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第21話
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気象庁によれば台風は隕石接近の余波ではなく、毎年この時期にやってくる自然現象と変わりないようだった。ただここ数年来なかったほどの大型ではあるらしく、海に囲まれたこのちっぽけな島では、かなりの風雨と時化が予想されていた。
今も家が吹き飛ばされそうな強風が雨戸を叩き、小石でも降っているのかと思うほどの雨粒の音が屋根を駆け抜けている。
まるで今の心情をそのまま写し取ったような荒れた天候に、俊の不安と焦りは募る一方だった。
一番大事なときに、一番大事なことを決められないでいる苛立たしさが、自己嫌悪を増幅させる。
すべてを捨てて和人と共に知らない土地へ行くなんて、そんなことまるで夢物語だ。夢は夢でしかなく、その想像はどうしても現実感を伴わない。
『その日』が過ぎても、きっと俊の生活は変わらない。彼の手を取り、共に行かなかったことを悔いながら、一人静かに年老いていく。そんな寂しい情景の方が、むしろずっと現実味があった。
『その日が過ぎたら』と、何の迷いもなく口にする和人。彼は一貫していい方に賭けている。
大事なのは信じる心だと、そう彼は言っていた。
俊も信じていたかった。何事もなく晴れた空の下、旅立っていく彼を見送ってあげたい――そう思おうとしていた。
でも、今は駄目だ。笑顔で見送れるとは思えない。
和人と別れたくない。でも、島を出る勇気もない。一体、どうすればいいのだろう。
外で強風の唸りと、ガラスの割れるような激しい音が響いた。
「っ……」
ふいに頭の中に、公園の望遠鏡が浮かんだ。
この暴風雨の中、あの繊細なガラスの筒は無事だろうか。
2人で作り上げた望遠鏡で『その日』に一緒に星を見られれば、最後の思い出になるかもしれない。もしも和人が旅立ってしまってもあの望遠鏡が残れば、俊は思い出を胸に一人でも生きていけそうな気がする。
――あれだけは、守らなくては。
ぼんやりと自室のベッドに座って考えていた俊は、弾かれたように立ち上がった。
こんな所でのんびりと、思い悩んでいる暇なんかない。
時計は夜の10時を回っていたが、クローゼットからレインコートを掴んで最悪の天候の中に飛び出していくのに、一瞬の躊躇もなかった。
一歩外に出ただけで、強風に煽られ軽い体が傾いだ。街路灯はかろうじて点いてはいてもその明るさは心許なく、横殴りに吹き付けてくる雨にほとんど目を開けていられない状態だ。確か台風はこれからが本番で、明日の朝にかけて風雨はさらに強まるという予報だった。
走っていきたいのに思うように前へ進まず、一歩一歩しっかり踏みしめながらなるべく障害物の少ない広い道を歩いた。当然、周囲には人っ子一人見えない。ただ、今目の前に仮に三枝達が立ち塞がったとしても片っ端からのしてやる、そんなパワーが俊の身内にみなぎっていた。
何度か転んで手をついたとき擦り剥いたのか、ジンジンする痛みが止まらない。安全だと思っていた舗装道路の中央で、蓋がはずれたマンホールから水が逆流しているのを見たときは背筋が寒くなった。
それでも足は前へと進む。途中からはフードを打つ雨の音すら消え、自分の荒い息遣いしか聞こえなくなった。
ぬかるんでまともに歩ける状態ではない公園に続く坂道を、滑りながら這うように上っていく。
やっとの思いでたどりついた場所は、俊の知っている公園とはまったく様変わりしてしまっていた。
木々はほとんど薙ぎ倒され、かろうじて残っているものも風に煽られて、亡霊のようにその身を頼りなく揺らしている。地に固定されていない老朽化したベンチはすべてが横倒しになり、そこここに転がっている。巨人が大きな手のひらで一撫でしたかのような、非現実的な光景だ。
「っ……!」
目指す望遠鏡が横倒しになり、引っくり返ったベンチの下敷きになっているのを見て、俊の全身は硬直した。
あわてて駆け寄り傍らに膝をつく。胴体には亀裂が入り、望遠レンズははずれかかってしまっている。
――大変だ。一刻も早く修理しなくては。
とっさに思い、上に覆いかぶさっているベンチをどかそうと試みるが、10センチも持ち上げられない。思ったよりずっと重量がある。
風雨の勢いは強くなる一方だ。立っているのもやっとの強風を受けながら、俊は全力でベンチをずらそうとする。すりむいた手のひらの痛みを感じる余裕すらない。
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