ? イカレちゃったワケ?」 「どういうことだい?」 「博士とデキちゃってんの? もうすぐこの世とオサラバだからって、ゲテモノ食いに走っちゃったのかよ」  血の気が引く。  和人との交流を、やはり誰にも気付かれずにいられるわけがなかったのだ。知られたのが一番性質の悪い連中だったことは、まったくもって不運だった。 「下卑た想像はしないでほしい。彼とは友人なんだ」 「友人だとさ。家までお邪魔しちゃってんのによく言うぜ。あの変態博士とたっぷり楽しんでんだろ? 発明品の実験台になって、マニアックなプレイであんあん悶えさせられてんじゃねぇの?」  聞くに堪えない下品な笑い声が周囲の空気を振動させる。俊はかろうじて怒りを抑え、三枝を睨み付ける。 「そこをどいてくれないかな。急ぐんだ」  三枝の顔から笑いが消えた。 「あいつんとこに行く気だな。させるかよ」  変貌した本性剥き出しの獰猛な肉食獣の顔に、俊は怯み一歩下がった。気丈に振舞おうとはしていたが、本当は怖かった。脚は意思を裏切って震えている。 「前からおまえとは一発やりてぇって思ってたんだよ。おまえ島のジジババ共にウケいいから、これまでヤバくて手ぇ出せなかったけどよ。世界がこんなことになっちゃもう関係ねぇよな? どうよ?」  全身が冷えて行くのに嫌な汗が背中を伝う。  本土での凶悪犯罪の数々は遠い世界の出来事として日々耳に入ってきていたが、それが我が身に振りかかってくることなどよもや想像もしていなかった。そして彼らと同性である自分が、性的な対象として見られていたことも。  三枝は愚劣な舌で薄い唇を舐めると、竦み上がって動けない俊の方に余裕で歩を進める。 「それそれ、その顔がそそるんだよなぁ。おまえみたいのってさ、なんか思いっきり汚してやりたくなるんだよ。いいだろ? どうせもう博士のお手付きなんだから、ケチらないで俺らにもやらせろよ」  呪縛が解けた。腕を掴もうと延ばされた手を振り払って身を翻す。逃げようと飛び出す目の前を、余裕たっぷりに笑っている取り巻きの腕が遮った。今の俊は飢えたキツネに囲まれた、か弱いうさぎ同然だった。  三枝に後ろから腕を乱暴に掴まれ、しっかり胸に抱えていた本が落ちた。反射的に拾おうと身を屈めた俊は、そのまま砂の上に押し倒される。三枝のごついライダースブーツが、本を無造作に踏み付けるのが目の端に映る。絶望に視界が暗くなる。 「おい、脚ちゃんと押さえとけよ」  取り巻き連中の手が俊の体を地に釘付ける。振りほどこうとどんなに抵抗しても、身動き一つできない。舌は恐怖で凍り付いてしまったように動かない。  心の中で何度も和人の名を呼んだが、もちろん返事はない。残酷な現実を見たくなくて目を閉じ、隕石が落ちてくるならいっそ今にしてくれと祈ったとき、急に手足の拘束が解け、体が軽くなるのを感じた。

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